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告発の年代記 〜真実を書いたはずの記録が、人を殺す証拠になっていた〜  作者: 三交代制コーヒーライター
第2章 異端の町

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第6話「夜明けまで」

夜明けまで。


 その言葉は、城壁の石に当たり、町の中へ落ちてきた。


 落ちてきたものは、音だけではなかった。


 時間だった。


 町に残された時間。


 考える時間。


 迷う時間。


 誰かの名を口にするまでの時間。


 それらが全部、夜明けまでという一言に押し込められた。


 城門の前に、使者が立っていた。


 馬には乗っていない。


 槍を持っている。


 槍先には、細く巻かれた紙が結ばれていた。


 紙は風に震えている。


 怖がっているように見えた。


 もちろん、紙が怖がるはずはない。


 怖がっていたのは、それを見る私たちの方だった。


 ギヨームは門の上から使者を見下ろしていた。


 両手は城壁の縁をつかんでいる。


 指が白い。


 白い印ではない。


 力を入れすぎた人間の白だった。


「サン=ヴェールへ」


 使者が言った。


 声は、門の上まで届いた。


「夜明けまで。異端を渡せ」


 町の中で、誰かが息を呑んだ。


 それが誰だったのか、分からない。


 私かもしれない。


 ベルトランかもしれない。


 門の陰に集まっていた町民かもしれない。


 ひとつの息が、すぐに幾つもの息へ分かれた。


 夜明けまで。


 異端を渡せ。


 その二つの言葉は、町民の口に入るには硬すぎた。


 だから、すぐに別の形へ砕かれていく。


 誰を。


 何人。


 どの家。


 白い印のない家。


 祈りが遅れた家。


 母親が奥に隠れている家。


 言葉は、勝手に道を見つける。


 私は記録板を抱えていた。


 書くためではない。


 胸の前に何かを置いていないと、息が浅くなりすぎるからだ。


 ベルトランが門の下へ進んだ。


 見上げる。


「その紙を渡せ」


 使者は、槍を少し上げた。


 槍先に結ばれた巻物が揺れた。


 門は開かない。


 開けられない。


 開ければ、それだけで町が先に折れたように見える。


 だが、紙は受け取らなければならない。


 ギヨームが短く言った。


「籠を下ろす」


 門の内側から、小さな荷籠が縄で下ろされた。


 普段は、外から来た者の通行札や小さな荷を確かめるためのものだ。


 人を入れずに、物だけを受け取る。


 門番の知恵だった。


 使者は槍先の紙をほどき、籠へ入れた。


 その動きは丁寧だった。


 丁寧すぎた。


 まるで、こちらに礼を尽くしているかのように。


 籠が引き上げられる。


 ギヨームは紙を取らなかった。


 すぐ横にいた若い衛兵が手を伸ばしかける。


 ギヨームはその腕を押さえた。


「代表に渡せ」


 言葉は短い。


 だが、腕を押さえる手は強かった。


 自分の手で受け取れば、自分が門を開けたような気がするのだろう。


 紙一枚でも、そうなのだ。


 私はその気持ちが少し分かった。


 紙は、扉より軽い。


 けれど、開けるものは扉だけではない。


 ベルトランが巻物を受け取った。


 封蝋は赤かった。


 教会の印が押されている。


 ドミニクの名もあった。


 教会直属の査問使。


 その肩書きが、夜の中で妙に乾いて見えた。


 ベルトランは封を切った。


 目を走らせる。


 口元が固くなった。


 読まずとも、内容は分かっている。


 さっき聞いた言葉が、紙の中で整えられているだけだ。


 夜明けまで。


 異端の疑いある者を差し出すこと。


 協力する家を示すこと。


 拒む者は町全体の拒絶と見なすこと。


 紙の上では、どれもまっすぐな文字だった。


 まっすぐな文字は、人を曲げる。


「人間を門から出すのか」


 ギヨームが言った。


 城壁の上からではない。


 いつの間にか、階段を下りてきていた。


 息が荒い。


 門の鉄粉と汗の匂いがした。


「家畜みたいに」


 使者は答えなかった。


 もう用件は済んでいる。


 答える必要がない顔だった。


 その顔が、ギヨームをさらに怒らせた。


「聞こえなかったか。人間だぞ。名前がある。家がある。飯を食う。寝る。門を出す時だけ、数にするのか」


「私は伝えた」


 使者は言った。


「夜明けまで」


「そればかりだな」


 ギヨームが一歩出た。


 ベルトランが腕で止める。


「衛兵長」


「代表、これは門じゃない」


 ギヨームはベルトランを見た。


「屠り場の柵だ」


 その言葉に、周囲の町民がざわめいた。


 誰かが「そんな言い方を」と言った。


 誰かが「でも」と言った。


 でも。


 その後に続く言葉を、私は聞きたくなかった。


 でも、出さなければ全員が。


 でも、誰か一人なら。


 でも、印のない家なら。


 でも、疑われている者なら。


 でも、母親ひとりなら。


 言葉はまだ声になっていない。


 それでも、町の空気にはもう混じっていた。


 ベルトランは巻物を握りしめた。


「広場へ戻る。代表者を集める」


「集めてどうする」


 ギヨームが言った。


「夜明けまでに、人の出し方を相談するのか」


「出さない方法を探す」


「門は閉めている」


「分かっている」


「俺は閉めている」


「分かっている」


「なのに、あいつらはもう中にいるみたいな顔をしている」


 ギヨームの声が、そこで少し低くなった。


「門の中で、こっちが勝手に道を作ってるからだ」


 ベルトランは返せなかった。


 私も返せなかった。


 門は閉まっている。


 だが白い印は塗られた。


 名は囁かれた。


 候補は作られた。


 町はまだ外敵を入れていない。


 けれど、外の言葉だけはもう家々の中に入っていた。


 その頃、リアは店の奥で母の手を引いていた。


 これは、後でエティエンヌから聞いた。


 彼の話はところどころ乱れていた。


 自分が何を言ったかより、リアが何を言ったかばかり覚えていた。


 だから私は、全部を正確には書けない。


 ただ、その夜、リアが母を隠そうとしたことだけは確かだ。


 布屋の奥には、古い地下倉があった。


 湿気を嫌う布は本来、地下に置かない。


 それでも、古い羊毛や売り物にならない端切れ、壊れた木箱はそこへ押し込まれていた。


 床板を上げると、冷たい空気が上がってくる。


 リアは片手に燭台を持ち、片手で母の手を引いた。


「早く」


「そんなに引かなくても、足はまだついています」


 マレーヌは静かに言った。


「今は冗談いらない」


「冗談ではありません。転んだら、あなたがまた怒るでしょう」


「怒るから転ばないで」


「難しい注文ね」


 マレーヌの声は、いつもと大きく変わらなかった。


 それがリアを苛立たせた。


 母が泣けば、抱きしめられた。


 母が叫べば、いっしょに叫べた。


 けれど、母は静かだった。


 静かに階段を下り、静かに壁へ手をつき、静かに娘の焦りを受け止めていた。


 リアはそれが怖かった。


 母がもう、自分より先のことを考えている気がしたからだ。


「ここなら見つからない」


 リアは言った。


「羊毛の袋を前に積む。上に反物を置く。私が店に立つ。誰かが来たら、母さんは裏口から」


「裏口の先はどこ」


「路地」


「路地の先は」


「井戸裏」


「井戸裏の先は」


「南門の羊毛倉」


「そこにも誰かがいるでしょう」


「いなければ行ける」


「いれば?」


「黙ってて」


 リアの声が鋭くなった。


 マレーヌは黙った。


 その沈黙に、リアはすぐ傷ついた顔をした。


「違う。今のは」


「分かっています」


「分かってない」


「そうかもしれません」


 マレーヌは、娘の髪へ手を伸ばした。


 リアは避けなかった。


 母の指が、乱れた髪を耳の後ろへ流す。


 子どもの頃と同じ手つきだった。


 その手つきが、今は残酷だった。


 子どもの頃と同じことができるのに、子どもの頃には戻れない。


「リア」


「なに」


「私が隠れれば、誰かが代わりに選ばれます」


「知らない」


「知っています」


「知らないって言ってる」


「あなたは知っています」


 リアは燭台を木箱の上に置いた。


 火が揺れる。


 地下の壁に、二人の影が大きく伸びた。


「母さんを選ぶくらいなら、別の誰かを選べばいい」


 言ってから、リアは息を止めた。


 自分の言葉が、自分の口から出たことを信じたくない顔だった。


 マレーヌは責めなかった。


 責めないことが、リアには余計につらかった。


「そう思うのは、悪いことではありません」


「悪い」


「娘なら、そう思います」


「じゃあ母さんは」


「母なら、別の娘を見てしまいます」


 リアは何も言えなかった。


 マレーヌは続けた。


「私が隠れて、誰か別の母親が門へ連れていかれる。すると、その娘はあなたと同じ顔をします」


「やめて」


「私はその顔を、見ないふりができない」


「やめてって言ってる」


「だから、迷っています」


 リアは顔を上げた。


 マレーヌは微笑んでいなかった。


 強い顔でもなかった。


 ただ、疲れていた。


 とても疲れた顔だった。


「立派なことを言っているのではありません。怖いのです。隠れるのも、出ていくのも、どちらも怖い」


「なら隠れて」


「隠れたら、あなたが私を守ったと思うでしょう」


「守りたい」


「守れなかった時、あなたは自分を責める」


「そんなの、あとでいい」


「あと、が来る人間は少ないのよ」


 リアの目に涙がたまった。


 それでもこぼれなかった。


 こぼせば、母が本当に危ないことを認める気がしたのだろう。


 彼女は泣く代わりに、古い布を引きずった。


 羊毛袋を動かす。


 木箱をずらす。


 母のための隙間を作る。


 息ができるだけの隙間。


 人が隠れるには狭すぎる。


 死ぬには広すぎる。


 そんな隙間だった。


「ここに入って」


 リアは言った。


「少しだけ。夜明けまで。夜明けを過ぎたら、きっと何とかする」


「夜明けまで、という言葉は」


 マレーヌは静かに言った。


「今夜、いろいろな人が使いますね」


「母さん」


「はい」


「お願いだから、今は私の言うことを聞いて」


 マレーヌは娘を見た。


 長い沈黙があった。


 やがて、彼女は頷いた。


 リアの顔に、ほんの少し光が戻った。


 だがマレーヌは、隙間に入る前に自分の袖を見た。


 袖口に、リアが急いで巻いた布紐があった。


 手を引くために巻いたものだ。


 逃げる途中で離れないように。


 マレーヌは、それをほどき始めた。


「何してるの」


「きついと、跡が残ります」


「跡なんてどうでもいい」


「後で、あなたが見るでしょう」


「見ない」


「あなたは見る子です」


 布紐がほどけた。


 リアは、その手をもう一度つかもうとした。


 だが、マレーヌは娘の髪を撫でた。


 手首ではなく、髪を。


 引かれるためではなく、残すための手つきだった。


 エティエンヌは入口の上で見張っていた。


 彼は何度も外を見た。


 足音が増えている。


 町民が動き始めている。


 夜明けまでという言葉が、通りを走っている。


 それは鐘より早かった。


 人が人に伝えるからだ。


 鐘は一度鳴れば同じ音だが、人の口は鳴るたびに意味を足す。


 夜明けまで。


 異端を渡せ。


 マレーヌの名が出ている。


 白い印のない家を見ろ。


 布屋の奥にいる。


 逃げるかもしれない。


 止めろ。


 まだ誰も大声では叫んでいない。


 だが、町はもう叫ぶ準備をしていた。


 私はその頃、教会へ向かっていた。


 ベルトランに命じられ、司祭を呼びに行ったのだ。


 司祭は教会の表にはいなかった。


 祭壇にもいなかった。


 裏庭にいた。


 膝をついていた。


 地面は冷たかったはずだ。


 だが彼は、立ち上がろうとしなかった。


 両手を組んでいる。


 祈っているように見えた。


 しかし、口は動いていなかった。


 祈りの言葉が出ないのだと、すぐに分かった。


 司祭が祈れない時、町は何にすがればいいのか。


 そんなことを思って、すぐに自分を恥じた。


 司祭も人だ。


 神の言葉を持っている人ではなく、神の前で言葉を探す人だ。


 それでも私は、答えが欲しかった。


 欲しくて、たまらなかった。


「司祭様」


 彼はゆっくり顔を上げた。


 目が赤かった。


 泣いたのか、眠っていないのか、分からなかった。


「マティアス」


 声はかすれていた。


「代表者が、広場へ」


「分かっています」


「夜明けまでです」


「分かっています」


 分かっています。


 その言葉は、何も進めなかった。


 分かっているのに、誰も止められない。


 分かっているのに、町は動く。


 私は一歩、近づいた。


「神は」


 声が、自分でも驚くほど固かった。


 司祭は私を見た。


「神はどちらの門に立たれるのですか」


 教会裏の風が、草を揺らした。


 城門の方で、誰かが走る音がした。


 町のどこかで、戸板が叩かれた。


 夜明けは、まだ来ていない。


 だが、町はもう夜明けに追いつかれ始めていた。

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