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告発の年代記 〜真実を書いたはずの記録が、人を殺す証拠になっていた〜  作者: 三交代制コーヒーライター
第2章 異端の町

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第7話「神はどちらの門に立たれるのですか」

教会裏の風は、表の広場より冷たかった。


 石壁に遮られて、火の匂いも、人の息も、少し遠い。


 そのかわり、草の匂いがした。


 踏まれた草。


 濡れた土。


 古い墓石にたまった夜露。


 教会の裏庭には、小さな墓が並んでいる。


 名のある墓。


 名の削れた墓。


 ただ石を置いただけの墓。


 昼間なら、子どもが走り抜けることもある場所だった。


 今夜は、誰も走らない。


 司祭だけが膝をついていた。


 祈る形で。


 祈れない顔で。


「神はどちらの門に立たれるのですか」


 私はもう一度、同じ問いを置き直した。


 答えが欲しかった。


 正しい答え。


 町へ持って帰れる答え。


 ベルトランに渡せる答え。


 リアに、マレーヌに、ギヨームに、まだ名を出されていない誰かに、これでいいと言える答え。


 紙に書ける答え。


 司祭はすぐには返さなかった。


 彼の手は組まれたままだった。


 指の節が白くなっている。


 祈りではなく、手が手を押さえているように見えた。


「マティアス」


 ようやく、司祭は言った。


「その答えを知る者が、戦を始めるのです」


 私は息を止めた。


 望んだ答えではなかった。


 だが、逃げた答えにも聞こえなかった。


「戦は、もう外にあります」


「ええ」


 司祭はうなずいた。


「外にもあります」


「内にも、あります」


 私がそう言うと、司祭は目を伏せた。


 否定しなかった。


 否定してほしかった。


 せめて、そこまでは来ていないと言ってほしかった。


 まだ町は町です、と。


 まだ隣人は隣人です、と。


 まだ家の扉は、家の扉です、と。


 だが司祭は、そう言わなかった。


 教会の表から、かすかなざわめきが届いた。


 誰かが名を呼んでいる。


 まだはっきりしない。


 だが、名を呼ぶ時の声だった。


 人を探す声ではない。


 人を決める声。


「代表者が待っています」


 私は言った。


「司祭様が、町民に言えば」


「何を?」


「神は、人を差し出せとは望まれない、と」


 言ってから、自分の言葉の軽さが怖くなった。


 神。


 望まれない。


 私はいま、誰の名を使おうとしたのか。


 司祭は顔を上げた。


 怒ってはいなかった。


 悲しんでもいなかった。


 もっと疲れた顔だった。


「それを私が言えば、町は救われると思いますか?」


「少なくとも、止まります」


「何が」


「人を……選ぶことが」


「いいえ」


 司祭は静かに首を振った。


「人は、別の言葉で選びます」


 私は黙った。


 司祭は組んだ手を見下ろした。


「神の名で止めれば、今度は神に逆らった者を探します。町のために止めれば、町を危うくした者を探します。母を守るために止めれば、その母のために誰が危うくなったのかを探します」


 彼の声は低かった。


 低いのに、一つずつ耳に残った。


「言葉は、止めるためにも使えます。けれど、止める言葉もまた、誰かを指すことがあります」


 私は、広場で見た巻物を思い出した。


 教会の封蝋が残る紙。


 ドミニクの手の中で、町の司祭の足を止めた紙。


 あの紙には、何と書いてあったのか。


 私は全部を読んでいない。


 見えたのは、印。


 肩書き。


 教会直属の査問使。


 調べよ。


 おそらく、そういう意味の文だったはずだ。


 だが、広場で人々が聞いたのは違った。


 決めよ。


 分けよ。


 差し出せ。


 紙に書かれていない言葉まで、町は読んだ。


 読まされた。


 私も、その一人だった。


「あの委任状は」


 私は言った。


 司祭が目を上げる。


「あれは、ドミニク修道士に調べることを許すものですか?」


「そうです」


「決めることを、許すものではない」


 司祭はすぐには答えなかった。


 その沈黙が、答えだった。


 私は続けた。


「なら、なぜ町は従うのですか」


「印があるからです」


「印だけで」


「印だけではありません」


 司祭は、やっと手をほどいた。


 指先が震えていた。


「人は、印を見る時、自分の恐れも一緒に読みます。紙に書かれていないことを、恐れが補う。だから紙は重くなる」


 教会の鐘楼が、風でかすかに鳴った。


 鐘が鳴ったわけではない。


 吊られた金属が、夜の中で少し揺れただけだ。


 それでも私は肩を震わせた。


 夜明けまで。


 その言葉が、どこにでも入り込む。


「司祭様は」


 私は聞いた。


「止めないのですか」


「止めたい」


 それは、あまりに早い返事だった。


 考えて出した言葉ではない。


 ずっと胸の中にあった言葉が、触れられてこぼれたようだった。


「止めたいのです」


 司祭はもう一度言った。


「けれど私は、自分の言葉で誰かを救えるほど、強くありません」


「強くなくても」


「強い者の言葉だけが人を殺すのではありません」


 司祭は私を見た。


 目が赤い。


 けれど、その奥にまだ濁っていないものがあった。


「弱い者が、強い名を借りる時も、人は死にます」


 私は何も言えなかった。


 司祭が神の名を借りることを恐れている。


 それは、臆病に見える。


 広場の人々はそう見るだろう。


 ベルトランも苛立つかもしれない。


 ギヨームなら、短く舌打ちするかもしれない。


 リアなら、そんな弱い糸で何を縫うの、と言うかもしれない。


 だが私は、その怖さを少しだけ理解してしまった。


 ベルナールの問い。


 ジルの声。


 私の筆。


 あの時、私は強い者ではなかった。


 ただの若い書記だった。


 けれど、私の書いたものは、人の死に近づいていった。


 弱い手でも、紙の上では刃になる。


 それを私はもう知っている。


「では」


 私はかすれた声で言った。


「何を書けばいいのですか」


 司祭は、少しだけ目を閉じた。


「分からない、と」


「それは、報告になりません」


「ええ」


「代表者は怒ります」


「ええ」


「ドミニク修道士は、無用な書記だと言うでしょう」


「かもしれません」


「町民は、答えを欲しがっています」


「知っています」


 短い返事ばかりだった。


 だが不思議と、突き放されている感じはなかった。


 司祭は、答えを持たないまま、逃げずにそこにいた。


 それが、いちばん耐えがたい誠実さに見えた。


「分からない、と書いて、誰かが助かりますか?」


「すぐには」


「なら」


「けれど、分かるふりをして書けば、誰かはすぐに失われます」


 風が止まった。


 一瞬だけ、裏庭の草が動かなくなる。


 町も止まったように思えた。


 もちろん、そんなことはなかった。


 町は止まらない。


 外の兵も止まらない。


 夜明けも止まらない。


 止まったのは、私の中の何かだけだった。


 答えがないことを、答えとして持って帰る。


 そんなものを、誰が受け取るのか。


 私は受け取れるのか。


「司祭様」


 表の方から声がした。


 若い助祭だった。


 息を切らしている。


「広場に、町民が集まっています」


 司祭は立ち上がろうとした。


 膝が一度、力を失った。


 私は手を伸ばした。


 彼は私の腕を借りた。


 軽かった。


 大人の男なのに、ひどく軽く感じた。


「誰の家に」


 司祭が聞いた。


 助祭は一度、私を見た。


 私に聞かせるべきか迷ったのだろう。


 その迷いで、私はもう分かった。


「布屋です」


 助祭は言った。


「マレーヌさんの家の前に、人が」


 司祭の手が、私の腕の上で固くなった。


 表の広場から、声が大きくなってきた。


 戸を叩く音が混じっている。


 一度。


 二度。


 三度。


 人が扉を叩く音は、鐘より乱れている。


 乱れているから、怖い。


 誰かが叫んだ。


「開けろ」


 その声が、教会裏まで届いた。


 司祭は目を閉じた。


 祈りではない。


 痛みに耐えるための顔だった。


 私は記録板を抱え直した。


 何を書けばいいのか、まだ分からない。


 だが、分からないままでも、行かなければならなかった。


 表へ出る石段の向こうで、町が一つの家へ集まっていく。


 白い印のない扉へ。


 まだ朝ではなかった。


 それなのに、誰もがもう、夜明けに間に合わせる顔をしていた。

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