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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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115. 三者三様の視線

「闇の神紋者の話は聞いていましたが……これほどいとけない少女だとは思っていませんでしたわ」


 すっと細い首を傾け、私を見つめるその仕草は、いかにも憂いを帯びたものだった。


「無骨な男所帯で、息苦しい思いをしてはいませんか?」


 気遣うような言葉と柔らかな声音。けれど、その黄金の瞳には、温度というものが感じられなかった。まるで冷たい水面の下を覗き込んでいるようで、無意識に背筋がひやりとする。


「いえ……皆さまに、よくしていただいております」


 私は身体の前で組んだ両手に力を入れると、内心で気を引き締める。この方は優しさを装っているけれど、私が少しでも言葉を誤ればそこに付け込まれる――そんな気配があった。


「女性が好む流行のドレスや品の良い装飾品を選ぶのは、イグナツィオではなかなか難しいのではなくて?」


 ちらりと私の隣を一瞥しながら、フィアンマ様は微笑む。

 その様子を見ながら、私はようやく理解した。謁見のために衣装を用意するなんて凄い、その程度にしか思っていなかったけれど、わざわざ特注した理由は、“衣装ひとつまともに用意できない”……そう言われかねない隙を潰す目的でもあったのだろう。


「もし、アリーチェさんさえよければ、私のもとへいらしてはどうかしら。綺麗なものや、甘いお菓子に囲まれて暮らせるわ。あなたと年の近い、私の娘――ベルナデッタもおりますし、とても楽しく過ごせるはずよ」


 胸の奥が、すっと冷える。これは誘いであり、同時に私がどう答えるかを測る言葉だ。


「そのような……恐れ多いことです」

「……その見事な銀灰色の髪と、黒曜石のような瞳。どんな宝石やドレスが似合うのかしらね」


 無難な返事を返すけれど、そんな私に構いなくフィアンマ様の品定めをするような視線が、私の上をなぞる。


「アリーチェさんは、どのような色がお好き?」


 一瞬の迷いのあと、私は今身に着けている衣装に視線を落とした。


「様々な色が好きですが……今は、晴れた空のようなこの水色が好きです」


 そう言って、私は穏やかな笑みを浮かべる。実際のところ、私が一番好きな色は、満天の星が浮かぶ濃紺の夜空色だ。けれど、この場では、水色が一番好きと言うのが正解だと感じた。

 衣装を注文する際にデザインの好みはいくつも聞かれたけれど、色については最初からこの水色を勧められていた。貴族の作法には疎いから、その意見に従ってこの色になっただけである。

 私に似合う色を考慮したのだと思うけれど――もしかしたら、後ろ盾だと示すために、あえてイグナツィオ様を想起させる色を選んだのかもしれない。


「ふふ……そうなのね。水の州の色は青ですもの。あなたが水の州にまつわる色を好んでくれて、嬉しいわ」


 イグナツィオ様の色を指したつもりだったのに、州全体の話にすり替えられてしまった。

 どうやら、舌戦で私が敵う相手ではなさそうだ。


「せっかくですから、あなたに似合いそうな装飾品をいくつか贈ってさしあげようかしら」


 フィアンマ様の言葉に、イグナツィオ様が一歩前に出る。


「お気遣い感謝しますが、そういった類のものは、私が用意しますので」

「……女性は、装飾品がいくつあっても多すぎないということを、ご存じないようですね」


 冷ややかに返された言葉に、空気が張りつめる。二人とも声を荒げてはいないけれど、二人の間に静かな火花が散っていた。

 一瞬の攻防のあと、フィアンマ様は再び私へと視線を戻した。


「アリーチェさん。今すぐにというわけではありませんけれど……先ほどの提案、よくよく考えてみてちょうだい」


 その微笑みの奥に、どんな思惑が潜んでいるのか読み取れないまま、私は息を整えながら、深く一礼することしかできなかった。



 謁見室の扉が閉じた瞬間、張りつめていた空気がふっと途切れる。緊張で固まっていた身体が、解放されて緩んでいく。


「……はぁ……」


 長い緊張から解放されて思わず息を吐くと、どっと疲れが押し寄せてくる。

 

「おつかれさま」


 すぐ後を歩いていたルキスが声をかけてきた。


「ありがとう。ルキスから見て、私は問題なくできていた?」


 軽く後ろを振り返りながらルキスに尋ねる。自分ではそれなりに手応えはあったけれど、他から見てそうとは限らない。


「上出来だったよ」


 迷いのないルキスの返事に、私はほっと安堵の息をつく。


「よかった……」


 そう呟きながら廊下を進んでいると、不意に後ろから、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。


「お待ちください、イグナツィオ様」


 呼び止める声に、私たちは足を止めて振り返る。

 水色の髪を揺らしながら足早に近づいてくるのは、先ほどの謁見室にいた一人の少女だった。


「……ベルナデッタ様。何かご用ですか?」


 イグナツィオ様が淡々と問いかけると、少女はにこりと優雅に微笑んだ。


「神紋者様に、きちんとご挨拶をさせていただきたくて」


 イグナツィオ様は一瞬だけこちらに視線を向けてから、簡潔に紹介してくれた。


「アリーチェ、こちらはベルナデッタ様だ。カーザエルラ公爵家の長女で、私の異母妹になる」

「はじめまして、神紋者様。ベルナデッタ・カーザエルラです」


 澄んだ声とともに、丁寧な会釈が向けられる。


「公女様、はじめまして。どうぞ、私のことはアリーチェとお呼びください。敬称も不要です」


 そう答えると、彼女はぱっと目を輝かせた。


「分かったわ、アリーチェ。私のこともベルナデッタと呼んでちょうだい」


 父親譲りの水色の髪に、母親譲りの金の瞳。顔立ちはフィアンマ様よりも公爵様に似ていて、どこか柔らかな印象を与える可憐な美少女だった。


「神紋者の話を聞いてから、あなたに関心があったの。今も、あなたにせっかく会えたから、紹介してもらおうと思って追いかけてきたのよ。アリーチェ、あなたに会えるのを楽しみにしていたわ」

「……恐縮です」


 どう返せばいいのか分からず、ひとまず当たり障りのない言葉を選ぶ。


「色々とお話を聞きたいのだけれど、このあとはもう離宮に戻ってしまうのかしら?」

「この後は、神殿を訪問する予定になっています」

「そう、では長くは引き留められないのね。お話ししたかったのに残念だわ。先ほどお母様も誘っていらっしゃっていたけれど……アリーチェは本城に越してくる気はないのよね?」

「誘っていただけて光栄なのですが……私は、イグナツィオ様に後援をお願いしておりますから。本城に居を移すわけには……」

「やっぱり、そうよね……」


 私の返事をある程度予想していたのか、少し残念そうにしながらも、笑みを浮かべたままベルナデッタ様が話を続ける。 


「それなら、遊びにくることくらいはできるかしら? 本城にあなたが自由に使える部屋を用意しておくわ。今日のような場合にも控室として使えるし、それなら気兼ねなく遊びに来れるでしょう? 同性同士、きっと楽しく過ごせると思うわ」


 ベルナデッタ様の誘いの言葉に、胸がさざ波立つ。

 公爵夫人からの誘いは、高位者としての圧力を含んだものだったけれど、ベルナデッタ様の言葉には、そうした重さがない。だからこそ、あまりにも自然な誘いに感じられた。


「お言葉は嬉しいのですが、使うかどうかも分からない部屋をご用意いただくわけには……」


 そう告げると、ベルナデッタ様の表情が、目に見えてしゅんと曇った。


「そう……」


 肩を落とすその様子に、胸が少し痛む。

 ベルナデッタ様のただの配慮の可能性もあるけれど、一時的な利用のつもりが、気づけば取り込みを図られていたという可能性だってある。今の私の立場を思えば、警戒しすぎるに越したことはない。


「では、お茶会にお誘いするくらいなら、構わないかしら?」


 ベルナデッタ様はそう言うと、何かを思いついたように「そうだわ」とぱちりと両手を打った。


「あなた一人だと心細いでしょうから、ルキスも一緒ならどうかしら。ね、それなら問題ないでしょう? 我ながら、良い案だわ」


 満面の笑顔で言い切られて、思わず言葉に詰まる。

 先ほど、本城への誘いを断ったばかりで、また断るのは正直かなり気まずい。

 ちらりと横を見ると、イグナツィオ様は社交的な微笑を浮かべたまま、完全に静観の構えだった。神紋者の特質上、私の意思決定を妨げないよう、イグナツィオ様は表立って口を挟めないのだろう。


 一方、ルキスはというと、その提案に明らかに困惑した表情をしていた。

 ベルナデッタ様が親しげにルキスの名前を呼んでいたから、二人はそれなりに面識はあると思うのだけれど、ルキスの反応を見る限り、その交流はどうやらベルナデッタ様の一方通行の可能性が高い。

 いずれにせよ、迂闊に誘いを受けない方がいいことだけは分かった。


「今は、学ぶことが多くて……あまり時間に余裕がなく」


 理由としては弱いと思いつつも、私はそう断りを口にした。

 本当は、「興味がないので行きません。こうした誘いも迷惑です」ときっぱり言えば、それで終わる話だ。とはいえ、貴族相手にそこまで傍若無人に振る舞えるほど、元平民の私の精神は強くない。

 私の断りを聞いたベルナデッタ様は、頬に手を当ててことりと首を傾げた。その仕草はまるで小鳥のようで、愛らしいと感じる自分がいた。


「イグナツィオ様は……少しの時間の余裕もないほど、あなたに詰め込み教育をしていらっしゃるの?」


 鈴を転がすような声が、廊下に響き渡る。

 今、立ち話をしている場所が、それなりに人の往来がある場所だったため、通りがかった文官や、警護に立つ騎士たちにもざわりと反応が広がった。


「それは……とても辛いですね」


 ベルナデッタ様から、同情するような声がぽつりとこぼれた。

 そして次の瞬間、ベルナデッタ様は私の両手を、ぎゅっと握り、反論を許さないように、矢継ぎ早に言葉を重ねてきた。


「辛い経験をしてすぐですもの、今はそんな大変な思いをする必要なんてないわ。勉強も大切だけれど、世の中には素敵なことや楽しいことも沢山あるのだと、あなたに教えてあげたいわ」


(……これは)


 偶然なのか、それとも意図したものなのか。どちらなのかは分からないけれど、周囲や私の印象が巧みに操作されたのは確かだった。

 私は一瞬息を呑んだあと、頭の中でゆっくりと言葉を選んだ。


「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが……勉強は強制されているわけではありません。私が、自ら望んでお願いしているのです」

「自分で……?」

「ご存じのとおり、私は平民の生まれです。ですから、多くのことを学び、それをこれから先にそれを活かしたいと思っています」


 ベルナデッタ様はぱちりと目を瞬かせると、私に向かって柔らかく微笑んだ。


「まぁ、そうだったのね。アリーチェは、とても頑張り屋なのね」


 そのまま、楽しげに言葉を続ける。


「では、学習が一段落ついたころに、お茶会に誘わせてちょうだい。社交の勉強は、実践も大切ですもの」


 ベルナデッタ様の満面の笑顔に、私はさらに返答に詰まる。

 確かに、言っていることは一理あるため、これ以上断れば逆に不自然だろう。

 というか、先ほどの私の返答に対してこんな風に切り返してくるなんて、軽く感心すら覚えた。


「アリーチェ。ベルナデッタ様が、ここまで仰ってくださっているから、折を見て誘いを受けてもいいのではないだろうか。その際は、もちろんルキスに付き添わせよう」


 私が返答に窮していることを察したのか、イグナツィオ様が助け舟を出してくれた。イグナツィオ様も私と同様に、これ以上は断れないと判断したのだろう。


「そうですね。では、そうしたいと思います」

「ありがとうございます、イグナツィオ様。アリーチェ。楽しみにしていますね」


 ベルナデッタ様は満足そうに頷くと、私に柔らかな笑みを向けた。


(ベルナデッタ様とお茶会か……)


 ”折を見て”だから、すぐにすぐお茶会の誘いを受けるつもりはない。とはいえ、自分の話術に引き込むのが上手な方みたいだから、迂闊なことを言わないように気をつけないと。

 それにしても、半分とはいえ血の繋がりがあるというのに、この二人の間には、ひどく他人行儀な距離があった。


(貴族とは、こういう関係が当たり前なのだろうか)


 対立する陣営に属しているという事情もあるのだろうけれど、まるで別々の家に生まれた子ども同士のようだと、話をする二人の姿を見ながらぼんやりと考えた。

 その時――


「ベルナデッタ、まだこんな所にいたのか」


 低く、よく通る声が廊下に響く。私たちが立ち話をしていたその場所へ、新たな人物が歩み寄ってくるのが視界に入った。

 燃えるような赤色の髪に、薄水色の瞳。色合いこそ違うけれど、その鋭い眼差しは、少し前に向けられていたフィアンマ様の瞳を彷彿とさせる。


(あの方は……)


 先ほど、ベルナデッタ様と共に謁見室に同席していたカーザエルラ公爵家の公子――バジーリオ様だ。


「バジーリオお兄様。アリーチェに挨拶をしていましたの」


 ベルナデッタ様が、にこやかにそう告げる。その言葉に、バジーリオ様の視線が、ちらりと私へ向けられた。

 すらりと切り上がった眦は鋭く、ただ視線を合わせただけなのに、ずしり重くなるような威圧感を覚えた。

 間近で見ると、背も高く、がっしりとした体躯をしていて、火の神の加護を授かっているという話も、なるほどと納得できる。


(瞳の色は公爵様と同じ水色なのね……)


 火の神と水の神の色を併せ持って生まれたバジーリオ様は、きっと洗礼式までどちらの加護を得ているかは分からなかっただろう。

 期待を一心に受けた洗礼式で、水ではなく火の神の加護を授かっていることが判明した時は、どんな思いだったのだろうか……。


「アリーチェ。こちらはバジーリオお兄様。先ほどの謁見にも同席していらしたわ」


 紹介を受け、私はスカートを少し広げ、丁寧に礼をとった。


「公子殿下にご挨拶申し上げます」


 バジーリオ様は「ああ」と短く返事をして、私を見下ろすように視線を向けた。

 そこにあったのは同じ人間を見る目ではない。平民という名の“もの”を見る目――役に立つかどうかを量る冷ややかな視線だった。


(……久しぶりだな、こういう目で見られるのは)


 イグナツィオ様のもとでは、私は一度も、こんな視線を向けられたことがなかったことを、ふと思い出した。


「助けられた手前、居を移すことに引け目を感じるだろうが、自身の将来にとって何が有益かを考えれば、自ずと答えは出るだろう。闇の女神の加護を強く得た其方なら、賢い選択ができるのではないか?」


 バジーリオ様はその選択が当然のことだと言わんばかりの口ぶりで言い切ると、挑発するような視線をイグナツィオ様へと投げた。

 確かに、アルフィオが言っていたように、条件としての均衡は崩れたけれど、勢力図そのものが急に変わるわけではない。今日、本城の空気を肌で感じて理解したけれど、今もなお、フィアンマ様たちの持つ権力が圧倒的に強いのは明らかだった。

 それでも――。私は一瞬だけイグナツィオ様を一瞥し、小さく笑みを浮かべる。そして、改めてバジーリオ様へと社交的な微笑を向けた。


「そのお言葉、しかと胸に刻みたいと思います」


 ここて強く断ることはできるけれど、変に波風を立てる必要はない。今は、素直に受け取った“ふり”をする方が賢明だ。


(まぁ……陣営を変える気は、これっぽっちもないけれど)


 私の返答が表面的なものだと察したのだろう。バジーリオ様は、少し不満そうに軽く鼻を鳴らした。


「どうやら、見た目の年齢に反して、しっかりしているようだ。気が変われば、早めに連絡をよこすといい」


 そう言い残し、バジーリオ様はベルナデッタ様を伴って、その場を後にした。

 思いがけず、ベルナデッタ様とバジーリオ様にも挨拶をすることになったけれど、結果的にはこれでよかったのかもしれない。

 公爵家の方々の人となりや、私に対する態度もそれぞれなんとなく分かった。

 私は緊張を解すように小さく息を吐くと、無意識に胸元に手を当てたまま、去りゆく二人の背中を見送った。


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