十八頁目
不意に、山の中に狼の遠吠えが響き渡った。咄嗟に身構えるバン。そして……
『ひぃっ! き、来ました……』
(ああ、やっぱりポチさんなんだぁ)
『逃げましょう、D。早く!』
(え~~? ど~しよっかな~~~?)
『……では、僕だけお先に失礼しますね。それでは。縁があったらまた会いましょう』
(やだっ、嘘うそ! 私が麗筆裏切るわけないじゃないですか~~!)
本気なのか身動ぎを始める麗筆の気配に慌てて取り繕うD。深いため息がひとつ。
『では、さっさと逃げますよ』
(は~~い!)
とはいえ、何の説明もなくこの場を離れるわけにもいかない。バンは突然聞こえた狼の声に狼狽え、急いで金属鎧を身につけ始めていた。
「あっ、バン待って。今からこっちに来る狼さんは悪いひとじゃないよ」
「はっ?」
「シン族って言って、狼男なの。名前はポチさん。麗筆を追いかけてるんだよ~」
「Dちゃんの仲間の?」
「そうそう。だから、心配しなくても大丈夫。けど、麗筆が嫌がるから私はもう行かなくっちゃ。バイバイ、バン」
「え、行くって……」
言い終えると、Dはパチンと指を鳴らした。すると、Dの姿が消えた。
「えっ? えっ!?」
きょろきょろとDのいた辺りを見回すバン。しかし、よくよく目をこらすと分かる。ぼんやりとした蜃気楼のような揺らめきが。
「うっふふふ、こういうカムフラージュは私の方が得意だもん!」
「そ、そこにいるのか、Dちゃん」
「うん、いるよ~。今から私の幻も作るね。本物そっくりだけど触れないの。これを残して私たちはここから離れるよ~」
「私たちって……」
Dの言葉に疑問を抱くバンだったが、それに答える声はなかった。何もない空間から靄が形を作るようにして真白き髪の少女が現れると、青い瞳でバンに微笑みかける。
「うわっ! えっ、これ、幻なのか?」
現れたDの髪の毛に触れようとするバンの指がすり抜ける。
「さわ、れない……。すごい、どう見たって、本物なのに……」
「そうでしょう? これならポチさんも騙されてくれないかなぁ」
「聞いてもいいかな、どうしてそこまで、その……ポチさんを避けるんだい?」
「え~? んふふふ、ナイショ!」
Dは質問の答えをはぐらかし、白術で浮かび上がるとバンの頬にキスをした。
「わっ!?」
「またね、バン。元気で。今度はちゃんと起きてるエーメちゃんとティナちゃんと遊びたいなぁ~」
「どこへ行くんだい、Dちゃん!」
「王都へ! ショコラ食べた~い!」
「王都……。わかった、追いかけるよ!」
「うん!」
バンは陽炎を目で追い、手を振った。木々の間から見える空はどこまでも青く、抜けるようだった。これならきっと、雨に降られずに王都まで行けるだろう。
不意にガサリと音がする。
慌ててバンが振り向いたときには、誰の姿もなかった。
「あれっ」
それどころか、Dの作った幻の像も消えている。
「……もしかして、ポチさん、さっきまでここにいた?」
「むにゃ~。バン、なぁに独り言呟いてるにゃ? 寝ぼけてるのかにゃあ?」
ガサゴソと隠密らしからぬ音を立てながら現れたのは、独特な言葉遣いの赤毛の少女、ティナだ。目元をこすりながらあくびをしている。
「寝ぼけてるのはティナだろ? エーメは?」
「……ここ。バン、誰かと一緒にいたでしょう、さっき。【障壁】が張ってあったもの。それに、半分寝ていてよく覚えてないけど、女の子を、連れてきてた……?」
音も立てずにやってきたエーメが、ぼんやりとした表情でボソボソしゃべる。これは生まれつきであってしっかりと目は覚めているのだが、全然そうは見えないのが難点だ。特に、学校での授業中には。
「ああ。実は、凄腕の黒術士の女の子に助けてもらったんだ」
「凄腕の……黒術士。仲間には、誘った?」
「もちろん。でも、断られたよ」
「へぇ~。バンの誘いを断る女の子がいるにゃんてにゃ~。ビックリにゃ!」
「なんでビックリしてるんだよ……」
ティナの言葉にげんなりするバン。そんな彼の肩をバシバシ叩いてティナは笑った。
「にゃはは~! 冗談、冗談にゃ!」
「……あながち、間違ってないのがなんとも言えない。バンは女の子にモテすぎ。女の子を拾いすぎ」
「身に覚えがないんだけど……」
「それはさすがに冗談として、にゃかにゃか見所のある女の子にゃ。あちしも会って話してみたいのにゃ!」
「……うん、ワタシも」
にゃはは、と笑うティナにコックリと頷くエーメ。
「王都、かぁ……」
バンはDの飛んでいった方を見上げ呟くのだった。
◇ ◆ ◇
Dと麗筆は雲の下スレスレを超スピードで飛んでいた。あまりに乱暴な運転(?)にDが悲鳴を上げていた。
「ちょっとぉ、麗筆! スピード緩めてよぉ!」
『嫌です。そんなことしたら、追いつかれてしまうではないですか』
「スカートめくれ上がっちゃう! 寒いし! 一回下ろして!」
『我慢してください。というか、スカートなら黒術で【固定】できるでしょう?』
「……ちゃう」
『はい?』
「おしっこもれちゃうぅ!」
『…………』
「ほらそこ! 町が見えてる、ねぇ、あそこに寄ってよ麗筆~」
『わざわざ寄らなくたって、その辺でしてしまえば良いのでは?』
「嫌だよ! 小さい子じゃあるまいし!」
『……じゃあ、王都まで待ってください』
そう言うと、麗筆はさらにスピードを上げた。
「麗筆の、ばぁかぁぁぁぁぁ!」





