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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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125. 賭ける一年

 イグナツィオ様の帰還から遅れること三日、他の公爵家の面々も帰領し、さらにその四日後には王家からの使者がカーザエルラへと到着した。

 州城の玄関ホールで、公爵夫人たちやイグナツィオ様と共に並んで使者を出迎える。

 王都からの正式な使者と聞いて、私は勝手に白髪交じりで目つきが鋭く、いかにも重鎮然とした壮年の人物を想像していた。けれど、実際に現れたのは、予想とはまるで違う人物だった。

 年の頃は二十代半ばほどだろうか。すらりとした長身に、整った顔立ち。柔らかく波打つ髪は淡い金色で、その口元には長旅の疲れを感じさせない余裕の笑みが浮かんでいた。


(……若い)


 思わず、そんな感想が頭をよぎる。長距離移動だから体力のある若い人物が選ばれたのかもしれない。

 少なくとも、威圧感を前面に押し出すような外見ではないことに、内心ほっとしたのも束の間、使者が私の前に立った次の瞬間、その安堵は粉々に砕かれる。


「星屑を瞳に浮かべた麗しの乙女にお会いできるのを、心より楽しみにしておりました」


 流れるような所作で私の前に立つと、彼は私の右手をそっと取り、その指先に口付けを落とした。

 柔らかな唇の感触が、一瞬、指先をかすめ、思考が完全に停止する。


(……え?)


 神紋者になってから貴族的な挨拶を学んだけれど、この類のあからさまな振る舞いを受けたことはなかった。

 まさか、こんな芝居がかった甘い言葉と仕草で挨拶を受ける日が来るとは……。

 どうにか微笑みを崩さずにいられたのは、我ながら奇跡だと思う。


(若い人が選ばれたのは、ただ偶然じゃないのだろうな……)


 その後、形式的な挨拶を終え、私たちは城の応接室へと移動した。

 使用人が紅茶を用意し、静かに退室していく。室内には使者と私、そしてイグナツィオ様、その背後に控えるルキスのみ。他の側付きはすべて部屋の外へと排されていた。

 使者――侯爵家の子息だという彼は、穏やかな声音で問いかける。


「まずは、アリーチェ嬢の近況をお聞かせ願えますか」


 その瞳は笑みを浮かべているのに、奥に宿る光は冷静で、獲物を測るような目をしていた。

 イグナツィオ様の庇護にあることや、入学試験に向けて学習していることを伝えると、今度は彼から具体的な質問が続く。

 州城での私の扱われ方や、決定権の有無、外部と接触できているか等々。セヴィーロから教わった神紋者に関する知識や、歴史的な扱いについての質問にも及んだ。

 事前にどういう質問をされるかの予測をイグナツィオ様から聞いていたけれど、ここまで意図が透けて見えるとは……。

 彼の目的は、私がきちんと神紋者としての情報を与えられているか、不当に囲い込まれていないかの確認だ。

 もし私が自由を奪われていたり、情報を遮断されていると判断されれば、王家が動く……という可能性もあるのだろう。


(そういう裏の意図を隠しつつ、笑顔で腹の探り合いをするなんて、やっぱり貴族って怖い……)


 私は誤解の余地がないよう、言葉を選びながら一つ一つ丁寧に答えていった。


 やがて一通りの質問が終わると、彼は紅茶をひと口含む。視線をひたりと私に向けたまま、笑みを浮かべてカップを受け皿へ戻す。


「……王立学院への留学については、ご興味はありませんか」


 私は思わず瞬きをする。

 まさか州立学院へまだ入学もしていない段階で、留学について打診されるとは思っていなかった。


「……まだご存知ないかもしれませんが、魔術を学ぶのであれば、いずれ神樹の枝で杖を作ることになります。王立学院であれば、闇の神紋者である貴女の手に相応しい枝が用意できるかと」


 そう前置きをして、使者は神樹の枝についての話を懇々と語った。あくまで提案という形をとっていたけれど、背後にあるのは王家の意向だろう。


(現状の確認だけかと思っていたら、勧誘の目的もあったのね)


 もともと、王都留学は私の選択肢にはなかったけれど、二年次への編入が目標となった今、王都留学する可能性はまったくなくなった。

 それでも、この場で明確に断るのは角が立つ。


「光栄なお話ですが、まだ州立学院へ入学もしていませんから、今すぐのお返事は……」


 貴族に合わせた迂遠な返事をすると、私は使者に向かって柔らかな笑みを返した。


「もちろんです。良き返答を、心待ちにしております。もし王都へ来られた際は、私に王都の名所をご案内させてください」


 意味深な笑みを残して、会合はひとまず幕を閉じた。


 使者が退室した後にイグナツィオ様から聞いた話によると、彼の家――侯爵家には現国王の妹君が降嫁しているという。つまり彼は王家の血を引く者であり、順位は低いながらも王位継承権を持つ立場にあるらしい。


(道理で……ただの“若い使者”ではなかったわけね)


 私は思わず先ほど彼の唇が触れた指先をぎゅっと握りしめる。

 イグナツィオ様とも気安く言葉を交わしていたのは、同じ高位の家に生まれた者同士だからだろう。

 それも事前に教えて欲しかったと伝えると、どうやらイグナツィオ様も今日対面する時まで、使者が彼であることを知らなかったらしい。

 それすら、こちらの意表をつく作戦だったということだね。


 ちなみに、使者は州城に四日ほど滞在する予定らしい。

 イグナツィオ様が「最初の会合以外は、無理に付き合う必要はない」と言ってくれたので、今日以降の茶会や散策の誘いは丁重に断らせてもらった。

 本音を隠した微笑みと、甘い言葉ばかりが飛び交う席に費やす時間は、今の私にはない。

 紅茶の香りがまだかすかに残る応接室を後にしながら、遠く離れた王家の思惑の気配に、私は小さく息を吐いた。




 王家の使者との会合の翌日。今日は週に一度の、セヴィーロによる魔術講義の日だ。

 セヴィーロが入室してきた瞬間、私は「ああ、これは絶対にからかわれるやつだ」と即座に悟った。

 勧めた椅子に座り、机に片肘をついていつも以上にへらへらとした笑みを浮かべるセヴィーロ。その表情はまるで面白い玩具を見つけた子どものようだった。


「アリーチェがどんな選択をするか興味があったけれど、随分と面白い選択をしたみたいだね」

「……編入を希望していることを聞いたのね」

「神紋者なのだから自由に振る舞ってもいいとは言ったけど、まさかこんな裏技を思いつくとは。これで一年は短くなったわけだけど、早く帰らなくてよかったの?」


 その言葉に、私は部屋の隅に控えるキアーラへ一瞬視線を向ける。

 別に聞かれて困る話ではないし、セヴィーロも気にせず口にしたのだから、この場で話題にしても問題ないのだろう。


「早く帰ることを望んでいたけれど、ここに残って学びたいという自分の望みに気付いたの。帰った後は、そのまま故郷を離れない可能性もあると思うと、余計にね」

「なるほど。自分の望みを両立させるための選択が、二年次への編入ってことか。けど、たとえ学院で学んだとしても、結局は二年生の内容だ。僕が半年で教えるだろう内容に、毛が生えた程度の差しかないと思うよ?」


 腑に落ちない、といった顔をするセヴィーロに、私は少しだけ意地悪な笑みを浮かべる。


「私、考えたのよね。半年学ぶと言っても、座学は毎日数刻だけ、魔術は週に一回しか学べない状態で、それは果たして本当に十分と言えるのかと」


 半年の道を示したのは、他ならぬ彼だ。それが十分かどうかなんて本人は分かりきっていることだろう。

 現に、”結局は二年生”と言っているところを見る限り、魔術に携わる人間からしたら、最低限の知識という認識だろう。

 だから、私が考える“学ぶべき内容”は、その先だ。


「どうせ学ぶなら、半年だけ中途半端に学ぶよりも、毎日朝から夕までたっぷりと、何なら上級専攻や魔術具専攻、薬草学も受講したいわ。せっかく故郷に帰るのを先延ばしにするのだから、限られた期間で最大限の効率を求めるのは当然のことよね」


 私が満面の笑顔で言い切ると、セヴィーロは一瞬ぽかんとした後、盛大に笑い出した。


「あははっ。二年に編入するだけに飽き足らず、普通なら学ぶのに二、三年はかかる内容を一年足らずで学ぶ気なのかい? それは流石に詰め込み過ぎだろう」

「あら、そう?」


 私は小首をかしげながらセヴィーロをじっと流し見る。


「自分の望むように行動すればいいって言ったのはセヴィーロでしょう? あれもこれもと欲張るのは、神紋者らしい自由な振る舞いだと思わない?」

「なるほど、そうきたか」


 愉快そうにセヴィーロは目を細める。けれど、その目の奥にはわずかながら真剣さが宿っていた。


「でも、その選択は簡単じゃないよ。編入試験もそうだし、学院に入ってからも一筋縄じゃいかない」


 確かに、ひと季節で一年分の学習をしないといけないし、自分がその先に目指すことを思えば、不安がないわけではない。

 けれど、私はそれを吹き飛ばすようにわざと明るい声で返した。


「それは大丈夫よ。だって、学院にはとても優秀な講師がたくさんいるもの。ねっ、そうでしょう先生?」

「僕は、薬草学は専門外だよ」

「じゃあ、上級専攻や魔術具専攻は安心して頼れるわね。勉強熱心な学生に便宜を図るのも、講師の大事な仕事よね」


 にこり、と笑ってみせると、セヴィーロは諦めたように肩を竦める。


「……乗りかかった船だから、最後まで面倒を見るつもりだけど、一年で専攻までもとなると、それなりに覚悟が必要だよ」

「分かった、覚悟しておくわ」


 私は即答すると、「覚悟はもうとっくに決めている」と心の中で呟いてすっと背筋を伸ばす。

 返答の早さにセヴィーロはわずかに目を見開いた後、すぐに何かを思案する表情になり、にやりとした眼差しで私を見た。


「分かった。アリーチェが一年で専攻も修学できるようにしっかり補助するから、よければ手が空いたときには僕の研究も手伝ってくれないか? それくらいのお返しを要求しても、バチは当たらないだろ?」

「研究の手伝い? 手伝いの内容にもよるけれど……」

「大丈夫。無茶なことは要求しないし、無理だと思えば断ってくれてもいいから」

「それであれば、できる範囲で手伝ってもいいわ」


 懇願してくるセヴィーロに了承を返すと、彼の顔にぱっと喜色が満ちる。


「本当!? その言葉、忘れないでくれよ!」

「……手伝いが必要なら、ルキスに頼んだりしないの?」


 セヴィーロの研究というのは、おそらく神紋に関しての研究だろう。それならば、ルキスに頼んだりしないのかと、ふと疑問に思った。


「たまに頼むこともあるけど、ルキスは定期的な手伝いには向かない。その点、アリーチェは毎日学院に来るから気軽に頼みやすいんだ」

「なるほどね」


 確かに、イグナツィオ様の騎士であるルキスに頻繁に協力を求めるのは難しいだろう。

 上手く丸め込まれた気がしないでもないけれど、こちらもセヴィーロを利用するのだからお互い様だ。


「まさか、こんな風に協力を得られるとは……僕は運がいい」


 満足げに呟きながら、セヴィーロはいそいそと机の上の書物を開いた。


「なにはともあれ、全ては一年次の勉強を終えて編入試験に受かってからだ。時間は短いんだ、集中して取り掛かろう」

「ええ、よろしくお願いするわ」


 机に向かいながら、私は気合を入れて大きく息を吸った。

 期限までに、一年分を学び終える。そして、二年次へ編入し、その先でさらに多くを学ぶ。

 道は決して平坦ではないけれど、進むべき目標がはっきりした今、私がやるべきことは一つだけ。

 その一歩として、私はセヴィーロが示す魔術式へと静かに視線を落とした。


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