戦火の幕開け
前回は慌ただしい場面転換でしたが、今回もまったく同じです。タイムリーにすると、こうなっちゃうんですね。
レジーヌとミュリエルの乗った荷馬車は、ノルディア帝国皇帝――グラント・ハーンゴット三世の命により、国境の要塞で足を止められることとなった。
皇帝は、かつて“北の勇者”と称えられたレジーヌを呼び寄せ、そのまま自らの指揮下へと組み込んだ。
鎧をまとい、研ぎ澄まされた戦斧を掲げるドワーフの戦士たちは、勇者の帰還に歓喜し、大地を震わせるほどの雄叫びを上げる。
その士気は天を衝き、皇帝は迫り来る決戦の勝利を確信していた。
◇
暗黒の森に続く獣道。
グレイヴは黙々と草木をかき分け、迷いなく先へ進んでいく。
二人の間に言葉はない。
いつもなら愛想よく話しかけてくるはずのグレイヴも、今は沈黙を貫いていた。
――いや、勇斗の放つ空気がそうさせているのかもしれない。
表情は硬く、無言のまま他を寄せつけない威圧感が漂っていた。
やがて、休みなく歩き続けていたグレイヴの足がふいに止まる。
勇斗は即座に腰のヴェイルリフォージへ手をかけ、身構えた。
目の前に現れたのは、黒光りするフルアーマーをまとった三人の魔族兵。
勇斗は一瞬、顔をしかめる。
(裏切られた――?)
胸がざわつく。
だがグレイヴは勇斗を手で制すると、小声で茂みに隠れるよう促した。
勇斗はすぐに身を隠し、木陰から行動を監視する。
グレイヴは一転、愛想のいい笑顔を浮かべ、陽気な声で魔族兵の前へ進み出た。
しかし――
魔族兵たちは逆に動揺している。
かみ合わない会話。
不自然な挙動。
どこかぎこちない立ち振る舞い。
その違和感の正体はすぐに明らかになった。
ネザレムから脱出してきた三人が、魔族兵に偽装していたのだ。
外交官エルネア、中立調整官セドリック、学術院長ノドム。
安全だと解り、勇斗は促されて姿を見せる。
するとその背後の木陰から、玲奈の要請を受けて尾行していたヴァルド、ラグス、ミリナも姿を現した。
勇斗は妹の過保護な行動に憤慨しつつも、悶々とした別れが解消され、安堵の色を滲ませた。
そして、セドリックの口から語られた真理の行方――。
その内容を聞いた勇斗は、激しく困惑する。
(なぜ……あいつがそんな嘘を)
エルネア、セドリック、ノドムの三人はリュミエ村で保護することになり、ミリナが彼らを連れて戻っていった。
勇斗はグレイヴに改めて先導を頼み、ヴァルドとラグス――二人の頼れる狩人と共に、ネザレム城へ向けて歩みを進める。
目的が定まり、勇斗の足取りは軽くなっていた。
心なしか、グレイヴとの会話も自然に戻りつつある。
――そんな時だった。
大地を揺るがす轟音が、森を貫いた。
地面は波打ち、木々はざわめき、野鳥たちが悲鳴を上げて一斉に空へと舞い上がる。
勇斗たちは思わず姿勢を低くし、互いに顔を見合わせた。
◇
ルミナ王国西地区――灰燼演習地。
その地下深くに眠っていた“長距離魔導殲滅兵器”ヴァルハラ・ランスが、長い沈黙を破り、極太の光の柱を放った。
放たれた光は天を裂き、遥か彼方、ネザレム城近くの山頂を容赦なく貫く。
エリスの虹彩がリング状に輝き、瞳の奥に魔導回路が淡く浮かび上がる。
その表情には一切の感情がない。
淡々と状況を分析し、機械的な声が操縦席に響き渡る。
「冷却開始。再充填まで十五分オーバー。
稼働損失、三パーセント未満。
修復プロトコル起動。
――周囲への影響、想定を大きく上回っています。
警戒レベルをイエローへ移行。
国王へ緊急信号送信――判断を仰ぎます」
高出力の反動は凄まじかった。
砲身は赤熱し、大地を焦がす大量の噴煙が上空へと吹き上がる。
王都は経験したことのない激しい揺れに襲われ、美しい街並みは無残に崩壊した。
路面はひび割れて隆起し、家屋は倒壊し、人々は絶望の悲鳴を上げながら逃げ惑う。
治安を維持すべき兵士たちでさえ、押し寄せる雑踏に飲み込まれていく。
「一体、何なの……!?」
アークフレイム工房のリゼットは、上空へ伸びる禍々しい噴煙を見上げ、笑顔で別れたミュリエルの顔を思い浮かべた。
そして、祈るように胸の前で強く手を組む。
どうか――無事で。
世界に今、戦乱の幕を開ける狂気の号砲が鳴り響いたのだった。
◇
突然降り注いだ光の柱は、ネザレムの大地を抉り、底なしの巨大な穴を穿った。
長い年月をかけて育成してきた魔胎兵たちは、光の奔流に飲み込まれ、一瞬にして塵と化す。
軍事指揮塔からその光景を見下ろしたグロム将軍は、牙をむき出し、岩のような巨拳で壁を粉砕した。
戦傷で潰れた、残る片目の赤い瞳が爛々と燃え、低い唸り声が塔内に響く。
そこへ、バルザム卿が凄まじい剣幕で飛び込んできた。
将軍の視線の先を見て、息を呑む。
「……これは、どうなっているのだ――!」
矢継ぎ早に説明を求めるバルザム卿。
だがグロム将軍は何も言わず、深く濁った息を吐いた。
その沈黙には、指揮官としての冷徹な判断と、爆発寸前の怒りが宿っていた。
バルザム卿はその気配に圧され、崩れた大地を見つめたまま口をつぐむ。
だが――。
抉られた地の底から、濃密な煙幕を揺らして無数の影が現れる。
新たな魔胎兵たちが、途切れることなく列をなして進軍を続けていたのだ。
先の大戦で味わった屈辱を晴らすため、地の底で長く待ちわびていた同志たちが、ついに野へ放たれていく。
その悍ましい光景を見下ろしながら、グロム将軍は口角をわずかに吊り上げた。
山全体が巨大な地下要塞と化していたネザレム――その軍容は、光の柱ひとつで止められるほど底の浅いものではなかった。
魔族の真の脅威が、地鳴りを響かせながらセントリア連合の防衛拠点へと迫る。
◇
エルダリア公国で保護されているクラウスとイザベルのもとへ、玲奈の伝言を携えたトゥーリが舞い降りた。
すでに、先に帰国していた精霊使いフィナから、勇斗の妹、玲奈の存在と「賢者」として生きていることは聞かされていた。
――戦争を止めたい。
――勇斗を、そして世界を守りたい。
その切実な願いを受け取ったクラウスは、ティアナ公女の助力を得て、静かに動き始める。
大賢者レノ、戦士ネル、巫女フィナ。
エルダリアが誇る精鋭を伴い、ティアナ公女を乗せた馬車は、混乱の極みにあるルミナ王国へと馬を走らせた。
◇
一方、ミュリエルは即席の魔法で光源を湾曲させ、自身の姿を景色に溶け込ませていた。
単身、ノルディア帝国の関所をひっそりと潜り抜ける。
そんな中、大地を揺るがす地震と、天を裂く光の柱が視界を白く染めた。
胸の鼓動が早まり、背負った布袋――聖刀アウルリアを思わず抱き寄せる。
その時、彼女の前に、まるで待ち伏せしていたかのように一人の女性が姿を現した。
灰色の肌。金の瞳。
すべてを見透かしたような眼差しで笑みを浮かべる情報屋、ミリカだった。
「勇斗はネザレム城へ向かったわ。大切な荷物を届けるんでしょう? 手伝ってあげようか」
甘く、しかし底の読めない声。
ミュリエルの青い瞳が、わずかに冷たく揺らぐ。
「……私、お金ない。助けはいらない。私が、届ける」
しかしミリカは動じない。
むしろ楽しげにミュリエルを見つめ返すと、軽く肩をすくめた。
「そんな邪険にしないでよ。私はただ、戦争なんて無駄なことを早く終わらせたいだけ。勇斗はその鍵を握ってる。だから、ね――こっちよ」
返事を待つ気などさらさらない。
ミリカは踵を返し、勝手に歩き出す。
ミュリエルは布袋を背負い直し、警戒して距離を取りながらも、同じ方向へと足を向けた。
「……私が届ける。助けは、いらない」
まるで自分に言い聞かせるように呟くミュリエル。
ミリカは前を向いたまま鼻で笑い、聞こえないふりをして意気揚々とネザレムへ向かっていった。
◇
ネザレムの地下深く――魔剣安置室。
真理と特攻隊長ザルグが激突した痕跡が、壁や石像に生々しく刻まれている。
その荒れ果てた空間に、数十人の子供たちが静かに集められていた。
皆、うつろな瞳。魂を抜き取られたように、ただ立ち尽くしている。
その中に、マジョルカの姿もあった。
子供たちの前に立つのは、黒衣のローブに半面をつけた男――ドレイヴァス・ミルゼン。
彼は両手を広げ、慈愛を装ったおぞましい笑みを浮かべる。
隣では、赤黒い肌をした獣のような大男ザルグが、獲物を狙うように目を光らせていた。
ドレイヴァスは魔剣ヴァルディアを両手で抱え、ゆっくりと天へ掲げる。
刀身が、淡く光り始めた。
呼応するように子供たちの額に不気味な符文が浮かび上がり、青い光が脈動しながら広がっていく。
青と白の光が安置室全体を満たし――
まばゆい閃光が爆ぜた。
光が収束したとき、そこにいたはずの子供たちの姿は跡形もなく消え失せていた。
ドレイヴァスは狂気のように目を見開き、歓喜に震えながら魔剣をさらに高く突き上げる。
純粋な魔力を吸い上げた魔剣ヴァルディアは、静かに、しかし絶望的に禍々しく輝いていた。
そのとき、重い安置室の扉が開く。
姿を現したのは――真理だった。
彼女は光のない瞳を向けたままドレイヴァスの前に進み出ると、仰々しく片膝をついた。
ドレイヴァスは満足げに頷き、魔剣を鞘に納めると、そのまま真理へ差し出した。
真理は無言でそれを受け取り、腰に装着し、柄に手を添える。
――一閃。
魔剣は、音もなく空を切った。
その完璧で恐ろしい軌道に、ドレイヴァスは深く頷く。
真理は魔剣を鞘に戻し、一礼して安置室を後にした。
その背に、かつての明るく知識欲旺盛な編集者の面影は、微塵も残っていなかった。
◇
魔王の間。
漆黒の玉座に、未成熟な魔王の器である少年ラグナスが静かに佇んでいた。
そこへ、真理が足音もなく姿を現す。
その後ろにはドレイヴァスとザルグが恭しく続く。
傍らに控えていたバルザム卿は、人間である娘が帯刀して玉座に近づく光景に目を見開いた。
「その娘は誰だ、ドレイヴァス! これは一体、なんのつもりだ!」
怒声が玉座の間に響き渡る。
だが――彼が返事を聞くことはなかった。
真理の魔剣が、再び一閃した。
音すらない。殺気すらない。
ただ、玉座に一筋の線が走った。
直後、玉座の上部が斜めにずれ落ち、鈍い音がバルザム卿の足元に重く響く。
強硬派の重鎮たるバルザム卿は言葉を失い、崩れ落ちる玉座の破片に押し倒された。
ラグナスは、自分が座る玉座が斬り裂かれた一部始終を、まるで他人事のように静かに見つめていた。
ドレイヴァスは斬り飛ばされた玉座の前に片膝をつき、深く頭を垂れる。
ザルグ、そして真理もそれに続いた。
ラグナスは虚ろな瞳で真理を見下ろす。
その瞳の奥――赤黒い“魔王の残滓”が、魔剣の主の登場に呼応するかのように、ゆらゆらと揺らめいていた。
◇
歴史は、幾度となく過ちを繰り返す。
アストラル大陸に生じた均衡の乱れは、ついには異界から呼ばれた兄妹の運命さえも狂わせ始めていた。
創造神アストレイアは静かに目を閉じ、深く息を吐く。
その周囲、次元の狭間にある『虚空の座』には、四柱の神々が集っていた。
戦と混沌の神――ヴァル=ゼルス。
彼は腕を組み、下界の混乱を肴にするかのように満足げな笑みを浮かべている。
記憶と真実の神――ミリディア。
彼女は痛ましげに眉をひそめ、悲哀に満ちた瞳で世界を見つめている。
闇と沈黙の神――ノクス=エルム。
いかなる状況にも揺らがず、石像のように静かに瞑想を続けている。
そして――
兄妹を呼び寄せてから一向に姿を見せない、地球神テラ=ポコポン。
アストレイアの前に浮かぶ天秤は、すでに魔と人の間で大きく傾き、軋みを上げていた。
このままでは世界は崩壊し、星そのものの生命力が削り取られてしまう。
アストレイアの脳裏に、一瞬だけ“干渉”という言葉がよぎる。
神による直接的な干渉を禁忌とした理由。それは、神々自身の強大すぎる力が世界を壊さないための戒めでもあった。
勇者と魔王――。
相反する二つの特異点が互いを牽制し合うことで、世界は長く均衡を保てると信じていた。
だが、その均衡は先の大戦で決定的に崩れた。
光と闇。希望と絶望。祈りと憎しみ。
一方的な偏りが生んだ歪みは、多くの犠牲の果てにようやく癒えたはずだった。
――それでも、世界の本質は変わらなかった。システム自体が限界を迎えているのだ。
「ポコポンはどうしたんだ。こうなったのは、あいつにも大きな責任があるだろうが」
ヴァル=ゼルスが野卑に笑いながら言い放つ。その声音に危機感はない。
「あなたがまた、あの者に悪知恵を吹き込んだのではありませんか? “元勇者としての責任”とやらを盾にして」
ミリディアが冷たく糾弾する。この二柱は、口を開けば必ず対立する。
「下らない! 俺はあの直情的な小僧に力を託しただけだ。今さら旧世代の勇者に出てこられても、盤面が荒れるだけで迷惑なんだよ!」
ヴァル=ゼルスは苛立たしげに虚空のテーブルに拳を叩きつけた。
「すぐ威圧する。図星を突かれるとすぐ暴力に訴える。野蛮な神は本当に困りものですわね」
ミリディアは肩をすくめ、冷ややかに目を伏せる。
「お前の恩寵が温すぎるからだろうが。もっとあのエルフもどきの小娘に踏ん張らせればいいじゃねえか、お姫様」
罵り合う二柱に、アストレイアは静かに、しかし絶対的な重圧を伴う声を落とした。
「……二柱とも、その辺りにしなさい。地球神については後ほど報告を受けます。高位の存在としての振る舞いを忘れないように」
最高神の静かな怒気に当てられ、二柱は渋々ながらも口をつぐんだ。
虚空の座には、再び重苦しい静寂が戻る。
アストレイアは、地上で交錯する兄妹の絆に、一筋の細い光を託し続けるのだった。
再び「虚空の座」が登場しました。神々の動向は今後の展開に必要なものですから、記憶を呼び起こす意味も込めて再度紹介しました。今回のポイントは真理の豹変ぶりとテラ=ポコポンが不在であるという事実。干渉することが神々の間で禁忌とされている事、などがあげられます。暗躍する古の影の存在とは誰なのか。ここまで来ると、さすがに誰なのか、決めないといけませんよね。さて、誰にしようか。




