第10話:一撃粉砕と、泥の中の惨めな乞願
「アハハハッ! バカめ、潰されろ! 俺の言うことを聞かないからそうなるんだ!!」
『アーマーシェル・オーガ』の丸太のような太い腕が、空気を激しく切り裂きながら島崎と葵の頭上へと振り下ろされる。
恐怖のあまり半狂乱になった高橋が、泥まみれの顔で歪んだ笑みを浮かべた。
だが――島崎の顔には微かな揺らぎすらない。
「やれやれ……相変わらず仕様書の読み込みも、相手のデバッグも足りないな」
島崎は手に持った魔導端末の画面を、指先で軽やかにタップした。
『――ターゲット確認。対象:Armor_Shell_Ogre』
『――オブジェクト解析完了。防御属性コード:Physical_Resistance_99% を検出』
『――権限書き換え実行:Resistance_Value = 0 / Hardness_Level = Tofu』
ピロンッ、と電子音が岩窟内に響く。
その瞬間、ボスの全身を覆っていた金剛石のごとき漆黒の甲殻から光が消え、まるで湿気ったクッキーのようにボロボロとひび割れ始めた。
「ガ……ッ!? グオ……!?」
ボスの動きが一瞬だけ止まり、己の体に起きた異常に困惑の声を漏らす。
「葵、一括削除だ」
「はいっ、島崎さん!」
冷房の効いた車内で体力を完璧に温存していた葵が、地面を強く踏みしめた。
しなやかな身体が目にも留まらぬ残像を描き、青い光の粒子を撒き散らしながらボスの懐へと滑り込む。
「――『一閃』」
美しく澄んだ一言とともに、抜刀の銀閃が空間を真一文字に切り裂いた。
ズザザザザァァァンッ!
Bランク探索者の全力の攻撃すら弾き返していた『アーマーシェル・オーガ』の巨体が、豆腐のように呆気なく斜め真っ二つに両断された。
断面から膨大な魔力が霧となって吹き出し、巨獣は断末魔を上げる暇もなく、巨大な魔導結晶を残して崩れ去った。
「「「………………は?」」」
絶望の静寂が、ボス部屋前を支配した。
血吐きながら倒れていた『銀狼の牙』の面々も、高橋も、口をぽかんと開けたまま固まっている。
Cランクダンジョンの最難関ボスが、わずか「一秒」で消滅したのだ。
「す、すごい……なんだ今の攻撃は……!? あのボスの甲殻を、一撃で……!?」
「あいつ、ただの作業着のオッサンじゃなかったのかよ……!?」
探索者たちが戦慄する中、島崎は落ちた巨大な魔導結晶の前に歩み寄ると、軽トラの荷台に搭載された『自動回収アーム』のスイッチを押した。
ウィン、とメカニカルな音を立ててアームが伸び、百キロを超えるボスドロップの結晶を、まるでダンボール箱でも運ぶかのように軽々と荷台へと放り込む。
「よし、これで今回の依頼達成だな。素材の売却益は葵と五・五で分けよう」
「えっ、私そんなにもらえませんよ! 島崎さんが防御コードを消してくれなかったら切れませんでしたし!」
「いいんだ。アタッカーの貢献度は高い」
仲良く軽トラの荷台を整理する二人。
その背後から、泥にまみれた高橋が、まるでゾンビのように膝で這い寄ってきた。
「し、島崎ぃぃぃっ……!!」
高橋は島崎の作業着の裾に泥だらけの手で縋り付こうとした。だが、葵が冷ややかな視線で鞘を鳴らすと、ビクッと手を引っ込めた。
「島崎さん! いや、島崎様! 助けてくれ! 俺が悪かった! あんたがこんな凄いシステムを作れるなんて知らなかったんだ!」
高橋は額を泥に擦り付けながら、なりふり構わず叫び散らした。
「戻ってきてくれ! 給料は今の二倍……いや三倍出す! 役職も用意する! うちのプロジェクトはもう全滅寸前なんだ! あんたがいないとバグが直らなくて、クライアントから損害賠償請求が出そうで……頼む、助けてくれぇぇっ!」
かつて島崎を「無能なロートル」と嘲笑い、使い捨てにした男が、今や泥の中で涙と鼻水を垂らして懇願している。
島崎は、そんな元上司を静かに見下ろした。
その瞳には、怒りすら浮かんでいない。ただただ無関心な冷たさだけがあった。
「高橋PM。契約解除の通知は、既に人事を通して正式に提出してあります」
「な、そこをなんとか……! 俺たちは仲間だろ!?」
「仲間、ですか」
島崎は小さく溜息をつくと、冷涼な声で言い放った。
「仕様変更の費用も払わず、無謀な納期を押し付け、失敗したら現場に責任をなすりつける……そんな相手を『仲間』とは呼びません。それに――」
島崎は軽トラの快適な運転席のドアを開け、葵へと手を差し伸べた。
「今の私は、彼女と新しい会社を立ち上げましたので。貴方の会社のデスマーチに付き合っている暇はありません」
「そ、そんな……っ!?」
「ふふ、高橋さん」
葵が軽トラの助手席に乗り込みながら、窓からすっきりと澄み切った笑顔を向けた。
「島崎さんはもう、あなたの都合のいい『便利屋』じゃないんです。……さようなら、泥豚PMさん」
バタン、と重厚なドアが閉じられた。
ブロロロン……。
静かなエンジン音とともに、白い軽トラがゆっくりと発進する。
24度の心地よい冷房と甘いアロマの香りが漂う車内で、島崎と葵は冷えたアイスコーヒーで小さく乾杯した。
「お疲れ様でした、島崎さん!」
「ああ、お疲れ様。……さて、次はどのダンジョンを攻略しようか」
「どこでも付き合いますよ! 島崎さんの軽トラなら、世界の果てまで行けますから!」
バックミラーの向こうでは、泥沼の中で頭を抱えて泣き叫ぶ高橋と、呆れ果てた顔で彼を見捨てる探索者たちの姿が小さくなっていく。
猛暑と不快感に包まれた危険なダンジョンの中で、一台の軽トラだけが、爽快な風を切って次の冒険へと走り去っていった――。
(『猛暑と泥沼のダンジョンで、快適冷房と優雅なドライブ』編・完)




