混沌とする世界、兄妹に忍び寄る魔族の足跡
五国会談から勇斗と玲奈のシーンを矢継ぎ早に流します。ごちゃっと感はお許しください。
魔族の代表が去った会議室には、凍てつくような沈黙だけが残されていた。停戦協定の破棄。その責を一身に背負うように、ルミナ王国の召喚儀式責任者、クラウス=ヴェルディンは深く頭を垂れている。彼の表情からは、いかなる咎も受け入れるという鋼の覚悟が窺えたが、今は誰も彼を責めなかった。一個人の責任を問うている場合ではない。世界の均衡そのものが、今まさに崩れようとしているのだから。
沈黙を破ったのは、ノルディア帝国皇帝グラント・ハーンゴッド三世だった。
「皆の衆。問答はもはや不要。我らは早急に軍備を整え、来るべき戦いに備えるのみ。襲いかかる災いは、力で退ける。結果が全てだ」
ドワーフ王の巌のような視線が、各国の代表たちを射抜く。
「しかし、一国で成せることには限りがある。今こそ、セントリア連合として団結する時。異論はないな?」
ルシアス王が静かに頷き、ギルガメッシュ総督、ミカ・ヴェントル議長もそれに続く。異論を挟む者など、いるはずもなかった。ルシアス王はクラウスへ一瞥を送ると、有事の間の仮処分として、彼の職の解任と自室での軟禁を命じた。それは処罰であると同時に、他国からの追求を避けるための保護でもあった。
グラント皇帝の提案は全会一致で可決され、こうして世界は、魔族という明確な脅威に立ち向かうべく、再び一つにまとまった。まるで、そうなることが定められていたかのように。
世界が再び混沌の時代へと逆戻りする中、引き裂かれた兄妹の運命もまた、新たな局面を迎えようとしていた。
◇
その頃、勇斗はサウスヴェントル共和国の港にいた。失踪した護衛艇の情報を追い、仲間たちと共に南の海を駆けていたのだ。
やがて掴んだのは、南方の孤島を拠点とする『深紅潮牙団』と名乗る魚人海賊団の噂だった。
だが、彼らのアジトとされる島は、巨大な渦潮によって守られた天然の要害。通常の船では接近すら叶わない。
八方塞がりかと思われた矢先、事態は思わぬ形で動いた。島がスカイレイヴンの大群に襲われ、海賊団は壊滅した、という衝撃的な報せが舞い込んだのだ。
すぐさま、サウスヴェントルが誇る鳥型獣人、スウィフト率いる空路使節団が派遣された。
島の中央にぽっかりと空いた大穴の周囲には、惨劇の跡が生々しく残る。墜落したスカイレイヴンの死骸と、嵐が過ぎ去ったかのようにへし折られた木々。スウィフトたちは眉をひそめながら大穴の内部へと降下していく。
洞窟内は、さらに凄惨な光景が広がっていた。原型を留めぬほど破壊された船体と、無数の魚人族の亡骸。その中で、彼らは一つの牢を見つける。
「隊長! こちらに生存者が!」
牢の中から現れたのは、リアナたちを守るように盾を構える三牙戦団の兵士たちだった。その背後には、怯えながらも互いを支え合う非戦闘員の姿があった。勇斗の仲間たちは、無事だったのだ。
◇
サウスヴェントル共和国からエルダリア公国へ向かう連絡船の甲板は、穏やかな潮風に満ちていた。悪夢のような孤島での監禁から解放されたリアナとマジョルカの顔にも、ようやく安堵の色が浮かんでいる。
「ユウト様に頂いた耳飾り……海賊団に奪われてしまいました。本当に、申し訳ございません」
リアナが不意に、勇斗に向かって深々と頭を下げた。それは、かつて職人街の露天商グレイヴから、勇斗が皆に買って贈ったオレンジ・トパーズの耳飾りのことだった。
「気にするなって。無事だったのが一番だ。落ち着いたら、またみんなで買いに行こう。……マジョルカは、もう少し大きくなってからかな」
勇斗が笑い飛ばすと、リアナの裾に隠れていたマジョルカが、不思議そうに顔を覗かせる。隣で聞いていた真理も、優しく微笑んだ。
「リアナさんもマジョルカちゃんも、本当にご無事でよかったです。あんな惨状を生き延びたんですから、もう怖いものなしですね」
その言葉に、リアナの笑顔がわずかに引きつった。深紅潮牙団のアジトで見た、スカイレイヴンの襲撃跡――惨劇という言葉ですら生ぬるい光景が脳裏をよぎる。彼女はそっとポケットから、一つの耳飾りを取り出した。
「……これが、きっと私たちを守ってくれたんです」
掌で輝くのは、鮮やかな赤い宝石の付いた耳飾り。グレイヴが「お詫びだ」と言って彼女に手渡したものだ。海賊団の目を盗み、お守りのように密かに握りしめていたのだと語るリアナの表情は、どこか誇らしげであった。
(あれが、本当に……?)
勇斗は、言いようのない不思議な感覚でその赤い宝石を見つめた。
その時だった。
「ピラニオスの大群だ!」
船乗りの切迫した叫びと、リアナの短い悲鳴が重なる。
水面に目を向けた勇斗の視界の端を、黒い影が猛スピードでよぎった。カラスに似た一羽の鳥が、一直線にリアナの手元へ飛び込み、耳飾りを鮮やかに奪い去っていく。
「なっ……!」
鳥が空高く舞い上がった、次の瞬間。常識では考えられない光景が広がった。
ざわめいていた水面が爆ぜ、無数のピラニオスがまるで一つの生き物のように空へ跳ね上がったのだ。それは巨大な水の柱となり、逃げ惑う鳥の進路を完全に塞いでいく。
逃げ場を失った鳥は、そのうちの一匹に捕らえられると、けたたましい水音と共に水中へと引きずり込まれていった。
荒々しく跳ねていたピラニオスの群れは、やがて何事もなかったかのように静まり返り、その姿を水中に消した。
甲板には、呆然と立ち尽くす人々だけが残される。ただ、災厄が通り過ぎたあとの、不気味な静寂だけが漂っていた。
◇
一方で、玲奈は暗黒の森へ再び足を踏み入れた。
兄を探すために重ねた修行の日々は、彼女の立ち姿にも、歩くリズムにも、確かな成長を刻み込んでいる。そして隣には、今や最も信頼するパートナーとなったヴァルドがいた。
目指すゼルファ村は、北東の霧深い谷の奥にある。谷を抜けた瞬間、空気が肌を刺すように冷たくなり、玲奈は思わず肩をすくめた。白い霧の帳の向こうに、石造りのアーチがぼんやりと浮かび上がる。表面に刻まれた古い魔方陣が、淡い青の光を脈打たせていた。
ヴァルドがその文様にそっと触れると、霧が晴れるように視界が拓ける。
そこに広がっていたのは、巨大な書架で組み上げられたかのような村だった。
家々は段々に連なり、壁面には様々な刻印が彫り込まれ、魔力に呼応して色とりどりの光を放つ。その幻想的な光景に、玲奈は感嘆の声を漏らした。
「まず、あそこへ行こう」
ヴァルドが指差した先には、霧の中からそびえ立つ一本の細長い塔があった。ゼルファ村の首長、エルメラが住まう“知識の塔”だ。
塔の内部は、壁一面を埋め尽くす書架が螺旋状に最上階まで続き、まるで知識そのものが天を目指しているかのようであった。その圧倒的な光景に玲奈が息を呑んでいると、上階から杖の音が響き、一人の老魔導師が姿を現した。
鋭い視線が玲奈を射抜く。
「ここは、お嬢さんのような人間が軽々しく足を踏み入れる場所じゃない。とっととお帰り」
エルメラは吐き捨てるように言い放った。戸惑う玲奈の前に、ヴァルドが慌てて進み出る。
「エルメラ様、どうか話だけでも――」
「お前はいつから人間の犬になったんだい? ……それより、聞きたいことがある」
エルメラは表情を改め、一人の少女の名を口にした。ヴァルドは顎に手を当ててしばし考え込んだ後、静かに首を横に振る。
「いいえ、リュミエ村には……。その子、帰ってこないのですか?」
「ああ。一週間は姿を見ていない。いなくなったのはもっと前かもしれない。あの子には親がいないからね……気にかけてくれる者も少ないんだ」
その言葉に、玲奈の胸が痛んだ。だが、今はその気持ちに蓋をした。意を決して、声を上げる。
「あの……兄を探しています! この村に、ユウトという男の人が来ていませんか?」
「……はあ?」
エルメラは呆気に取られたように目を丸くした。ヴァルドがこれまでの経緯を順序立てて説明すると、老魔導師は黙って耳を傾け、やがて玲奈の真っ直ぐな瞳をじっと見つめた。
「……気の毒だが、ユウトという名は知らない。そもそも、この村に人間は一人もいないんだよ」
玲奈の肩が、小さく震えた。
エルメラはわずかに躊躇う素振りを見せると、一冊の古びた本を書架から抜き出した。
「ヴァルドの話が真なら、この文字が読めるはずだ」
テーブルに広げられたページ。そこに記されているのは、見たこともない文字だった。しかし、玲奈の目には、その意味が流れ込んでくる。まるで、ずっと前から知っていたかのように、自然と唇から言葉がこぼれ落ちた。
「……異界の者、現れる時、天の神は試練を下す。世界は抗い、王は滅ぶ――」
読み終えた瞬間、玲奈はハッと我に返り、両手で口元を押さえた。
(今、私は何を……?)
「……やはりな」
エルメラは遠くを見るように目を細めた。
「この世界の神は、お前たち兄妹を呼び寄せた。ならば、この一連の出来事にお前の兄も関わっているはずだ」
「それじゃあ……兄は」
「ああ。おそらく、無事だよ」
その言葉が、玲奈の世界に光を灯した。気づけば、隣に立つヴァルドの胸に飛びつき、堰を切ったように涙を流していた。驚きながらも、ヴァルドは優しくその頭を撫でる。
その光景を見て、エルメラは「ふむ」と小さく頷いた。
「ヴァルド、ぼさっとしているんじゃないよ。……お嬢さん、あんたには手伝ってもらいたいことがある。この世界で古代文字を読める者は、貴重だからね」
その口調は厳しかったが、目元には確かな優しさが滲んでいた。
「は、はい! よろしくお願いします!」
兄の無事を確信し、玲奈の心に新たな決意が宿る。それは、この世界で自分にしかできない役割を見つけた、確かな一歩であった。
その日から、玲奈はゼルファ村に滞在し、古文書の解析を手伝いながら精霊について学ぶ日々を送っていた。
行方の分からない少女のことは気になるが、兄の手がかりに繋がりそうな知識を得られる毎日は、沈んでいた心に確かな光を灯してくれた。
魔族が残した記録を紐解くうち、彼らがかつて精霊と深く関わっていたことが分かってきた。リュミエ村が神木として奉る黒樹も、その名残の一つなのだろう。
――だとしたら、精霊と出会った自分は、想像以上に重要な役割を担っているのかもしれない。
兄さんと再会できた時、私はちゃんと胸を張って隣に立てるだろうか。そんな小さな不安が、ふと胸をよぎった。
そんなある日のこと。ゼルファ村に、場違いなほど仕立ての良い燕尾服を着た魔人がやって来た。
暗黒の森を囲む影の山脈――その山頂に築かれた魔王城“ネザレム”から、失踪事件の調査に派遣された特使なのだという。
現れた魔人は、血の気のない青白い肌に、全てを見透かすような赤い瞳をしていた。黒髪は一筋の乱れもなくオールバックに整えられ、一見すると紳士的な風貌だ。しかし、その態度はあまりに横柄で、エルメラたちを見下す冷ややかな視線に、玲奈は思わず眉をひそめた。
エルメラからは「絶対に姿を見せるんじゃないよ」と固く釘を刺されていたが、好奇心には勝てない。ラグス直伝の隠密術で物陰に潜み、遠巻きに様子を窺っていた。
(――最初に会った魔族の人が、ヴァルドさんで本当に良かった……)
遠目にも嫌悪感を覚える魔人を尻目に、玲奈は心の底から安堵のため息をついた。
◇
木漏れ日が差し込む、こぢんまりとした食堂。香ばしい肉の匂いと薪のはぜる音が、暖かな空気に溶けている。天井の梁には薬草の束が吊るされ、昼時を過ぎても村人たちの活気で満ちていた。
遅い昼食をとりながら、玲奈は先ほどの魔人について尋ねた。
「ネザレムの方とは、普段から交流があるんですか?」
「頻繁じゃないさ」
山獣肉の香草焼きを切り分けながら、エルメラは苦々しい顔で答える。「いつもは魔法技術や古文書の情報を寄越せと、一方的に要求してくるだけ。今日みたいな『通達』なんて、初めてじゃないかね」
「カロル村にも同じような通達があったと、トゥーリから聞きました」
先日リュミエ村に戻った際に得た情報を、ヴァルドが静かに付け加える。
「少女が一人いなくなったくらいで、わざわざ魔将候補殿が出向いてくるとはね。妙な話だよ」
エルメラは森茸のスープをひと口すすると、忌々しげにため息をついた。「おまけに“他言は無用”と釘まで刺していく。気に食わないことこの上ないね」
玲奈は濃厚なスープに黒麦パンを浸しながら、二人の険しい表情を交互に見た。
「その子……そんなに大事な子なんですか?」
「まあ。あの子は“純魔”だからね」
エルメラは口元をナプキンで拭い、玲奈の目をまっすぐに見て言った。
「魔族は血統を重んじる。我々のような混血と、魔力の源泉たる魔胎泉から直接生まれる純魔とでは、天と地ほど扱いが違うのさ」
「純魔……」
初めて聞く言葉だった。けれど、その響きには何か特別な力が宿っているように感じられる。
玲奈は山果実のジュースで喉を潤し、頭の中で懸命に考えを巡らせた。そして、小さな希望の欠片を見つけたように、ぱっと顔を輝かせた。
「あの、もしかして……その純魔の子を見つけたら、ネザレムにすごく感謝されますよね? そしたら、お願いを聞いてもらえるかも……。お兄ちゃんを探すのを、手伝ってほしいって……」
自信なさげに、玲奈は二人の顔を窺う。
突拍子もない提案に、エルメラとヴァルドは一瞬きょとんとし、それから同時にふっと表情を緩めた。
「……はは、お前さんは本当に、お人好しというか……」
呆れたように笑うエルメラの隣で、ヴァルドも穏やかな眼差しを玲奈に向けていた。その温かい空気に、玲奈は照れたように頬をかき、はにかんだ。
かなり大幅修正が入っています。もうエンディングも違います。でも勇斗と玲奈の再会は近いはず。時間軸の違いに気づいた方はいらっしゃいますか? 勇斗の今と玲奈の今は、実は違います。だから出会いは戦いの前にするか後にするか。戦いの火蓋をいつ切るか。レオニスの活躍が……全然、思い浮かばない。




