第5話 母の日
五月。
暖かな風が吹く季節。
施設の庭には色とりどりの花が咲いていた。
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ある日の学校。
先生が教室に入るなり言った。
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「みなさん、もうすぐ母の日ですね。」
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子供たちが一斉に声を上げる。
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「はーい!」
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「お母さんにお手紙書く!」
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「肩たたき券作る!」
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楽しそうな声。
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だけど。
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美咲だけは笑えなかった。
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先生は画用紙を配る。
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「今日はお母さんの絵を描きましょう。」
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クレヨンの音が教室に響く。
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みんな夢中で描いていた。
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優しいお母さん。
笑っているお母さん。
料理しているお母さん。
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しかし。
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美咲の画用紙だけ真っ白だった。
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描けない。
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母の顔は覚えている。
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忘れたわけじゃない。
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むしろ。
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忘れたくない。
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だけど。
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描こうとすると涙が出る。
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「美咲ちゃん?」
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先生が優しく声を掛けた。
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「大丈夫?」
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美咲はうつむいた。
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そして小さな声で言った。
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「お母さん……いないから。」
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教室が静かになった。
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先生は何も言わなかった。
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ただ。
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優しく肩に手を置いた。
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その温かさが逆につらかった。
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美咲は涙をこらえながら画用紙を見つめ続けた。
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その日の夕方。
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面会時間。
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中庭のベンチで悠真と会った。
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「どうした?」
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悠真はすぐ気付いた。
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美咲の目が赤い。
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泣いた顔だった。
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「学校でね……」
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美咲は今日の出来事を話した。
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母の日。
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お母さんの絵。
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描けなかったこと。
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話しながらまた涙が溢れてきた。
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「私ね……」
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「うん。」
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「お母さんの顔忘れたらどうしよう。」
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悠真の胸が締め付けられる。
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それは自分も怖かったことだった。
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母の声。
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母の笑顔。
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母の匂い。
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少しずつ薄れていく気がしていた。
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「忘れないよ。」
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悠真は静かに言った。
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「でも……」
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「忘れない。」
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今度は強く言った。
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「だって母さん、いっぱい思い出残してくれたじゃん。」
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美咲は涙を拭いた。
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「思い出?」
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「うん。」
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悠真は少し笑った。
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「覚えてるか?」
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「何を?」
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「母さん、ハンバーグ焦がしたこと。」
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美咲がぽかんとする。
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そして。
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「あ!」
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思い出した。
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真っ黒になったハンバーグ。
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母が慌てていた姿。
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三人で笑った夜。
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「ふふっ。」
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久しぶりに笑った。
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「あとさ。」
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「うん。」
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「雨の日に傘忘れて迎えに来てくれたろ。」
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「あった!」
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「母さん、自分もびしょ濡れだった。」
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「ふふふ!」
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二人は少しずつ話し始めた。
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母との思い出を。
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優しかったこと。
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怒られたこと。
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笑ったこと。
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泣いたこと。
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気付けば夕方は夜になっていた。
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空には星が輝いている。
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二人は並んで空を見上げた。
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「お母さんいるかな。」
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美咲が呟く。
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悠真は少し考えた。
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そして言った。
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「いると思う。」
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「どこに?」
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「見えないだけ。」
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美咲は空を見つめた。
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無数の星。
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どれが母なのか分からない。
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でも。
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なんとなく。
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見守られている気がした。
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すると。
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美咲が突然言った。
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「私ね。」
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「うん。」
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「お母さんのこと忘れない。」
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「うん。」
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「絶対忘れない。」
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悠真は笑った。
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「俺も。」
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その時だった。
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美咲はポケットから大切そうに何かを取り出した。
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折り紙の星だった。
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クリスマスの日にもらった宝物。
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今でも持ち歩いている。
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「これ見ると安心するの。」
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「まだ持ってたのか。」
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「当たり前だよ。」
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そう言って胸に抱きしめた。
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悠真は少し照れくさくなった。
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だが。
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嬉しかった。
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母を失った日から。
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少しずつ。
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本当に少しずつだけど。
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美咲は前を向き始めていた。
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そして悠真も。
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母との約束を守りながら。
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少しずつ成長していた。
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夜空の星が優しく輝いていた。
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まるで。
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「よく頑張ってるね」
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そう言っているように。
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二人を見守りながら。




