第35話 夏侯惇の、約束の刃
さてさて、蔡琰ことサイちゃんや程昱殿が部屋を去り、改めて身支度を整えていると、今度は少しばかり意外な来客があった。それは、眼帯をした偉丈夫にして、曹操軍の筆頭将軍。
夏侯惇殿が――いつもとは違う、大声を控えた様子で、部屋の中の私に語りかけてきた。
「……甄嘉殿、少し、時間をもらって構わぬか」
「え……えっ? は、はい、もちろん! ええと、夏侯惇殿……どう致しました?」
きょとん、としながら問いかけると、夏侯惇殿はどことなくバツが悪そうに頭を掻き、言いにくそうにしながらも口を開いた。
「いや。此度の大船団による出発に際し……甄嘉殿の見送りを、と思って来たまでだ。俺は、まあその……」
「あ、そういえば……夏侯惇殿は今回、留守居の役目を曹操様から授かって――」
「い、言うな! クソッ、この俺がこの程度の不覚傷で出陣の機会を逃そうとは、不本意にも程がある! しかも趙雲だとかいう、若武者を相手にして、とはな! 情けなくて、涙が出そうだぞ……全く……」
どうも、本当に落ち込んでいるのだろう。いつも剛毅な彼にしては、言葉尻がどんどん小さくなっていく。
それにしても、それほど今回の出陣が楽しみだったのだろうか……船に乗りたかったのかな? でもそんなに船が好きなんて逸話、聞いたことないけどなぁ……なんて考えていると、夏侯惇殿はおもむろに声を発した。
「……甄嘉殿、此度、もし戦になるとすれば……相手は孫権と劉備、厄介者が揃って手を組んだことになる。大戦は間違いないはずだが……本当に、行くのか?」
「えっ? え、ええ、それは……曹操様からも、そう仰せつかっていますし」
「……そうか。そうだな……俺でも、孟徳が付いてこいと言えば、当たり前に付いていく。止められもせん、仕方のないことだ……」
「止められない、仕方ない、って……それじゃまるで、止められるなら止めたい、って言っているみたいじゃないですか。夏侯惇殿らしくありませんよ……?」
「…………」
私が訝しんで尋ねると、夏侯惇殿は暫し無言になり――その偉丈夫らしい大きな口とは反比例した、囁くような声で問いかけてきた。
「止めたい、行くな……と言ったら、甄嘉殿、アンタはどうする?」
「えっ? えっ、それは……ど、どういう意味で?」
「例えばだ、例えば! で……どうするのだ?」
「え、っと。それは……」
例えばにしたって、やっぱり夏侯惇殿らしくない。そう思うけど、どうもいつもと違う様子は、だからこそ真面目に見えて、気になってしまう。
私は、う~~~ん、と長考してから――答えを出した。
「それでも、やっぱり――私は、行くと思います。私ごときが愚考しまするに、今回の戦は夏侯惇殿の仰る通り、いまだかつてない大戦にして、困難なもの。だからこそ、たとえ微力なれど、故・郭嘉様から教えと遺志を受け継いだ者として……私はご主君の、曹操様の覇業を、少しでもお助けしたい、と思います。ですから――」
「……そうか。そうだな……甄嘉殿の、言う通りだ。……ふう~~~……」
室内だけど天を仰ぎつつ、大きく深呼吸した夏侯惇殿が――カッと眼を見開きながら顔をこちらへ向け、ビクッとする私へと覇気のある声を向けてくる。
「よし、俺も迷いが晴れた! ウダウダと悩むのは、そもそも性に合わんのだ! 甄嘉殿、アンタの信念、よおく理解した! ならばこそ、この夏侯惇――主君たる曹操孟徳のためだけではない、甄嘉殿のためにも、これしきの不覚傷はとっとと治し……剣を、矛を、刃を振るおうぞ!!」
「へっ? えっ? あ、ありがとう、ございます……?」
「応! ……素っ頓狂な表情をするな、最初に出会った時のように、余裕の表情で笑っておれ! なに、あまり複雑に考えるな、要は簡単なことよ」
いつも顔を強張らせている夏侯惇殿にしては珍しく、ふふん、と笑ってみせながら――意気軒昂に大声を放たれる。
「甄嘉殿が危地に陥れば、その時は、この夏侯惇が――全力で、救いに参る! 主君にのみ捧げし、この夏侯惇の刃、甄嘉殿のために振るおうと言うのだ! これは我々の、男の約束だ――努々忘れることなく、心に留めおけい!」
「え……え、ええっ!? 男の約束、って……あの、私、女なんですけど」
「細かいところを突くな! 何となく、で理解できるだろう、軍師なら!」
「べ、別に軍師は、会話の達人というわけじゃないんですけど……でも、その」
何となく、ニュアンスで理解しろ、というのなら――もちろん、夏侯惇殿の言い分は理解できる。
要するに私は――こう答えるべきなのだ。
「……夏侯惇殿! 頼りにしていますねっ♪」
「! ……フンッ、ああ、甄嘉殿……任せておけ!」
返事はお気に召したようだけど、頬を赤らめつつも、そっぽを向かれてしまう。う~ん、相変わらずのツンデレさん、ホントに変わらないなぁ。
……それにしても少しばかり、引っかかることはある。
あの〝主君第一!〟の夏侯惇殿が、主君以外の……ゲームであれば〝ヒロインのためにも刃を振るう!〟なんてイベント……。
相当に好感度が高まっていないと、起こらないはずだ。
そんなに好感度を上げていた自覚、ないし……まあでもこの世界は、単純なゲームの世界ってわけじゃないみたいだもの。
だったら、そういうことも……あるのかな?




