忘れ物
ベイルマンとの死闘を終えた二人は、広場の冷たいコンクリートの上で満身創痍のまま横たわっていた。
肌を刺す雨の勢いは、激しさを増していく。
薄暗い夕闇の中、叩きつけるような雨音だけが周囲に響き渡っていた。二人はその激しくなる雨脚を確認しつつ、静かに魔女の到着を待つ。
「雨が強くなってきましたし……そろそろ魔女さんも来ますかね?」
カイルはボロボロになった身体の痛みに耐えながら、ライムの身体を自分の隣へ引き寄せ、優しく支える。
そして、気遣わしげにライムの青白い顔を覗き込んだ。
ライムは、指一本まともに動かない己の身体の異常を、静かに感じ取っていた。
視線を落とせば、麻痺した肉体の至る所を、パチパチと不気味な「青白い閃光」が今もなお絶え間なく駆け巡っている。
「もうすぐ来るんじゃないかな……? さすがにもう街一周ぐらいしてるんじゃないかな? あはは……。それに、魔女の周りだけで降ってたはずの雨も釣られたのか各地で降り始めてるし、もう終わってるよきっと……」
ライムが少し呼吸を荒くしながら、横目でカイルを見た。
その時、カイルの身体からは白い獣は綺麗に消え去り、すっかりと元の人の姿に戻っていた。
それを見たカイルは、どこかホッとしたような笑顔を浮かべる。
「そうですよね、良かった……。あと、魔女さん来てから言おうと思ってたんだけど……。ライムさん、本当にありがとう。ベイルマンをただ足止めじゃなくて倒せたのは、ライムさんのおかげだよ! これでおじさんも、きっと喜んでくれると思う……」
カイルはそっと下を向いた。
こらえきれなくなった涙が、雨水に混ざってその頬を伝い落ちていく。
「あはは……きっとカイルの活躍も見てくれてるよ。それに、俺だけの力じゃないって……ほら、全然動けなくなってるしさ……」
ライムは無理に笑ってみせたものの、胸の奥では激しいモヤモヤに襲われていた。
(あの時には、こんな身体が動かないなんて事はなかった……。もしかしたら、違う技? それとも、攻撃に耐えきれなくてさらに強力になったのか……? でも、ベイルマンは生きてたし……。それに、この閃光がまだ外に流れてる……。早くここから離れたいな……)
過去に一度だけ発現させたあの能力。
どうやってベイルマンに致命的なダメージを与えたのか、思い出そうとすればするほど、記憶の霧に阻まれてもどかしい思いだけが募っていく。
その時、カイルの耳が雨音の向こうにある足音を捉えた。
「あ! ライムさん、魔女さんが来ましたよ!」
カイルがパッと顔を上げ、遠くに見えた人影に向かって嬉しそうに手を振る。
だが、魔女は雨の番傘を差したまま、手を振り返すこともなく、静かに二人のもとへと歩み寄ってきた。
近づいてきた魔女は、番傘の陰から二人を見つめ、少し呆れたように口を開く。
「男二人が抱き合ってどうしたの? ああそうだ、雨は町全体に行き渡ったし、あとは時間の問題よ?」
「あはは……それは良かった……。足止めした甲斐があったよ」
ライムは泥と雨に濡れた顔で、力なく笑った。
すると、魔女の目が、ほんの一瞬だけスッと鋭くなる。
「そうね……良い事教えてあげる。獅子はもう息を引き取ってたわ。だからあなた達の勝ちよ。」と言うと、ライムの方を観察するように見つめて「……ねえ、能力は使わなかったの……? 体動かせないみたいだけど…使ったからそうなの?」と少し心配そうに見る。
「能力? 僕が戻った時にはこの状態だったんです……。辺りに黒い霧とか渦がありましたけど」
カイルがライムを庇うように、当時の状況を懸命に説明した。
「そうなの……まあ、倒せたんだから良いじゃない? お疲れ様……。私も疲れたけどね。なんせ水出しっぱなしだったし……。何か美味しい物でもご馳走して欲しいわ」
魔女は追及をそれ以上は深追いせず、やれやれといった様子でため息をつくと、優しくカイルの肩をポンと叩いた。
「ああ、もちろん。あんまり店は知らないけど、案内しますよ」
カイルは小さく微笑み、ライムをしっかりと支えながら、ゆっくりと立ち上がった。
立ち上がって歩き出そうとしたカイルの腕の中で、ライムの足から完全に力が抜けた。
支えを失った身体が、まるで骨を抜かれたように、そのまましなしなと冷たい地面へしゃがみ込んでしまう。
「ライムさんすみません! まだ駄目でした?」
カイルが焦ったように、心配そうにその身体をもう一度支えようとする。
「あはは……思ったよりまずいのかも……」
ライムは荒くなる呼吸を必死に隠し、カイルにできるだけ心配を掛けないよう、いつものような軽い言葉を選んだ。
だが、視界は急激に暗反転していく。
(まずいな……意識が……また……遠のく……)
限界だった。
ライムがそのまま重い瞼を瞑ろうとした、その時。
「カイル! 今すぐそこを離れてこっちに来なさい!」
激しい雨音を切り裂いて、響いた声。
それは、今まで聞いたこともないような、魔女の必死で、張り詰めた悲鳴だった。
カイルは少し驚いて目を見開く。
けれど、腕の中にいるボロボロのライムを見つめると、その小さな身体を壊れ物を扱うように必死に抱き寄せた。
そして、傘を差したまま立ち尽くす魔女の方を、ゆっくりと見つめ返す。
「駄目ですよ……友達を置いて行くなんてできないんですよ……」
カイルの瞳に、堪えきれない涙がじわリと浮かぶ。
それでも、その表情には、どこまでも優しく、揺るぎない笑顔が浮かんでいた。
魔女は、その光景に深く深く、呆れたように息を吐き出す。
「そうなのね……。本当に世話がかかる子達ね……本当に馬鹿……」
冷たい雨に打たれながら、魔女の頬を、一筋の涙が静かに伝い落ちた。
彼女は番傘を放り出すと、ライムたちの元へと迷いなく駆け寄り、全魔力を込めて強固な障壁を展開する。
――その直後だった。
ライムの体内から溢れ出た「青白い閃光」が、溜め込まれた濁流のように、辺り一面へと一気に爆発的に広がった。
狂暴なまでの光の濁流が、魔女とカイルの身体を容赦なく包み込んでいく。
「私も……ね……」
眩い光の渦の中、魔女の呟きが白く溶け、二人の姿は光の彼方へと消え去っていった。
――それから、どれだけの時間が流れたのだろうか。
気づけば、あれほど激しく世界を叩いていた雨は、嘘のようにすっかりと止んでいた。
雲の切れ間から顔を出した冷たい月明かりが、静まり返った広場を静かに照らしている。
ライムは、泥水の感覚に震えながら、ゆっくりと意識を覚醒させた。
周囲を見渡すが、そこにカイルと魔女の姿はない。
ライムは軋む身体をなだめながら、ゆっくりと、ふらつく足取りで立ち上がった。
(あれ? 二人ともおかしいな……。俺が寝ちゃったから、先に食事にでも行ったのかな……?)
いつもの日常に戻ったのだと、そう自分に言い聞かせようとした。
しかし、すっかり暗くなった街の先、不自然に騒がしく、パニックに陥っている街の中心地が嫌でも目に入る。
そして、何より――自分の足元の光景が、異常だった。
「………違う!」
ライムの思考が、一瞬で凍りつく。
「発動したんだ……能力が……あはは……またか……」
そこは、まるで世界から刃物で綺麗に引き裂かれたかのように、地面や瓦礫の建物が『存在ごと切り取られて』消失していた。不自然なまでの虚無の空間が、月光の下でぽっかりと口を開けている。
絶望に押し潰されそうになりながら、少し離れた場所に、ポツンと何かが落ちているのが見えた。
黒い、見覚えのある魔女の帽子だ。
ライムは引き寄せられるように、ゆっくりと近づき、それをそっと拾い上げる。
「本当、忘れ物して行くなんて……よっぽどお腹空いてたのかな……? あはは……。ちゃんと返さなきゃな……。街の方かな……?」
ライムは愛おしそうに、そして崩れそうな心を繋ぎ止めるように、その帽子を自分の首へと掛けた。
(先にご飯食べてるなら、急がないと置いていかれちゃうな……)
そして、月明かりの下、大切な人たちの気配を追うように、ゆっくりと騒がしい街の方へと歩みを進め始めた。
街の中心地へと近づくにつれ、地鳴りのような騒ぎは大きくなっていった。
街のあちこちから激しい火の手が上がり、立ち上る黒煙が月明かりを覆い隠していく。
冒険者ギルドの面々も、この異常事態を落ち着けようと武器を手に必死の抵抗を試みていた。
しかし――圧倒的だった。
獣人本来の凶悪な筋力差に加え、集団で、あるいは不意に物陰から襲いかかる獣たちを前に、熟練の冒険者たちでさえなすすべなく地面にねじ伏せられ、無惨に貪り喰われていく。
肉が裂ける嫌な音と、立ち込める血生臭い匂い。
ライムはその地獄絵図の横を、何食わぬ顔で、静かに通り抜けていく。
凄惨な周囲の景色をただの背景のように眺めながら、ライムの心は別の場所にいた。
(やっぱり、どこにもいないんだ……。でも、獣人達は本来の姿に戻ったみたいだよ……)
二人の姿がない寂しさを、無理やりそんな他人事のような納得で埋める。
足元に転がっていた手頃な木の棒を拾い上げると、燃え盛る建物から爆ぜる火をその先端へと移した。
ゆらゆらと爆ぜる松明の明かりだけを頼りに、ライムはただ前を――ゲートの向こうだけを目指して進む。
松明を掲げるたび、獣たちは唸り声を上げながら道を開けていく。
(やっぱり火は苦手みたいだね…)とその中を進んでいく。
その時、ゲートのすぐ間際まで逃げてきた一人の冒険者が、狂ったようにレバーを叩き、急いでゲートを開けようとしていた。
だが、その背後に複数の影が音もなく忍び寄る。
完全に獣と化した影たちが一斉に冒険者を取り囲み、その首元を容赦なく噛みちぎった。
「ぎゃ〜っ!!」
夜空に引き裂くような絶叫が響き渡る。
ライムはその光景を、肉眼でハッキリと見つめながらも、心には波一つ立たなかった。
ただ、開いたゲートの光を見つめ、優しく呟く。
「二人とも、先に行ってるね……」
言い残すと同時に、手にしていた松明を群がる獣たちに向けて力任せに投げつけた。
火の粉を散らして突っ込んできた炎に、獣たちが驚いて声をあげる。燃え移る体を地面に必死に擦り付ける獣たちを尻目に、ライムはその身を翻し、眩い光を放つゲートの中へと飛び込んだ。
――視界が、一瞬で反転する。
ゲートを抜けた先には、冷たい夜風が吹いていた。
見上げた視界に飛び込んできたのは、空を鋭く突き刺すような巨大なビル群のシルエットだった。
だが、かつて魔女が住んでいた、あの殺伐とした未来世界とは何かが違っている。
流れる空気はもう少し穏やかで、どこか落ち着いた雰囲気が漂う不思議な街並み。
ライムがふらふらと少し歩くと、街角に明かりの灯る、オシャレなカフェが目に留まった。
入り口の看板には、『冒険者歓迎 ラピ使えます!』という文字が躍っている。
首にかけた魔女の帽子をそっと指先でなぞりながら、ライムは小さく息を漏らした。
(良かった、まだ少しは残ってるだろうし、何か飲むぐらいは……)
現実の痛みを、冷たい夜風の中に置き去りにしたまま。
ライムは、静かにそのカフェの扉を押し開けて、中へと入っていった。




