第39話 稚拙な交渉
商流国の案内に従い、私たちは理知帝国へ足を踏み入れた。
前世で私が住んでいた国。
そう考えると、少し感慨深いものはある。
ただ、懐かしいかと言われると、そうでもなかった。
私は前世で、街の外へ出ることなどほとんどなかった。
研究所。
工房。
自宅。
式典や会議の場。
行き来していたのは、その程度だ。
だから、目の前に広がる景色を見ても、知っている場所だという感覚はない。
他の国よりも道が整っている。
ところどころに用途のわからない建物が点在している。
それくらいしかわからなかった。
理知帝国の首都は、ここから砦を二つ挟んだ先にある。
前世で知っていた地図から変わっていなければ、だが。
油断はできない。
他の国とは違う。
ここは、私が前世で開発した魔法銃を奪い、発展させた国だ。
商流国で使われた身体強化解除弾もそうだ。
あのような特殊な弾が、他にないとは限らない。
今、私の周囲にいる戦士は、私を含めて三十四人。
構成は、長が十一人。
長ではない戦士が二十三人。
もちろん、長ではないから弱いという意味ではない。
剛力王国において長ではない理由は、単にその集まりの中で一番強い人間ではなかったというだけだ。
理知帝国を侮っているわけではない。
むしろ、侮っていないからこそ、ここには最初に集まった百人前後の戦士の中でも、比較的実力の高い者たちに残ってもらっている。
この数なら、普通の国は壊せる。
だが、理知帝国を相手にすると考えれば、慎重に動いた方がいい。
戦士の肉体であれば、多少の魔法弾には耐えられる。
だが、これまでのように力を見せつけるため、わざと正面から受け続ける方針は変えるべきだろう。
砦。
外壁。
魔法銃の生産設備。
研究設備。
それらを優先して壊して回る。
戦士の力を見せつけることは必要だ。
だが、無駄に相手の罠へ付き合う必要はない。
私はその方針を、長たちを含めた戦士たちへ伝えた。
反対はなかった。
「そもそも、喧嘩を売ってきたのは理知帝国だろう」
「やったらやり返される。当然だな」
「壊してよいなら、わかりやすい」
実に剛力王国らしい反応だった。
そして、最初の砦が見えてきた。
石造りの砦。
道を塞ぐように構えられた、理知帝国の防衛拠点。
とりあえず手始めに、あの砦を破壊する。
そこから理知帝国との戦いを始める。
そう考えていた時、一台の馬車がこちらへ向かってきた。
敵だ。
それは間違いない。
だが、どういう意図で近づいてきたのかわからないうちに、いきなり潰すのもどうかと思った。
私は戦士たちへ手で合図し、相手の出方を待つ。
馬車は、こちらの少し手前で止まった。
扉が開き、一人の男が降りてくる。
護衛らしい者は、ほとんど見えない。
その男は震える足で地面に立ち、こちらへ深く頭を下げた。
「剛力王国の方々と、交渉をさせていただきたく参りました」
交渉。
その言葉を聞いて、私は内心で息を吐いた。
理知帝国を潰す。
魔法銃を潰す。
それは確定事項だ。
交渉の必要はない。
「交渉することはない」
私はそう告げ、そのまま砦へ向かおうとした。
だが、背後から男の声が飛ぶ。
「あの砦に兵は一人も置いておりません。すでに引き上げさせました」
足が止まる。
男は続けた。
「無抵抗な相手に対して、言葉ではなく力だけで押し通す。それが、剛力王国の戦士なのですか?」
嫌な言い方をする。
理知帝国らしい。
言葉でこちらの拳を鈍らせに来ている。
本当なら、そのまま潰してしまいたい。
理知帝国のことだ。
言葉巧みに何かを仕込んでくるに決まっている。
だが、ここで砦を壊せば、相手の言葉を認めるような形にもなる。
自分たちは蛮族だ。
無抵抗な者にも言葉を交わさず力だけで押し通す。
そう示すようで、拳が鈍る。
「剛理」
近くにいた長の一人が口を開いた。
「そこまで言うなら、話くらいは聞いてやってもいいんじゃないか?」
「……ですが」
「相手は丸腰で来ている。力を持たない身で、この戦士たちの前まで来るだけでも相当な勇気だ」
別の戦士も頷く。
「聞くだけならいいだろう。気に入らなければ、その後で壊せばいい」
弱い。
そう言われると弱い。
剛力王国の戦士は、力を持たない相手に対して無闇に拳を振るうことを良しとしない。
まして、相手が丸腰で目の前に出てきたのなら、話くらいは聞く。
そういう筋は通っている。
私は男を見る。
「話だけは聞く」
男の顔に、安堵が浮かんだ。
「ありがとうございます。では、砦の中へ」
「聞くだけだ。交渉が成立すると思うな」
「承知しております」
男は頭を下げた。
私たちは砦へ向かった。
砦の中に兵は見当たらない。
たしかに引き上げさせたらしい。
用意された会議室へ通されたが、全員は入りきらない。
当然だ。
剛力王国の戦士三十四人が、他国の会議室に全員入れるはずがない。
私は強い者の上位五人に残ってもらうことにした。
他の戦士たちは、別室や広い場所に案内される。
食べ物や飲み物も振る舞われた。
それを見て、私は少し警戒する。
理知帝国の出すものだ。
毒の可能性はある。
だが、近くにいた長が笑った。
「戦士に毒など効くものか」
「ですが」
「ここにいる大半は魔物の肉を食っている。並の毒でどうにかなるなら、今までに死んでいる」
たしかに。
剛力王国の戦士に毒が効くとは考えにくい。
私自身も、魔物の血肉に慣らされている。
前世の感覚で警戒しすぎていたかもしれない。
もちろん、理知帝国なら何か特殊なものを用意していてもおかしくはない。
だが、戦士たちは気にした様子もなく飲み食いを始めていた。
会議室の中には、私と上位の戦士五人。
そして、理知帝国の外交官。
改めて男を見る。
ひ弱だ。
少し触れれば壊れる。
そんな印象を受ける。
この身でよく、この場まで来たものだ。
心の中で、ほんの少しだけ称賛する。
だが、それだけだ。
ここまで来たからといって、交渉に応じるつもりはない。
「それでは、まず理知帝国としては――」
外交官が話し始めた。
その声を聞いた瞬間、私は微かな違和感を覚えた。
どこかで聞いたことがある。
ここへ来るまでは恐怖で震えていた。
だが、会議室に入り、少し落ち着いたのか、声の震えが収まっている。
そのせいで、妙に耳に残った。
聞いたことがある。
だが、すぐには思い出せない。
私はその違和感を頭の片隅に置きながら、外交官の話を聞いた。
どうせ全部突っぱねる。
そのつもりだった。
だが、聞いているうちに別の違和感が大きくなっていった。
この男、おかしい。
「理知帝国は強大な国です。この先で本格的にぶつかれば、そちらにも被害が出るでしょう。ですので、この辺りで手打ちにするというのは、双方にとって利益があるかと」
私は黙って聞いた。
最初に無理な条件を出し、次に少し軽い条件を出す。
そういう交渉手法があるのはわかる。
だが、これはあまりにもわかりやすすぎる。
しかも、こちらが引く理由がない。
剛力王国の村を焼いた。
魔法銃を広げた。
身体強化解除弾まで用意していた。
それで、被害が出るから手打ちにしないか。
浅い。
あまりにも浅い。
こんな能力のない男が、理知帝国の外交官なのか。
魔法銃がない時代、外交官は他国を侵略する上で重要な役割だったはずだ。
言葉で相手を揺さぶり、条件を引き出し、時には戦よりも大きな成果を得る。
そういう人間が外交に立っていた。
だが、この男からはそんな力を微塵も感じない。
私以外の戦士たちも、呆れている。
時間稼ぎのつもりなのか。
それとも本当に能力がないのか。
こんな幼稚な話を聞かされるくらいなら、食べ物や飲み物を振る舞われている別室へ行った方がましだったかもしれない。
そう思った時、私はようやく気づいた。
声。
顔。
老けていてすぐにはわからなかった。
だが、面影がある。
この男。
前世の父ではないか。
私は息を呑みそうになるのを抑えた。
こいつが外交官だと。
そんな話は聞いたことがない。
前世で、父が外交官として能力を持っているなど、私は一度も感じたことがなかった。
もしそんな能力があるのなら、私の人生も大分違っていたはずだ。
家の立場も。
私への扱いも。
研究所での立ち位置も。
何もかもが違っていたかもしれない。
だが、実際は違った。
こいつに外交官としての力などない。
それなのに、この場に出てきた。
怪しすぎる。
理知帝国が、こんな男を本気で交渉役に立てるはずがない。
これは罠だ。
私はそう確信した。
「どうやら時間の無駄のようだ」
私は立ち上がった。
「交渉はこれで終わりだ」
その瞬間だった。
足元から、魔力の気配が跳ね上がった。
まず、何かが体を撫でるように通り抜ける。
商流国で受けた身体強化解除弾と、似た性質の魔力。
だが、今回は何も起きない。
当然だ。
私は身体強化を使っていない。
そう理解した直後、さらに別の魔力が弾けた。
爆裂。
会議室の床。
おそらく、爆心地はこの部屋の中にあった。
間近。
無意識。
逃げる暇もない。
爆発が、視界を白く塗り潰した。
――
轟音。
砦が揺れた。
壁が砕け、天井が崩れ、床が割れる。
会議室だけではない。
建物の中にいた戦士たちも巻き込まれていた。
飲み食いしていた戦士たちが、爆発に呑まれる。
普通の人間なら、木っ端みじんになっているだろう。
砦は崩れた。
石と木材と土埃が混ざり、巨大な瓦礫の山になる。
だが、それで剛力王国の戦士が死ぬわけではない。
瓦礫が動く。
一人の戦士が這い出てきた。
続いて、別の戦士が石を押し退ける。
「……やってくれたな」
「飯を食っているところだったんだが」
「酒が土まみれだ」
声が上がる。
怒り混じりだが、命に関わる様子ではない。
戦士たちは次々に瓦礫の下から這い出していった。
だが、すぐに異変に気づく者がいた。
「点呼を取れ!」
長の一人が声を張る。
戦士たちは互いの姿を確認していく。
一人。
また一人。
瓦礫の下から引きずり出される者もいる。
だが、会議室にいた者たちの声がない。
「剛理は?」
その言葉に、空気が変わった。
誰より早く反応したのは、剛力羅だった。
「剛理!」
剛力羅は、会議室があったと思われる場所へ走った。
そして、拳を振るう。
瓦礫が吹き飛んだ。
石材が砕け、木材が跳ね、土埃が舞い上がる。
「そこだ! 掘れ!」
他の戦士たちもすぐに続いた。
自分たちで出てこられないということは、死んだのではない。
気を失っている。
瓦礫の下敷きになっている。
そう判断したのだろう。
戦士たちは次々に瓦礫を退かしていく。
普通なら重機が必要な量の瓦礫が、拳と腕で吹き飛ばされていった。
――
遠くで声が聞こえる。
誰かが呼んでいる。
剛力羅の声だ。
顔に衝撃が走る。
叩かれている。
いや、叩いているつもりはないのかもしれない。
だが、私にとっても十分痛い。
「剛理! 起きろ!」
意識が、少しずつ戻ってくる。
重い。
頭が揺れる。
体のあちこちが痛い。
私は目を開けた。
ぼやけた視界の中に、父の顔がある。
珍しく、安心したような顔だった。
「……父、さん」
「起きたか!」
私はゆっくり息を吸った。
どうやら気絶していたらしい。
体には傷がある。
これまでの戦いでは、ほとんどなかった傷だ。
皮膚は裂け、血も滲んでいる。
普通の人間なら、肉片も残らないような爆発だったのだろう。
だが、戦えないほどではない。
剛力王国の戦士としては、まだ軽い部類の傷だった。
私は体を起こした。
周囲には、同じように掘り起こされた戦士たちがいる。
会議室にいた長たちも無事らしい。
無事、という言葉が正しいかはわからない。
傷はある。
だが、生きている。
戦える。
それで十分だ。
私は崩れた砦を見渡した。
会議室だった場所。
外交官がいた場所。
理知帝国が用意した交渉の場。
その全てが瓦礫になっている。
やってくれた。
言葉を餌にして近づけ、丸ごと吹き飛ばす。
相手が自分の外交官ごと巻き込まれることなど、気にしていない。
むしろ、そのために置いたのだろう。
あの男が前世の父だったことに、何か感じるべきなのかもしれない。
だが、今はそれよりも怒りの方が強かった。
父の安心した顔を見た。
瓦礫を吹き飛ばして、私を掘り起こそうとしていた戦士たちを見た。
そして、理知帝国のやり口を理解した。
胸の奥から、怒りが湧き上がる。
「よくもやってくれたな」
私は立ち上がった。
体は痛む。
だが、動く。
戦える。
なら問題はない。
「理知帝国」
私は瓦礫の向こう、首都へ続く道を睨んだ。
そっちがその気なら。
こちらも、もう少しの手加減もしない。
砦を壊す。
設備を壊す。
魔法銃を壊す。
研究を壊す。
理知帝国が積み上げたものを、すべて筋肉で叩き潰す。
私の中で、最後に残っていた前世の国への感傷が消えていく。
ここは、もう私の国ではない。
敵だ。
私は拳を握った。
「行くぞ」
戦士たちが応じる。
崩れた砦の瓦礫を踏み越え、私たちは理知帝国の奥へ進む。
言葉で止める気がないのなら。
罠で殺す気だったのなら。
答えは一つだ。
やったらやり返される。
剛力王国では、それが当然なのだから。




