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【第三部】黒瞳少女は帰りたい 〜独りぼっちになった私は、故郷を目指して奮闘します〜  作者: 笛乃 まつみ
第八章 闇の神紋者

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114. 謁見の間にて

 私が紅茶を飲み終えカップを置いた時、食堂の扉が静かに開き、執事のウルバーノが姿を見せた。


「イグナツィオ様、皆様が到着されました」

「分かった。今、向かう」


 イグナツィオ様が席を立ち、その動きに合わせて、私とルキスも自然と立ち上がる。

 食堂を出て玄関ホールへ向かうと、そこにはすでにアルフィオと、若い騎士のファビアンが待っていた。

 ファビアンの柔らかな若草色の髪が朝の光を受けてさらりと揺れる。


「おはよう、アリーチェ。今日はいつにもまし華やかだね。その衣装、アリーチェによく似合っているよ」


 初めて会ったときと同じ人懐っこい笑みを浮かべ、距離を感じさせない明るさでファビアンが私に声をかけてきた。

 彼に会うのは、イグナツィオ様の側近と初めて顔を合わせたとき以来だ。まだ十九歳と、側近の中では一番若く、私と年が近いこともあって気安く接しやすい人だった。


「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ」

「今日は私も護衛につくから。よろしくね」


 今日はルキスとファビアン、二人の騎士がついてくれるらしい。少し大げさにも感じるけれど、イグナツィオ様も同行するし、これからはこれが普通のことなのだと改めて実感した。


 ウルバーノに見送られて屋敷を出ると、本城へと続く石畳の道を歩きはじめた。イグナツィオ様を先頭に、私、ルキス、ファビアン、アルフィオ、キアーラと続いて歩く。

 表向きは穏やかな光景だけれど、石畳を踏むたびに規則正しい音が響き、緊張に拍車をかけていた。

 イグナツィオ様の屋敷は州城の西端のほうに位置するため、本城までは意外と距離がある。それにも関わらず、私たちが馬車を使わずに徒歩で本城へ向かっているのは、防犯上、州城内は馬車が通れない構造になっているためだ。


 前にフィオルテ商会へ挨拶に行った時は、できるだけ人に出会わないように裏道を通り、さらには素早く移動するために、ルキスに抱きかかえられて馬車が乗り入れられる所まで移動し、そこから馬車で城外へ出たのだよね。

 あの時は秘密裏に行動するために必要だったとはいえ、この年になって抱えて運ばれるのは、さすがに恥ずかしかった……。ルキスは顔色ひとつ変えていなかったけれど、私を抱えたまま小走りで移動しても息ひとつ乱れなかったのは、さすが騎士としか言いようがない。


 今日はというと、私の存在を正式にお披露目するという意味もあり、あえて人目につく道を、堂々と歩いていた。

 廊下を進む私たちの姿を見つけた使用人や侍女が、慌てて並び、深く頭を下げる。見慣れない私に目を留め、探るような視線が向けられて、一層緊張が高まる。


(こんなに注目されるのは、慣れないな……)


 すぐそばを歩くイグナツィオ様の落ち着いた気配と、すぐ後方をついてくる皆の足音を感じながら、私はただひたすら前を向いて歩いた。



 しばらく歩くと、本城の姿が視界に入る。

 白い外壁は本城の美しさを際立たせ、距離が近くなるとその大きさに圧倒される。人目があるので表面は平静を保っていたけれど、内心ではその大きさに「すごい……」と感嘆の声を上げたいほどだった。

 私たちの歩く先――重厚な石造りの階段の先には、開かれた両開きの大扉があり、数人が私たちを出迎えているのが見えた。


(ここが……公爵様の住まう場所……)


 ふとそれを考えると、足元から緊張がせり上がり、ここまで歩いてきたことと相まって胸の鼓動がさらに早まる。

 足がもつれないように気をつけながら幅の広い白石の階段を上がり、イグナツィオ様に続いて、私は大扉の内側へとゆっくり進んでいった。

 壮大な外観に比例して、入ってすぐのホールも見上げるほど広い。きょろきょろと見回したい衝動を抑えていると、出迎えた侍従の一人が私たちを控室へと案内してくれた。

 控室といっても十分な広さのある部屋で、落ち着きのある調度品が並んでいた。


「しばらくこちらでお待ちください」


 案内が終わると、侍従は静かに退室した。


「準備が整うまで、座って待とう」


 イグナツィオ様が、入口近くに立ち止まっていた私に声をかける。ソファに身体を沈めたイグナツィオ様にならい、私もその向かいのソファに腰を下ろした。

 ルキスとファビアンは部屋の中や窓の外を確認し、キアーラとアルフィオはそれぞれ私とイグナツィオ様の後ろに控えた。


「ここで長く待つのですか?」

「それほど長く待つことはないだろう。落ち着かないなら、キアーラにお茶を用意させよう」

「いえ……大丈夫です」


 緊張で軽く喉は渇いているけれど、喉が張り付くほどではない。今お茶を飲んで、万が一にも途中で手洗いに行きたくなるようなことになれば、それこそ一大事だ。今は我慢しておくに越したことはない。


「今日の謁見は少人数の立ち会いのもと行われる。謁見の部屋も小規模で、大仰なものではないから、それほど緊張しなくて大丈夫だ」

「はい」


 とは言っても、集まっている人が人だけに、緊張しないというのはどうあっても無理な話だ……。


「あと、今日の謁見にはおそらくメルクリオ伯爵も立ち会う」

「なぜ……メルクリオ伯爵が?」


 私は軽く首を傾けてイグナツィオ様を見つめる。

 メルクリオは私と馴染みのある街だけれど、伯爵様とは直接関係はないはずだけれど……?


「メルクリオ伯爵は、この州の政務卿だ」

「政務卿……?」

「州の行政全般を行う文官の長のことだ。国でいうと、宰相のような立場だと言えば分かりやすいだろうか」

「へぇ、メルクリオ伯爵はそのような立場の方だったのですね」


 馴染みのある街の領主と会うことを知って、少し肩の力が抜ける。その直後、イグナツィオ様から驚きの情報が語られた。


「父上が政務の大半を任せている現状では、公爵夫人は政務卿の補佐を受けて州の行政を取り仕切っている。つまり、メルクリオ伯爵は、公爵夫人の腹心とも言える人物だ」

「……え?」


 私は思わず目を見張る。腹心という言葉の重みから想像するに、それはつまり、メルクリオ伯爵はフィアンマ様陣営に属する人物ということだ。

 驚きに私が目を瞬かせていると、控室の扉がノックされた。


「準備が整いました。これより謁見室へご案内いたします」


 先ほどと同じ侍従が姿を現し、イグナツィオ様が立ち上がる。


「話はここまでだ。ファビアン、キアーラ。其方らはここで待つように」


 待機を命じられたファビアンとキアーラが頷きを返す。驚きから立ち直れていない私が、座ったままぼうっとしてると、ルキスが私に声をかけた。


「行こう、アリーチェ」


 私は慌てて立ち上がると、部屋の入口へ向かうイグナツィオ様の横に並ぶ。


「そういう話は、もう少し早く教えて欲しかったです」


 少しじとりとした眼差しで隣を見上げると、イグナツィオ様はふっと静かな笑みを浮かべた。


「驚きで緊張が吹き飛んだのではないか?」


 私は思わず口をぽかんと開けそうになって、慌てて表情を繕う。

 確かに、さっきまであった緊張は全て吹き飛んでしまった。これが緊張を解すための策略なら、私は見事にその策に嵌ってしまったことになるだろう。

 感謝するべきかどうか複雑に思いながら廊下を進むと、目的地と思われる謁見室の扉が見えてきた。その前には二人の騎士が扉を守るように直立していた。

 じっと降り注ぐ騎士の視線に、また新たに緊張が高まってくる。


「大丈夫。胸を張って」


 私の背後からルキスの穏やかな声がかかる。背中をそっと押すような声に、張り詰めた心が緩むのを感じた。

 前を向いたまま軽く頷いて返事をすると、私はひとつ深く呼吸をした。


 騎士の合図とともに、大扉がゆっくりと開いていく。

 私はごくりと喉を鳴らし、視線を真正面からやや下へと落とす。そして視線はそのままに、重々しい雰囲気が漂う謁見室へとゆっくりと足を進めた。

 進みながら部屋の様子を探ると、今回案内された場所は事前に聞いていたとおり小規模の謁見室のようで、先ほどの控室の倍くらいの広さの部屋だった。部屋の奥は一段高くなっており、そこに椅子に座る人物が二人、壇の前には左右に分かれて複数人が立っているのが分かった。


 視線を感じながらイグナツィオ様と並んで前へ進み、壇の少し手前で足を止める。

 私とイグナツィオ様が膝をついて最上級の挨拶をしようとした、その瞬間――


「よい。其方らが膝を折る必要はない」


 少し掠れながらも、有無を言わせぬ公爵様の声がそれを止めた。


(止められた?)


 礼の途中で動きが止まっていたけれど、私はすぐに姿勢を整え、起立したまま丁寧な礼をとった。


(膝を折らない場合の礼も練習していてよかった……)


 パルミラに何度も矯正された仕草を思い出しながら、指先の角度、首の傾き、スカートの広がりにまで神経を行き渡らせる。

 深い礼を終えたところで、公爵様の落ち着いた声が響いた。


「二人とも、面を上げよ」


 そう言われて、私は顔を上げると、正面に座る男性――薄い青灰色の髪と瞳の端正な男性と視線が合う。

 間近で見る公爵様の顔は、イグナツィオ様とどこか通じる面影があり、その顔色は思っていたよりも青白い。落ち着いた眼差しの奥には、深い疲労と憂いが沈んでいるように見えた。

 政務の大半を任せていると言っていたし、今日は無理を押して謁見の場を設けてくれたのかもしれない。

 そして、その隣には燃えるような赤髪の女性が腰掛け、黄金の瞳がまっすぐにこちらに向けられていた。一目で、気の強さと自尊心の高さが分かるような女性だった。

 イグナツィオ様が一歩前に出て、私を紹介してくれた。


「閣下、本日はお時間をいただきありがとうございます。こちらが闇の神紋者、アリーチェです」


 紹介に合わせて、私は裾をつまみ軽く会釈する。


「公爵閣下にご挨拶申し上げます。アリーチェと申します」


 公爵様の視線がじっと私に注がれる。そのまなざしは為政者にしては鋭すぎず、まるで凪いだ湖のような静かな目だった。


「其方の身に起きたことは聞いた。誠に痛ましい事件であったが……神の目に留まったことには、必ずや何か意味があるだろう。我が息子、イグナツィオに後援を求めたそうだが、神紋者である其方が、滞在場所としてここ水の州を選んでくれたことを喜ばしく思う。心ゆくまで、この城に滞在するといい」

「……ありがとうございます」


 胸に手を当て、丁寧に礼をした。

 これで、私の州城への滞在が正式なものになる。形式とはいえ、こういう手順を踏むことは大事だ。


「其方は平民だと聞いたが、姓はなんという?」

「グロッソでございます、閣下」

「そうか。其方は神紋者であるから、今後はグロッソの姓を名乗るとよい」

「アリーチェ・グロッソ、公爵閣下の寛大なお言葉に、心より感謝申し上げます」


 この国では平民も姓を持っているけれど、平民が人前で姓を名乗ることはほぼない。

 かつて、姓は貴族のみが許される特別な証だった名残から、今でも名乗りの際に姓を名乗れるのは、貴族だけだという不文律がある。

 平民がうかつに姓を名乗れば、貴族の詐称と取られたり、貴族相手に名乗れば対等だと宣言したと受け取られて、不敬罪に問われる場合もあるくらいだ。

 父から“グロッソ”の姓を聞いたときも、「絶対にみだりに口にするな」と厳しく言われたことを覚えている。

 本来なら、神紋者である私は許可を得ることなく姓を名乗っても問題はないけれど、“公爵閣下に許された”という形があったほうが後々円滑だという判断から、このやり取りを行うことは最初から決められていた。

 澱むことなく無事にやり取りを終えられたことに、胸の内でホッと安堵の息を吐く。


(これであとは退室するだけ……のはず)


 そう思ったその時、今まで一言も発さず、ずっと私を値踏みするような視線を向けていた赤髪の美女――フィアンマ様がすっと美しい微笑を浮かべた。

 その笑みに、思わずドキリと心臓が跳ねる。黄金の瞳が肌の表面をなぞるように一瞥した後、ゆっくりとフィアンマ様が口を開いた。


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