第15話 看護師になった妹
春が過ぎた。
⸻
美咲は新人看護師として働き始めていた。
⸻
病院は想像以上に忙しかった。
⸻
朝から走り回る。
⸻
患者さんのケア。
⸻
記録。
⸻
検温。
⸻
点滴の準備。
⸻
覚えることは山ほどあった。
⸻
⸻
毎日失敗した。
⸻
先輩に注意される。
⸻
落ち込む。
⸻
泣きながら寮へ帰る日もあった。
⸻
⸻
そんな夜。
⸻
決まって電話する相手がいた。
⸻
⸻
「お兄ちゃん。」
⸻
⸻
「おう。」
⸻
⸻
たったそれだけで安心できた。
⸻
⸻
「今日ね。」
⸻
⸻
話し始める。
⸻
失敗したこと。
⸻
褒められたこと。
⸻
怖かったこと。
⸻
⸻
悠真は黙って聞く。
⸻
⸻
最後に必ず言う。
⸻
⸻
「大丈夫。」
⸻
⸻
その言葉は。
⸻
昔から変わらない。
⸻
⸻
⸻
ある日。
⸻
美咲は一人の患者を担当することになった。
⸻
⸻
八十代のおじいさん。
⸻
名前は田中さん。
⸻
⸻
入院期間が長い。
⸻
家族もあまり来ない。
⸻
⸻
いつも窓の外を見ていた。
⸻
⸻
最初は会話も少なかった。
⸻
⸻
「おはようございます。」
⸻
⸻
「おはよう。」
⸻
⸻
それだけ。
⸻
⸻
しかし。
⸻
美咲は毎日話しかけた。
⸻
⸻
天気の話。
⸻
花の話。
⸻
ニュースの話。
⸻
⸻
少しずつ。
⸻
少しずつ。
⸻
心を開いてくれた。
⸻
⸻
そして。
⸻
ある雨の日だった。
⸻
⸻
病室の窓を見ながら。
⸻
田中さんがぽつりと言った。
⸻
⸻
「君は優しいな。」
⸻
⸻
美咲は照れた。
⸻
⸻
「そんなことないですよ。」
⸻
⸻
すると。
⸻
田中さんは首を振った。
⸻
⸻
「あるよ。」
⸻
⸻
「……。」
⸻
⸻
「君が来ると安心する。」
⸻
⸻
その言葉に。
⸻
美咲は少し驚いた。
⸻
⸻
昔。
⸻
実習中にも似たことを言われた。
⸻
⸻
でも。
⸻
今は違う。
⸻
⸻
看護師として。
⸻
正式に働いている。
⸻
⸻
だからこそ。
⸻
重みが違った。
⸻
⸻
「ありがとうございます。」
⸻
⸻
そう答えたが。
⸻
胸の奥が熱くなった。
⸻
⸻
その夜。
⸻
寮へ帰る。
⸻
⸻
疲れていた。
⸻
でも。
⸻
どこか嬉しかった。
⸻
⸻
携帯を手に取る。
⸻
⸻
電話を掛ける。
⸻
⸻
「もしもし?」
⸻
⸻
「お兄ちゃん!」
⸻
⸻
声が弾んでいた。
⸻
⸻
「なんか良いことあったか?」
⸻
⸻
すぐに見抜かれる。
⸻
⸻
「なんで分かるの?」
⸻
⸻
「長年の勘。」
⸻
⸻
二人は笑った。
⸻
⸻
そして。
⸻
今日あった出来事を話した。
⸻
⸻
田中さんのこと。
⸻
安心すると言われたこと。
⸻
⸻
話し終えると。
⸻
悠真は静かに言った。
⸻
⸻
「良かったな。」
⸻
⸻
「うん。」
⸻
⸻
「看護師になったんだな。」
⸻
⸻
その一言で。
⸻
美咲の目に涙が浮かんだ。
⸻
⸻
夢だった。
⸻
⸻
ずっと。
⸻
ずっと夢だった。
⸻
⸻
そして。
⸻
その夢は。
⸻
今。
⸻
現実になっている。
⸻
⸻
電話を切った後。
⸻
⸻
美咲は窓の外を見た。
⸻
⸻
夜空。
⸻
⸻
その向こうには。
⸻
母がいる気がした。
⸻
⸻
「お母さん。」
⸻
⸻
小さく呟く。
⸻
⸻
「私、頑張ってるよ。」
⸻
⸻
そして。
⸻
もう一つ。
⸻
心の中で続けた。
⸻
⸻
「お兄ちゃんのおかげで。」
⸻
⸻
⸻
数日後。
⸻
病院から帰宅した美咲は、一通の封筒を受け取る。
⸻
差出人は悠真。
⸻
中には一枚の紙が入っていた。
⸻
それを見た瞬間。
⸻
美咲の顔から血の気が引いた。




