第41話 終わりを告げる報告
理知帝国。
宰相の執務室に、慌ただしい足音が響いた。
「遠隔観測員からの報告が届きました!」
扉を開けた連絡員が、息を切らしながら頭を下げる。
九条玲央は机の前に座ったまま、ゆっくりと顔を上げた。
表情は整っている。
だが、その指先だけが、机の上を小さく叩いていた。
「そうか」
玲央は静かに言った。
「先に結果を話せ。奴らを葬ることはできたのか?」
連絡員は手元の報告書を開いた。
「読み上げます!」
そこで一度、言葉が止まる。
玲央の視線が細くなった。
「どうした。読め」
「……数人に、多少の傷を負わせたとのことです!」
沈黙。
部屋の空気が、わずかに冷えた。
玲央は、短く舌打ちをした。
「ちっ……あの価値のない無能は、やはり失敗したか」
机の上に置かれた指が止まる。
だが、すぐに玲央は息を整えた。
「まあ、想定内ではある。だが、今までのように無傷だったというよりは良い報告だ。詳細を話せ」
「はっ!」
連絡員は報告書へ視線を落とす。
「当初の予定通り、砦の中に招き入れ、目的の会議室へ幾人かを誘導。他の者には食事を振る舞い、飲食させるところまでは成功したとのことです」
玲央の眉が動いた。
「食べさせることには成功したのか?」
「はい」
「では、なぜ多少の傷などという小さな結果になった」
声は穏やかだった。
だが、連絡員の喉が小さく鳴る。
「用意した食器は使われず、手掴みの形ではありますが、飲み食いをしているところは確認されています。ですが、時間が経過しても毒の効果は見受けられませんでした」
「毒が効かなかった?」
玲央は、聞き返した。
ありえない。
身体強化は、肉体を魔力で補強する技術だ。
それによって膂力が上がる。
動作が速くなる。
肉体の耐久性が増す。
だが、毒への耐性とは別の話だ。
少なくとも、理知帝国の研究ではそう結論づけられている。
身体強化に長けた者であっても、毒を食らえば効く。
魔法で解毒するなら別だ。
だが、それには術式を起動する必要がある。
食事の中に混ぜた毒へ、全員が即座に対応するなどありえない。
「続けろ」
「はっ。会議室での交渉も、うまく運んでいる様子はありませんでした。相手側のリーダーと思われる人物が席を立ったと同時に、遠隔起爆式の大型魔法地雷を起動」
連絡員は、そこで一度言葉を区切った。
「会議室にいた五人に傷を負わせ、気を失わせる威力はあったようです。ですが、それ以上の効果は確認できなかったとのことです」
玲央は、しばらく何も言わなかった。
身体強化は魔法だ。
どれだけ長けていようと、使うには少々の時間が必要になる。
不意打ち。
密室。
遠隔起爆。
その条件なら、身体強化の起動が間に合うとは考えにくい。
仮に常時身体強化を行っていたとしても、その前段階として仕込んでいた身体強化解除の魔法地雷が先に働くはずだった。
身体強化を剥がす。
そこへ最大威力の爆裂を叩き込む。
毒も併用する。
そういう形だった。
それで、傷を負わせただけ。
気を失わせただけ。
殺せていない。
「……まさか」
玲央の声が低く落ちた。
「素の肉体だけで耐えたのか? 我が国の最大威力の魔法地雷を?」
連絡員は答えられない。
報告書に目を落とすしかなかった。
「爆発後、砦は崩壊しました。瓦礫の山となりましたが、会議室にいた五人以外は自力で脱出。その後、会議室側の瓦礫を肉体だけで掘り進め、発見し、起こしたとのことです」
玲央は聞いていた。
聞いていたはずだった。
だが、内容が頭に入ってこない。
瓦礫の山から自力で出てきた。
肉体だけで掘り進めた。
気を失った者を掘り起こした。
意味がわからない。
奴らが強い理由は、異常な身体強化ではなかったのか。
自分は、思い違いをしているのか。
馬鹿な。
解剖結果では、異常な身体強化に特化した器官が確認されていた。
商流国からの報告でも、身体強化解除弾の効果はあった。
少なくとも、剛力王国の者たちが身体強化を使うことは確認できている。
だが、結果が合わない。
結果から判断するなら。
奴らの肉体は、理知帝国の最大威力の兵器を受けても、傷を負う程度で済む。
毒も効かない。
瓦礫の中から這い出てくる。
それはもう、身体強化の問題ではない。
玲央の喉が、わずかに動いた。
自分は何と戦っている。
比喩としての化け物ではない。
そもそも、人ではなかったのか。
その時、再び扉が開いた。
「続報が届きましたので、報告いたします!」
玲央は顔を上げる。
「読め」
「周辺の兵を集結させた第二の砦にて、戦闘が始まりました!」
連絡員が声を張る。
「初撃の大型魔法弾は、これまでの報告にあったように受けることはせず、回避されました!」
玲央の目に、わずかな光が戻った。
そうだ。
まだ終わってはいない。
理知帝国には、魔法大砲が残っている。
威力だけなら、先の砦で使った大型魔法地雷には劣る。
だが、重ねて撃てる。
距離を取って撃てる。
連射はできずとも、数を揃えれば可能性はある。
そして、奴らは避けた。
今まで受けてきた攻撃を、あえて避けた。
つまり、危険を察知したということだ。
通用する可能性はある。
そう思った直後、連絡員の声が続いた。
「ですが、二射目として大型魔法弾を二発発射したところ、空中で爆発。こちらの兵にも影響が出ました」
灯った光が、すぐに消える。
玲央はゆっくりと顔を上げた。
「どういうことだ?」
声が低い。
「奴らに、遠くへ攻撃する手段などなかったはずだが?」
剛力王国の者たちは肉体だけ。
それが、玲央の認識だった。
壁を殴り、破片を弾として使う。
そういう報告はあった。
だが、第二の砦の周辺には、投げるための建造物などないはずだ。
そもそも、大型魔法弾は遅くない。
飛んでいる弾に、さらに別の何かを当てる。
そんなことができるはずがない。
連絡員は、報告書を持つ手に力を込めた。
「観測員によれば、土や岩を掴んで丸め、弾にしたように見えたとのことです」
時間が止まった。
玲央は何も言わない。
連絡員も動かない。
やがて、玲央がゆっくりと口を開いた。
「あなたは……」
それは、今まで誰にも聞かせたことのない声だった。
穏やかでもない。
余裕もない。
隠しきれない怒りが、声の底に滲んでいる。
「私を馬鹿にしているのですか?」
「い、いえ! 私は報告を読み上げているだけで――」
「土や岩を丸めて、空中の大型魔法弾に当てた?」
玲央は立ち上がった。
「それを、私に信じろと?」
連絡員は蒼白になった。
「観測員からの報告です! 複数の観測員が、同様の内容を――」
「黙れ!」
怒声が響いた。
部屋の外にいた側近たちまで、息を呑む。
九条玲央が声を荒げることなど、滅多にない。
彼は怒りを見せない。
喜びを見せない。
驚きも、焦りも、余裕の笑みに隠す。
それが九条玲央という男だった。
だが、この時だけは違った。
理屈が崩れていく。
前提が崩れていく。
積み上げた対策が、報告のたびに意味を失っていく。
そして、その原因として届くのが、土を丸めて投げたなどという馬鹿げた報告。
許容できなかった。
連絡員は震えながら頭を下げる。
だが、続報は止まらない。
戦況は逐次送られてくる。
大型魔法弾は避けられた。
空中で撃ち落とされた。
魔法地雷は傷を負わせたが止められなかった。
多連魔法銃は撃ち続けたが、接近を許した。
外壁を砕かれ、破片を弾として投げつけられた。
兵が吹き飛ばされた。
魔法大砲が破壊された。
多連魔法銃が砕かれた。
砦の壁が崩された。
兵が全滅した。
報告は続く。
ひとつひとつが、玲央の中の理屈を壊していく。
これは、理知帝国の総力だった。
首都を守るため、首都近くの砦へ兵を集めた。
第一の砦から引き抜いた兵。
第二の砦にいた兵。
周辺の砦から集めた兵。
数少ない新兵器。
最新式の多連魔法銃。
魔法大砲。
魔法地雷。
身体強化解除の弾。
通常の魔法弾。
それらを揃えた。
それでも止まらなかった。
玲央は報告を聞きながら、椅子に深く座り込んだ。
この国が終わる。
そう理解した。
理知帝国が積み上げてきた栄光。
魔法技術。
規格。
物流。
制度。
兵装。
自分が奪い、自分の功績として広げた魔法銃。
それらが、ここで途切れる。
剛力王国の者たちは、首都まで来る。
もう止められない。
だが、玲央はすぐには諦めなかった。
「奴らは今、どうしている」
「第二の砦を破壊後、少し移動して休息を取っているとのことです」
「夜間か」
「はい」
玲央は目を閉じた。
日中に正面から戦って止められないなら、夜だ。
休んでいるところを襲う。
残っている魔法大砲を動かす。
数は少ない。
だが、何もせず首都へ迎え入れるよりはましだ。
「残った魔法大砲を運ばせろ」
玲央は命じた。
「夜のうちに撃ち込め。眠っているなら、まだ可能性はある」
「承知しました!」
側近たちが動き出す。
命令はすぐに伝えられた。
残存兵装が運ばれる。
夜の闇に紛れ、少数の部隊が動く。
これが最後の手だった。
理知帝国の、最後の頼みの綱。
だが。
夜が明ける前に、その報告も届いた。
「夜襲部隊より……いえ、観測員より報告です」
連絡員の声は、もはや震えを隠せていなかった。
「残った魔法大砲を用いた襲撃は、起きていた剛力王国の者に察知されました」
玲央は目を開ける。
「結果は」
「魔法大砲は発射前に破壊。爆発とともに失われました。部隊も壊滅したとのことです」
沈黙。
今度こそ、玲央は何も言わなかった。
窓の外は、まだ暗い。
夜明け前の理知帝国。
かつて、自分の未来が続くと信じていた国。
自分の名が刻まれるはずだった国。
その空が、少しずつ白んでいく。
終わりが近づいている。
玲央は、ようやくそれを認めた。
椅子に座ったまま、机の上の報告書へ視線を落とす。
そこには、ありえない報告ばかりが並んでいた。
毒が効かない。
最大威力の魔法地雷で死なない。
瓦礫から這い出る。
土や岩を丸めて、大型魔法弾を撃ち落とす。
魔法地雷を踏んでも止まらない。
多連魔法銃を浴びても接近する。
砦を平らにする。
夜襲すら潰す。
「……何なのだ」
誰に向けた言葉でもなかった。
「私は、何と戦っていたのだ」
答える者はいない。
執務室には、重い沈黙だけが残った。
そして、遠く東の空が、静かに明るくなり始めていた。
理知帝国の終わりを告げる朝が、近づいていた。




