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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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127. 遠雷の予感

 お茶会当日。

 私はルキスと共に、州城の奥にあるベルナデッタ様の私室へと案内された。

 重厚な廊下を抜け、侍女に導かれて扉をくぐる。暖炉のついた室内は暖かく、柔らかな陽光の中、淡い色合いの調度が並ぶ。

 窓際には冬の花が飾られ、どこか華やかで、それでいて落ち着いた空気が漂っていた。

 私たちを迎えたベルナデッタ様が、いつものように柔らかな微笑みを浮かべた。


「いらっしゃい、アリーチェ、ルキス」

「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 私は一礼し、隣でルキスも同じように頭を下げた。

 今日私たちに付き添っているのはキアーラだけだ。彼女は少し後ろに控え、静かに立っている。

 勧められるままに席に着くと、まずは他愛のない会話から始まった。


「こちらでの生活にはもう慣れたかしら?」

「はい。皆さまによくしていただいています」

「そう。最初に会った時より、ずいぶん所作が洗練されたように見えるわ」


 ふふっと楽しそうに言われて、私は思わず頬を緩ませて微笑む。

 ここへ来てから貴族としての立ち居振る舞いを覚え、自分ではまだまだだと思っていたけれど、少しは自然に振る舞えるようになったということだろうか。


「勉強の進み具合はどう?」

「試験が近いので、今は最後の確認をしているところです」

「そうでしょう。何と言っても学院始まって以来の編入試験ですものね」


 そこでいったん言葉を切ると、ベルナデッタ様の視線が私に向けられる。柔らかな笑みは変わらないのに、少しだけ空気が変わった気がした。


「二年への編入を希望したと聞いて、私、本当に驚きました」


(やっぱり、その話になるよね……)


「アリーチェは王都への留学の誘いを受けていたと思うのだけれど、それはどのように考えているのかしら? 杖を作成する二年生の時に、一年から二年ほど留学するのが常なのだけれど」


 私は一瞬、言葉に詰まる。

 王都への留学――この前の王家の使者から受けた誘いだ。当然、ベルナデッタ様もその話を耳にしているのだろう。

 穏やかな声音だけれど、質問の意味は重い。

 二年次への編入を希望したことが明らかになった今、留学を考えていないことは周囲にも分かったはずだ。

 私は言葉を選びながら答える。


「そうですね、編入を希望することにしたので、留学は時間的に難しくなったと思います」

「……アリーチェは闇の神樹の枝には興味がなかったの?」

「いえ、興味がないというよりは……優先順位の違いだと思っています」


 私の言葉に、ベルナデッタ様は少し考え込むように視線を落としたあと、ふと顔を上げて私を見た。


「ねえ、アリーチェ」

「はい」

「あなたがもし闇の神樹の枝を望むなら、留学しなくても手に入れられるようにできるかもしれない、と言ったらどうする?」


 私は思わず息を呑む。思考が一瞬止まり、手にしていたカップを危うく取り落としそうになった。

 言葉の意味を探るように、ベルナデッタ様の様子をじっと観察する。

 けれど、そんな私の視線など気にする様子もない。彼女は優雅に微笑み、紅茶を一口飲みながらさらりと続けた。


「アリーチェは神紋者ですもの。あなたが望み、カーザエルラ公爵家からも後押しすれば、留学ではなく一時的に訪問した際に入手できるよう、交渉できると思うわ」


(……それが本当なら、悪くない手だと思う)


 留学となれば一年以上王都に行く必要があるけれど、短い訪問であれば私の計画にも支障はない。十分に利のある話だと思えた。


「興味、出てきたかしら?」


 にこりと笑って問いかけられ、私ははっと気付く。


(……しまった、顔に出ていた)


 どちらにせよ、考え込んでしまった時点で、興味を持ったことは伝わってしまっただろう。今さら「興味ありません」と否定するのは不自然だよね。

 私は視線を逸らしながら、なるべく平坦な声で「少しだけ……」と答えた。


「それは良かったわ」


 ベルナデッタ様の顔に、ぱっと花が咲くような笑顔が広がった。


「そうね、もし行くなら、時期は来年の建国祭の時かしら。皆と一緒に王都へ向かうなら、不安は少ないわよね。もちろん、アリーチェが長期の滞在を望まないなら、滞在期間は短くて済むように調整するから安心してちょうだいね」


 畳み掛けるように提案してきたかと思えば、最後は少し引いて余裕を見せる。


「来年の秋まで時間はまだある。入学してからゆっくり考えてみたらいいと思うよ」


 今まで静かに話を聞いていたルキスが口を開いた。私はその言葉に頷きながら、「……少し考えてみます」と答えた。


「ええ、色よい返事を待っているわ。もしあなたがその気になった時は、私に最初に声をかけてちょうだい。ねっ、約束よ?」


 両手を合わせると、ベルナデッタ様は満面の笑みで小さく首を傾けた。可愛らしい仕草だけれど、私はまるで逃げ道を塞がれたような気持ちになった。

 断る理由を探そうとしても、うまく言葉が見つからない。


(本当に……会話が上手い人だ)


 私は頭の片隅でそんなことを思った。

 一方的な約束なのに、こう言われてしまうと、面と向かって断りにくいのは確かだ。

 とりあえず私は、それに対して沈黙で答えることにした。


「ふふっ、あなたが王都へ一緒に来てくれるなら、とても楽しそう」


 口元を手で押さえ、満足そうに笑うベルナデッタ様。その様子を見ていて――ふと、ある考えが頭をよぎった。


(あれ……これって、政治にも影響するのでは?)


 この状況で、私が王都を訪問することになれば、そのきっかけはベルナデッタ様ということになる。

 その情報を上手く使えば、彼女の評価や印象に影響を与える可能性もあるかもしれない……。

 今さらながら、背中に冷たいものが走った。


(もしかして迂闊なことを言ったかも……)


 どうしよう……今からでもイグナツィオ様を通して返事をすると伝えるべきだろうか?

 でも、どうあってもベルナデッタ様の提案がきっかけという事実は消えないし……。

 こういう時、どんな返事をするのが正解だったのだろう。

 私が内心で焦り始めた頃、ベルナデッタ様がふと思い出したように言った。


「紅茶が少し冷めてしまったわね。新しいものをお願い」


 ベルナデッタ様が軽く指示を出すと、数名の侍女が一礼し、静かに部屋を出ていった。

 侍女たちが退室すると、部屋の中がふっと静かになる。暖炉の火が、ぱちりと小さく音を立てる。

 ほんの一瞬の沈黙。ベルナデッタ様は一度ゆっくりと息をつき、それから再び口を開いた。


「ところで、アリーチェの編入の希望は、誰が考えた案だったの?」


 何気ない調子の声に、私は思わず顔を上げる。ベルナデッタ様はカップの縁を指先でなぞりながら、楽しそうに首を傾げた。


「アリーチェの考え? それともイグナツィオ様の提案?」


 ベルナデッタ様は、先ほどと同じ穏やかな笑みを浮かべているのに――


(……なぜだろう)


 どうしてか、目を逸らせない。視線を外してはいけないような、そんな感覚がする。

 私が答えに迷っている間にも、ベルナデッタ様はくすくすと楽しそうに笑みを深めていく。


「もしイグナツィオ様の案であれば、賞賛を送りたいところだわ」

(……賞賛?)


 どういう意味だろう。疑問を抱きながらも、私は正直に答えた。


「考えたのは……私です」


 ほんの一瞬、ベルナデッタ様は私を見つめ、金の瞳をわずかに細めた。


「あら、自分でそんな案を思いつくなんて。アリーチェは賢いのね」

「ええ、本当にアリーチェは賢い子ですよ」


 そこで、なぜか誇らしげな様子でルキスが言葉を挟んだ。


「普通なら、考えついても一年生分の学習を短期間で終えることなんてできないと思います。賢いだけでなく、努力家でもあります」


 突然面と向かって褒められて、私はむず痒い気持ちになる。どう顔をしていいか分からず、思わずぎこちない笑みを浮かべていると、ベルナデッタ様がふっと口元を緩めた。


「アリーチェ、あなたの提案のお陰で、とても楽しいものが見られたのよ」


 私は思わず首を傾げる。


「楽しいもの……とは、どういうことでしょう?」


 私の質問に答える代わりに、ベルナデッタ様は別のことを口にした。


「アリーチェは知っているかしら。来年度の入学希望者は、例年の五割増しなのよ」


 突然の話に、私は一瞬きょとんとする。


(入学希望者が……五割増し?)


 貴族の子供は、学院へ入学するのが通例となっている。

 ただし、入学年齢には十歳から二十歳までの幅があるため、家の事情や思惑で時期を調整する家も多い。

 学院内には側仕えが入れないため、学院の中で身の回りの世話をさせるために、上級貴族が寄り子の貴族や知り合いの下級貴族の子供を「学友」として入学させることもあるらしい。

 基本的に卒業の翌年に成人を迎える年齢で入学するのが一般的なので、学院には年齢の違う生徒が混ざることも珍しくない。


 ただし――例外もある。

 たとえば、公爵家の子供が入学する時がそれだ。

 将来の州公と、学友として縁を結べるかもしれない。あるいは目に留まれば、結婚という形で繋がれる可能性もある。

 そんな親の思惑で、入学希望者が一気に増えることがあるのだ。

 つまり、今回の場合は、私の入学に合わせて子供を入学させようとした貴族が多かった、ということになる。

 ベルナデッタ様は紅茶をひと口飲み、ゆっくりと言葉を続けた。


「全員がというわけではないけれど、多くの貴族が、我が子があなたと縁を結べるよう動いていたわ。そして、そうなるように画策していた者もいた」


 そこで一度言葉を切ると、視線をティーカップから私へと移す。


「その人からしたら、あなたが編入を希望したことは想定外のことで、言うなれば計画を崩されたようなものね」


 そう言いながら、ベルナデッタ様は楽しそうに笑った。


(……なるほど、ようやく話が見えてきた)


 公爵夫人の陣営。

 おそらく彼女たちは、自分の息のかかった貴族の子供を入学させ、私に近づけるつもりだったのだろう。情報を得るためか、もしくは自分たちにとって都合のいい情報を吹き込むためか……。

 けれど、私は編入を希望した。

 それによって、計画そのものが壊れてしまった、ということだろう。

 でも、それがどうして「楽しいものが見られた」に繋がるのだろうか?

 ベルナデッタ様の様子は、まるでその計画が邪魔されたことを、喜んでいるかのようだ……。


「あなたが編入試験を受けられることは決まったけれど、合格するかはまだ分からないわよね。もし、試験が不合格になるようなことがあれば、新入生として入学せざるを得ない……」


 ベルナデッタ様の言葉は理解できる。十分努力はしたし、合格するつもりでいるけれど、何事にも絶対はない。

 神妙な面持ちで背筋を伸ばしていると、ベルナデッタ様の静かな声がかかった。


「アリーチェ、どんな事態にも対応できるように、試験対策はしっかりと念入りに行うように」


 ほんのわずかに鋭くなったベルナデッタ様の瞳に、ドクンと心臓が跳ねる。

 ベルナデッタ様の言葉の意味を察して、頭が冷え渡っていく。


ーーーー


 私が思わず背筋を伸ばすと、ベルナデッタ様は静かに眼差しを私に向けた。


「アリーチェ、どんな事態にも対応できるように、試験対策はしっかりと念入りに行うように」


 ドクン、と心臓が跳ねる。ベルナデッタ様の言葉の意味を察して、頭が冷え渡っていく。


(……妨害)


 背筋にひやりとしたものが走る。

 編入試験に妨害があることをベルナデッタ様は示唆しているのだ。

 お茶会の招待状に書いていた鳥籠――秘密はこのことだったのだろう。


(まさか、妨害があるなんて想像もしていなかった……)


 それにしても、それを計画したのは公爵夫人陣営だろうけれど、なぜそんなことをするのだろうか?

 彼女たちの狙いは私を陣営に引き入れたいし、それが叶わないなら、早くこの地から去ってほしいはず。それなのに、私の滞在時期を延ばすようなことをするなんて、それほど自分の手駒を私の学友にしたいのだろうか。


(もしくは別の思惑……?)


 公爵夫人たちも、私が修学を早く終えるつもりでいることには気付いたはず。

 仮に、試験に落ちた後の私の行動を予測して妨害したのだとしたら、どんな選択が考えられるだろうか。


 素直に新入生として入学する?

 それともセヴィーロに短期集中で魔術指導を受ける?


 他にどんな選択があるかを考えていたとき、ふとある考えが頭に浮かんだ。


 例えば……王立学院なら二年次へ編入させてあげよう、なんて声がかかったとしたら?

 修学を早めたい私は、きっと悩むことになるだろう。


 あくまで私の勝手な想像だけれど、妨害するだけの利が公爵夫人陣営にあることは理解できた。

 でも、その結論に至ったら至ったで、別の疑問も湧いてくる。

 公爵夫人陣営のベルナデッタ様が、なぜそれを私に伝えたのか。そこに一体どんな意図があるのかと、私は慎重に彼女を観察する。

 そんな私の様子を面白がるように、ベルナデッタ様がふっと笑った。


「なぜそれを私が教えるのか、そういう顔をしているわね」


 できるだけ表情には出さないようにしながら、私は曖昧な笑みを返す。

 ベルナデッタ様はふふっと軽やかな声で笑うと、今日一番と言っていいほどの優雅な笑みを浮かべた。


「そんなに警戒しなくて大丈夫。面白いものを見せてもらった、そのお礼ですもの」


(……お礼)


 私は一瞬、言葉を失う。

 ベルナデッタ様は公爵夫人の娘だ。だから、当然のように彼女も公爵夫人の陣営なのだと思っていたけれど、もしかすると、心の内では違うのかもしれない……。

 侍女たちを下げたのも、公爵夫人の息のかかった侍女だからだとしたら、辻褄は合う。

 こちらを混乱させるための策略という線は拭えないけれど、少なくとも、編入試験に妨害があるという話は本当の可能性が高い。


(編入試験に向けての準備に、変更が必要そうだね……)


 私はぬるくなった紅茶を飲み干すと、静かに息を吐いた。


 試験まで、あと一週間。

 そのとき、季節外れの雷が遠くで鳴ったような気がした。


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