#10 これでいい
このエメト、
前世の力が使えるんですよ。
部屋を出て廊下に踏み出すと、月明かりが薄く床を照らしていた。
だが、全身にまとわりつく重さは消えず、足取りは自然と鈍る。
まるで鉛を背負ったかのように、関節ひとつひとつが軋む。
――厭だ厭だ。こんな重さ、どうにかならんのか。
呟きながらも、原因を深く考えはしない。
生まれ持った力を使えば当然の疲労。
そう思い込み、無意識に受け入れているのだ。
息を整え、ゆっくりと足を進める。
シャワー室の扉が近づくたび、わずかに期待と安堵が混ざる。
入った途端、膝がわずかに折れ、壁に手をつく。
全身が岩塊に押し潰されたかのように重く、息をするのさえ億劫だった。
息を整え、ゆっくりと足を進める。
シャワー室の扉が近づくたび、わずかに期待と安堵が混ざる。
入った途端、膝がわずかに折れ、壁に手をついた。
全身が岩塊に押し潰されたかのように重く、息をするのさえ億劫だった。
――やれやれ。魔法を使えば、どうしてこうも体が軋むのか。
ぼやきながらも、不思議だとは思わない。
いつものことだと、深く考えもしなかった。
熱い湯を浴びれば、一瞬だけ筋肉がほぐれる。
だが根に絡みついた重さは消えず、骨の芯まで疲労が沁み込んでいた。
――厭だ厭だ。いつまでも慣れることのない感覚だ。
湯を止め、重い足取りで部屋へ戻った。
だが扉を開けた瞬間、そこにいるはずのアゼムの姿はなく、胸の奥がざわついた。
慌てて扉を押し開けると、そこにはアゼムが立っていた。
「両手が塞がって、開けられなくて困ってたんです。よく気づきましたね」
両手には、湯気を立てるホットミルクが二つ。淡い蒸気が月光に反射して揺れる。
「……やれやれ。それのために、その格好で外に出たのか?」
エメトセルクは眉をひそめ、思わずため息をつく。だがその声には、わずかな苛立ちと呆れが混ざっていた。
「あ……はい。ホットミルク、温めてきました。冷めないうちに飲みましょ〜」
アゼムは無邪気に笑い、カップを差し出す。その仕草に、どうしても目が離せなくなる。
「……厭だ厭だ。お前、私がいない間に勝手に出歩くな」
口ではそう告げるエメトセルクだが、内心では少し呆れを含む。
――本当に、相変わらず無防備すぎる奴だ。
だが同時に、カップから立ち上る湯気と、アゼムの無邪気な笑顔が、先ほどまで体を縛っていた鉛のような重さを、ほんのわずかだけ溶かしていくのを感じた。
胸の奥で、重苦しかった疲労がふっと緩む。
苛立ちと微かな安堵が交錯し、口では“……厭だ厭だ”と言いつつも、その胸の熱は苛立ちを押しのけ、アゼムの存在に救われていることを静かに知らせていた。
ホットミルクを啜りながら、アゼムと他愛のない会話を交わす。
エメトセルクの旅路での些細な出来事や、道中の失敗談に、二人は思わず笑い合った。
柔らかな笑い声が、静かな部屋にひっそりと響く。
やがて二人とも飲み終わり、そっとコップをテーブルに置く。
アゼムは迷うように、一歩距離を詰めて隣に腰掛けた。
肩が触れ合うか触れ合わないかの微かな距離に、なんとも言えない穏やかさが漂う。
「体が冷めないうちに寝ましょ。今日はさすがに疲れたね」
「ああ、そうだな」
壁際に横たわるエメトセルクをよそに、アゼムもベッドに横になる。
ふと、エメトセルクは小さく意地悪そうに笑みを浮かべ、寝返りを打って毛布の端をさらう。
「ひっどーい!」
アゼムは毛布を追いかけ、端をつかんで引っ張る。
エメトセルクはくすくすと笑いをこらえながら、絶妙なタイミングで毛布を引き返す。
「…ククッ、取れるもんなら取ってみろ」
ベッドの上で小さな綱引きが始まり、アゼムの必死な顔と、エメトセルクの意地悪げな笑みが交互に映る。
毛布を巡る争奪戦の間にも、微かに触れる肩や腕の距離が、二人の親密さを自然に感じさせる。
「ちょ、もう…! ずるいです!」
「いや、これは生き残りをかけた戦いだ」
力と笑いが混ざる中、アゼムの顔には思わず笑みがこぼれ、ベッドの上は静かな夜のはずなのに、二人だけの軽やかな時間で満たされていった。
やがてエメトセルクが毛布の一部をアゼムに残して妥協すると、二人は肩を並べて横たわる。
毛布越しに触れる腕の温もりが、いつもより少し近く感じられ、心の奥にじんわりと安心が広がる。
「……これで、いいか?」
「うん……これでいい」
短い言葉だけれど、互いの存在を確かめ合うような温かさがそこにあった。
エメトセルクは内心、苛立ちとともにほのかな安堵を感じる
――この重さの一部が、今はアゼムに溶けてくれているようだ。
月明かりが窓から差し込み、静かに二人を包む。
笑い声が消えたあとも、微かなぬくもりと、互いに寄り添う安堵がベッドに残っていた。
ただ、
使う代償が大きく命がけです。




