暴走する魔獣と勇者の片鱗
勇斗がはじめて城外に出るお話です。
ルミナ王国から東へ伸びる東土街道は、イーストバロニア連邦へと続く幹線路だ。
道中には二つの都市が点在し、その一つ、グレイフォードまでは馬車でおよそ二日の道のりである。
その街道に面して広がるエリア――
朝霧が立ちこめ、奥へ進むほど視界を白く閉ざすことから“霧覆いの森”と呼ばれる広大な森林地帯だ。
街道は馬車がすれ違えるほどの幅があり、深く刻まれた轍が往来の多さを物語っている。
事実、勇斗たちの幌馬車も、この数時間で幾度となく商人や住民を乗せた馬車とすれ違った。
幌馬車の規則的な揺れに身を任せ、勇斗は車窓を流れるのどかな風景をぼんやりと眺めていた。
黄金色の草原、遠く霞む風車、空を渡る雲の形に、故郷である日本の田園風景を重ねているのかもしれない。
その隣で、真理はきつく口元を押さえ、時折小さく呻き声を漏らしていた。
「気分が悪いのか?」
セレスが気遣わしげに声をかける。
「大丈夫です」
と真理は笑顔を作ったが、その顔色は明らかに青白い。
セレスは短く息を吐くと、御者台のロルフに「止めてくれ」と指示を出した。
馬車が街道脇に寄せられ、一行は短い休息を取ることになった。
真理は水を含んで深く息を吸い込むと、頬にようやくわずかな血の気が戻る。
「ごめんなさい。私、乗り物酔いなんて初めてで……」
舗装されていない道に刻まれた轍が、幌馬車に絶え間なく不規則な振動を与えていた。
その揺れが、真理の体力を着実に削っていたのだ。
「少し歩こうか?」
勇斗の提案に、真理はこくりと頷いた。
四人が馬車を降りて街道の脇を歩き始めると、吹き抜ける風が心地よく頬を撫でる。
木漏れ日が地面にまだら模様を描き、真理の表情にもようやく穏やかな笑みが戻った。
その時だった。
「前方に生体反応。こちらに高速で接近中」
エリスが前方を向いたまま、凛と背筋を伸ばして告げた。
勇斗が目を凝らすと、こちらへ駆けてくる人影が見えた。子連れの女性だ。
何度も後ろを振り返り、何かに追われているかのように必死の形相で向かってくる。
セレスの眉が鋭く動き、後続のロルフに手信号を送った。
ロルフが力強く手綱を引くと、馬が嘶きと共に地を蹴り、幌馬車が勢いよく前進する。
セレスは助走をつけて御者台に飛び乗ると、そのまま勇斗たちの脇を駆け抜けていった。
勇斗と真理は顔を見合わせ、すぐさまその後を追った。
「何があった!」
セレスが駆け寄ると、女性は彼女にすがるように倒れ込み、膝から崩れ落ちた。
セレスに支えられた胸の中で、女性は震える指を来た道へと向ける。
「ハァ、ハァ……地面が、急に盛り上がって……! 影が、影が……襲ってきて! 怪我人が……!」
息も絶え絶えに訴える女性の手には、泣きじゃくる男の子の小さな手が固く握られていた。
二人とも顔や手足は擦り傷だらけで、痛々しく血が滲んでいる。
セレスは女性の肩をロルフに預け、応急処置を始めるのを見届けると、女性が逃げてきた方角を鋭く睨み、駆け出した。
勇斗たちが幌馬車に追いついた頃には、もうセレスの姿はなかった。
ロルフの応急処置とエリスの治療魔法で、母子の表情にわずかな安堵が浮かぶ。
状況を把握した一行は二人を馬車に乗せ、急ぎ現場へと向かった。
そこには、無残な光景が広がっていた。
車軸が折れ、荷台が潰れた幌馬車が横倒しになっている。
周囲には血を流して倒れている人々が数人。
そして地面は大きくえぐられ、盛り上がった土の跡が蛇行しながら森の入口へと続いていた。
その向こう、森の入口付近から土煙が上がっている。
風に流れる煙の切れ間に、弓を構えるセレスの姿が一瞬見えた。
「真理さん、エリス、皆をお願い!」
勇斗は二人に負傷者の救助を託し、木盾と木剣を手に取った。
すると、真理が自身の腰から小型ナイフ一式を外し、勇斗に手渡す。
「これ、無いよりはましだと思います」
「うん、ありがとう」
勇斗はナイフを腰に装着し、セレスの元へ駆けた。
「セレスさん!」
勇斗の声に、セレスが鋭く振り返る。
「来るな! こいつはグラントモグラだ! 音を頼りに地中を移動して攻撃してくる!」
グラントモグラ――地中に巣を作る大型の魔獣。
振動を感知して突進し、硬質な外皮は並の攻撃を寄せ付けない。
地面を盛り上げ突如として現れるため、対応が極めて難しい厄介な相手だ。
セレスの警告に、勇斗は反射的に足を止めた。
だが、次の瞬間。
地鳴りとともに足元の地面が大きく隆起し、巨大な影が突き上げるように現れた。
「勇斗!」
セレスの絶叫とほぼ同時に、勇斗は咄嗟に木盾を構える。
しかし、グラントモグラの一撃は想像を遥かに超えていた。
盾が砕け散る轟音とともに、勇斗の身体がまるで木の葉のように宙を舞った。
視界が激しく揺れ、背中から地面に叩きつけられる。
肺が潰れるような激痛に、息が詰まる。
高鳴る心臓の音が耳を打ち、全身が痺れて意識が急速に遠のいていく。
(これが、死ぬってことか……)
薄れゆく意識の中で、脳裏に浮かんだのは妹・玲奈の顔だった。
◇
(……ここは、どこだ?)
音も光もない、絶対的な無の空間。
万物の干渉を拒む、魂の最深部。
――ここで終わるのか? 妹に会うまでは、死ねないだろうが。
不意に、渋く力強い声が響いた。
目の前に、輪郭すら定かではない、だが圧倒的な存在感を放つ人影が揺らめいている。
戦と混沌の神、ヴァル=ゼルス。
――そうだ。お前の成長は、俺の加護の賜物。
お前の中に眠る力を信じろ。お前の背には俺がいる。何より、お前自身を信じろ。
そして空間が歪むほどの豪胆な笑い声。
そこへ、もう一柱、柔らかな気配をまとった神影が現れる。
記憶と真実の神、ミリディア。
――話が長いのよ、ゼルス。……聞こえますか、勇斗。
貴方の妹は私が見守っています。大丈夫、二人はいずれ必ず再会できる。
それまで、この世界の均衡を取り戻すために、その力を存分に振るってください。
母性を感じさせる穏やかな声が、勇斗の魂に染み渡っていく。
二柱の神の気配が消え、再び暗闇に一人残された。
理由は分からない。だが、心が澄み渡り、恐怖は消え失せていた。
その瞳に、確かな闘志の炎が宿る。
◇
「起きろ! 勇斗!」
セレスの声が鼓膜を叩き、勇斗は現実へと引き戻された。
全身を苛む痛みが、まだ自分が生きていることを証明している。
顔を歪めながらも、勇斗はゆっくりと身体を起こした。
「……どうすればいいですか?」
その問いに、セレスは警戒を解かぬまま答える。
「どこから出てくるか予測できれば、一撃を叩き込めるんだが……」
その言葉に、勇斗はしばし思考を巡らせた。
ふと、足元に転がる石を拾い上げ、森の方角へ力いっぱい投げつける。
石が木の幹に当たって乾いた音を立てた、その瞬間。
地鳴りが響き、地面が盛り上がった。
グラントモグラが猛然と森へ突進し、木々をなぎ倒していく。
「……なるほどな」
セレスは親指を立て、勇斗に作戦を告げた。
岩陰に身を潜め、合図と共に弓を引き絞る。
鏃が淡く光り、周囲の空気が渦を巻くように集束していく。
勇斗は狙いを定め、再び石を投げた。
音を察知したグラントモグラが、土煙を上げて突進し、その巨体を地上に晒す。
「今だ! ――裂空穿牙!」
放たれた魔導矢は流星のように光の尾を引き、空間を震わせながらグラントモグラの胴体に突き刺さった。
爆音が轟き、衝撃波が周囲の大気を揺るがす。
――ピギィィィッ!
甲高い悲鳴を上げて巨体がのたうち回る。
その刹那、勇斗の中で何かが弾けた。
考えるより先に、身体が動いていた。
真理から受け取ったナイフを抜き放ち、逆手に握りしめて地を蹴る。
「待て! まだ早い!」
セレスの制止は、もはや勇斗の耳には届いていなかった。
視界には苦しむ魔物の姿だけが映り、全身の筋肉が連動して驚異的な速度を生み出す。
景色が後方へ猛スピードで流れ、風が頬を切り裂く。
身体が鞭のようにしなり、ナイフの切っ先に、己の力だけではない、何か途方もないエネルギーが集まっていくのを感じた。
腕が伸び、刃が硬質な外皮に触れた瞬間――閃光がほとばしった。
甲高い金属音と共に、ナイフが触れた箇所が赤熱する。
凄まじい熱が柄を握る手にまで伝わり、焦げ付く匂いが鼻をついた。
(な、んだ……これ……)
制御不能の力が腕を駆け抜け、轟音と共に土煙を爆散させる。
自分の身体でありながら、自分の意志ではないような感覚。
右腕には、まだ灼熱の力が渦巻いていた。
やがて、水を打ったような静寂が訪れる。
ゆっくりと晴れていく土煙の向こうで、セレスが信じられないものを見るように目を見開き、立ち尽くしている。
その光景が、自分がとんでもないことをしでかしたのだと雄弁に物語っていた。
そこへ、真理とエリスが駆けつける。
「勇斗さん!」
真理の悲鳴に近い声が響く。
そこには、巨体を真っ二つにされ絶命したグラントモグラと、ナイフの残骸を握りしめたまま呆然と立ち尽くす勇斗の姿があった。
◇
勇斗たちが馬車に戻ると、偶然通りかかった住民たちが、散乱した荷物を自分たちの馬車へと運び入れていた。
「怪我人はいましたが、エリスの治療魔法で全員命に別状はありません」
ロルフの報告にセレスは頷き、負傷者たちをルミナリアへ向かう馬車に同乗させることを決めた。
助けられた母子は、涙ながらに勇斗たちへ感謝の言葉を伝えた。
この騒動を受け、セレスは素材集めを中止し、王都への帰還を決断する。
勇斗たちもそれに同意し、来た道を折り返した。
「真理、ごめん。ナイフ、こんなになっちゃって……」
勇斗が差し出したナイフは、刃どころか柄の一部までが高熱で溶け、いびつな鉄塊へと変わり果てていた。
「ううん……」
真理は静かに首を振り、勇斗の身体を心配そうに見つめる。
「勇斗さんこそ、大丈夫なんですか?」
「ピピッ。勇斗様の生体反応、正常範囲内です」
エリスの診断結果に、真理は安堵の息を漏らした。
その中で、セレスだけは勇斗を一瞥すると、何かを深く思い詰めるように固く目を閉じた。
一行が王都へ戻り、勇斗たちが部屋に戻ると、リアナが涙目で出迎えた。
「ユウト様! お怪我はありませんでしたか!」
その夜は、リアナが腕によりをかけた豪華なディナーが食卓に並んだ。
「……という訳で、今回はグラントモグラしか獲れなかったんだ」
夕食後、ハチミツ入りの温かいミルクを飲みながら、勇斗は今日の出来事を語った。
意識を失った後のこと、そして魔獣を倒した瞬間のことは、彼自身にもうまく説明できず、言葉を濁した。
それを深く問い詰める者はいなかった。
リアナは、魔獣の肉は脂が乗った良質なもので貴重だと喜んだ。
皮や爪も価値の高い加工素材になるという。
その言葉を、勇斗はどこか他人事のように聞いていた。
彼が振るった力の本当の意味も知らずに……。
◇
その頃、王城の一室では、重苦しい空気が満ちていた。
議題は、ミストヴェイルの森での一件である。
近衛騎士団長レオニス、副隊長カイル、第二中隊長セレス、第三中隊長ヴェルト。
そして宮廷魔導師イザベルに、世話役のクラウス。
王国の重鎮たちが、上座に座る宰相ガルディアスを見つめていた。
「ミストヴェイルの森に魔獣、か。ここ数十年は報告がなかったはずだ。何らかの異変が起きていると見るべきだろう」
ガルディアスの低い声に、焦りが滲む。
「本格的な調査隊を派遣すべきですな」というレオニスの提案に、異を唱える者はいない。
「グラントモグラは本来温厚なはずよ。人を襲うなんて……まるで悪意ある誰かに操られているみたい。例えば、魔族とかにね」
イザベルが面白がるように口にした言葉に、場の緊張が一気に高まる。
彼女は「冗談よ」と肩をすくめた。
「調査は第二中隊長セレスに一任する。編成は任せるゆえ、抜かりなく」
ガルディアスの決定に、セレスは「……承知いたしました」と深く頭を下げた。
宰相とイザベルが退出すると、レオニスは扉に鍵を掛け、重々しく口を開いた。
「ここからの話は内密に頼む。他言は無用だ」
いつになく真剣な表情のレオニスに、誰もが固唾を呑む。
彼はセレスから受けた『本当の報告』――勇者が鋼のナイフ一本で大型魔獣を一刀両断にしたという、信じがたい事実を静かに語り始めた。
長い沈黙を破ったのは、魔導師であるヴェルトだった。
「……それが、伝承に聞く勇者の力だと?」
「本人に尋ねても、要領を得ないのです。『気づいたら、身体が勝手に動いていた』と……」
セレスが困惑した表情で答える。
「身体が勝手に、か。生まれながらの天才というやつかな」
「いえ、断じて違います!」
ヴェルトの言葉を遮ったのは、副隊長のカイルだった。
「ユウト殿は天才などではない! 誰よりも愚直に、ひたむきに剣を振る努力の人です! 私がこの目で見てきたのですから、間違いありません!」
カイルの熱弁にセレスも頷き、クラウスも勇斗の誠実な人柄を補足する。
三人の証言を聞き、ヴェルトは腕を組んで唸った。
「むぅ……とても同一人物とは思えんな。これは儂も、直接手合わせをしてみねばなるまい」
「ああ、次はヴェルト、お前の番だ」
レオニスは豪快に笑うと、真剣な眼差しで一同を見据えた。
「いいか、俺たちは勇者様の味方だ。だが、本人すら知らぬ『何か』が彼の中にあるのなら、それはこの国の根幹を揺るがす問題になる。我らは全力でこの世界の均衡と、その鍵を握る勇者様を守る。今まで以上にユウトを見張り、どんな些細なことでも俺に報告しろ。いいな」
レオニスの決意を込めた拳が机を叩く音が、静まり返った夜の会議室に低く響いた。
◇
同時刻、謁見の間の奥にある王の書斎では、ガルディアスがルシアス王に謁見していた。
ミストヴェイルでの一件を報告し終えると、王は深く呻いた。
「まさか……本当に魔族が侵攻してくるというのか……」
「現在の魔王は戦を嫌う穏健派。動くとすれば、先代魔王派の残党……強硬派の連中かと」
ガルディアスの見解に、ルシアス王は静かに頷く。
「……もしそうなら、勇者の存在が魔族側に漏れれば、事態は一変する」
「陛下。魔族との停戦協定には、勇者召喚を禁ずる条項がございます。異世界からの召喚は、一方的な戦力増強と見なされ、協定違反となる。これは制限事項である軍事行動に抵触する恐れが」
ガルディアスの進言に、ルシアス王は目を伏せ、しばし沈黙した。
やがて、王は静かに、しかし断固とした口調で命じる。
「ことが大事になるまでは伏せておけ。勇者の存在は、誰にも知られてはならん」
「承知いたしました。停戦協定の監視団には、情報が漏れぬよう万全の手を打ちます」
ガルディアスが深く頭を下げると、王は卓上のグラスを手に取った。
暖炉の火に照らされ宝石のように煌めく深紅の液体をそっと口に運び、世界の未来を憂うように、重い息を吐き出した。
勇斗のあずかり知らないところで、ルシアス王の裏の顔がでましたね。広げすぎても収集がつかなくなるので怖いんですけど、ルミナ王国の今後の動きにも注目です。
次回は街に向かう予定です。お楽しみに。




