三十二頁目 ★
人狼がねぐらに戻ったのは、朝焼けが美しく輝き大地に広がる頃だった。彼は入ってすぐに異常に気づいた。
嗅ぎ慣れぬ煙草の臭い。
まさか侵入者か、と警戒した彼の耳に、麗筆のからかうような声が届いた。
「失礼、勝手に一服させていただいていましたよ」
「吸うのか」
「いいえ。匂いが好きなのです」
狩ってきた獲物を手に、人狼は歩を進め、そして目をみはった。麗筆は確かに煙草を吸ってはいなかったが、一糸まとわぬ姿でクッションに埋もれて寛いでいたのだ。白く眩しい裸体を惜しげもなく晒し、気怠げに煙を浴びていた。
「何を、している」
「体を清めてリラックスしているところでした。一緒にいかがです?」
「いらん。服を着ろ、服を」
「おや。こんな凹凸のない体に欲情するわけでもないでしょうに。でも、そうですね。そう言うなら、貴方が着せてください、ポチ」
にっこりと微笑んでみせる白い少女。からかわれている……。本当はその頭に拳骨を落とした方が良いのだろうと思いつつも、人狼は無造作に放り捨ててあった衣服を手に取った。
何とも薄く頼りない、黒絹の靴下だった。そのなめらかな手触りも、人間ほどに深く繊細に感じられるわけではない。彼らのようなタイプの獣人は、戦いに優れている代わりなのかそういった手の技全般が苦手なのだ。
ごくりと人狼の喉が鳴る。
(穿かせろというのか、これを。……我に!)
目の前では麗筆がにんまりと笑っている。楽しくて仕方がないというように。優雅に足を組んで、桜貝のように小さくてすべすべの爪が並んだつま先を人狼に向け、早くしろと催促している。
人狼はその小さな足を手に取り、ぎこちない動作で靴下を穿かせていったのだが……
「いたっ!」
「す、すまん……」
「もういいです!」
白い肌に血の珠が膨らむ。
人狼は慌てて舌で舐め取るが、麗筆はキッと人狼を睨みつけると、厳しい言葉でそれを拒絶した。
立ち上がった麗筆がパチンと指を鳴らすと、どこからともなく黒い塵が集まってレースを形作っていく。それは瞬く間に白い肢体を覆っていき、胸から膝までは薄いシフォンのシンプルなドレス、それ以外の部分は細かなレースとなった。レースの縁取りには葉っぱを組み合わせたようなレース編みが、白い髪にはカッチリとした硬いベルベットの黒のリボン、足元はエナメルの黒いシューズ。
夜会にでも出かけるのかといった装いになった麗筆は、ツンと人狼に背を向けると、ひょいと飛んできたDを片手に抱いて歩き出した。
「お、おい、麗筆……」
「出かけてきます。まだ挨拶に行っていないところがあるので」
「もう体は大丈夫なのか……?」
「ふっ、誰に物を言っているのですか? ぼくは一流の……魔導師なのですよ」
麗筆はちょっとだけ謙遜した。
◇ ◆ ◇
くすくす笑う声が麗筆の頭の中に響いていた。
『やぁだ、ポチさんかわい~~~! もうすっかり麗筆の犬だねっ!』
「……ええ、まぁ。なんだか懐かれてしまいましたね」
『で、いつママになるの~? 忘れさせてあげるんでしょっ、きひひひひひひっ!』
「なっ、なりませんよ!」
Dの笑い声がさらに激しくなった。正直、聞くに堪えない馬鹿笑いだが、耳を塞いでも直接脳に響く声は止められない。麗筆は顔をしかめながらも無視することにした。
そう、麗筆が致死量の魔力を制御して自分の物にしてから、ようやくDの意識も戻ったのだった。生まれて初めて「死」を意識したという彼女はショックでしばらくメソメソ泣いていたが、麗筆が慰めてくれないのでむくれたりした。
そして、いざ交代しようとしたとき、
「お、おえ~~~っ、ナニコレ気持ち悪いぃ~」
ぐるんぐるん回る視界にDの方が根を上げた。麗筆は暴走を抑えこんだだけであって、強い吐き気と酩酊感はそのまま残っていたのだ。
「おやおや。一流の魔術師になるためにはこれくらい……」
『私は魔術師にはならないからいーんだもん!』
「しようがありませんねぇ~」
麗筆はため息をひとつこぼして。
「では、しばらくはまた、ぼくがこの体を動かしましょう。ちょうど良かったです、腸の中の魔法生物の調整もしなくちゃいけないと思ってたんですよ~。Dみたいにパクパク食べていたら、彼びっくりしちゃって、どこまで消化して良いか分からずぼくの内臓も溶かしちゃいますからね」
『どうりで……。お腹にナニ飼ってるの、麗筆。ううん、いいや聞きたくない』
「ふふっ、便利でしょう?」
『ソウネ』
そんな経緯で未だ体の主は麗筆だ。ようやく動けるようになった彼らが一番最初に挨拶に行くのは、王宮でもなく浮浪児たちのところでもなく。大地震に遭遇しながらもまだ崩れ落ちてはいない、郊外の孤児院だった。
おまけ
★今回のカットシーン★
D『ところで麗筆、なんでパンツ履いてないの?』
麗筆「…………は?」
D『だって、履いてないよね? 下、ストッキングだけだよね?』
麗筆「うそ……あっ! わ、わすれてました……」
D「やん、麗筆のえっち♡」





