第38話 価値のない男
理知帝国。
宰相の執務室で、九条玲央は届いた報告に目を通していた。
商流国からの報告。
剛力王国の一団が商流国へ到着したこと。
魔法銃による確認を行ったこと。
通常の魔法弾は、やはり通じなかったこと。
そして、身体強化解除弾は一度だけ効果を示したこと。
「なるほど」
玲央は書面を指先で軽く叩いた。
「身体強化解除弾は効いた。そこまでは確認できたわけか」
報告によれば、最初の一発で剛力王国の男は倒れた。
身体強化を断たれ、体の制御を崩したらしい。
そこまではいい。
問題は、その後だ。
同じ弾をもう一度受けたにもかかわらず、効果が見えなかった。
続けて放たれた炎、氷、風、土の魔法弾にも、肉体そのものは傷つかなかった。
玲央は報告書を読み進めながら、わずかに眉を寄せた。
「……効果時間が、想定より短かったのか?」
身体強化解除弾は、剛力王国を相手にするための切り札の一つだった。
本来であれば、戦場で使うものだ。
まず身体強化解除弾を撃ち込む。
身体強化が切れたところへ、続けて通常の魔法弾を叩き込む。
そうして剛力王国の兵を殺す。
商流国には、そのために弾を渡していた。
だが、商流国はその形を選ばなかった。
自国が戦場になるのは割に合わないと判断し、剛力王国を見極めるための材料として使った。
望んだ使い方ではない。
だが、結果として身体強化解除弾が効くことは確認できた。
ならば、今回は目をつぶってもいい。
問題は、試した結果の解釈だった。
報告を見る限り、一発目は確かに効いている。
身体強化解除弾は、効く。
それは大きい。
だが、相手はその直後に、もう一度撃てと言ったらしい。
玲央は、そこで指を止めた。
「もう一度撃て、か」
ただの意地ではない。
恐怖を隠すためでもない。
効いたことに気づき、同時に仕組みもある程度読んだ可能性がある。
身体強化解除弾は、身体強化を使っている相手に効果を発揮する。
逆に言えば、身体強化を使っていなければ、大きな効果は出ない。
そこで、相手がすぐに気づいたのだとすれば。
次にその弾が来るとわかった時だけ、身体強化を使わずに受ける。
その後、改めて身体強化を張る。
理屈としては通る。
「戦いには秀でている。咄嗟にそこへ至ったとしても、不思議ではないか」
玲央は小さく呟いた。
剛力王国の者たちは、力頼りの化け物。
そう見ている。
だが、獣ではない。
戦いの中で判断する程度の知能はある。
ならば、こちらの弾に対しても即座に適応してきたと考えるべきだろう。
「渡したのは失敗だったか?」
自問する。
だが、すぐに首を横に振った。
「いや、解除弾の効果はあった。それを確認できた。それだけでも十分だ」
効果時間が短いのであれば、短時間で決めればいい。
身体強化を剥がす。
その瞬間に、通常の魔法弾を集中させる。
単独で止める必要はない。
組み合わせればいい。
剛力王国の兵がいかに頑強でも、身体強化を剥がした瞬間を狙えば、殺せる可能性はある。
いや。
殺すための形を作ればいい。
玲央は報告書を机に置いた。
「例の、功績だけで席に座っている外交官を呼べ」
側近が一瞬だけ目を伏せた。
誰のことか、すぐに理解したらしい。
今の理知帝国では、外交の仕事は以前ほど難しくない。
魔法銃という後ろ盾がある。
多少交渉が拙くとも、最後は武力で押し切れる。
だからこそ、実力のない者でも席に座れるようになった。
その中でも、あの男はわかりやすい。
自分の力ではなく、魔法銃の功績に引き上げられた男。
使えないが、地位だけはある。
玲央にとっては、今回の役にちょうどよかった。
側近が頭を下げ、部屋を出ていった。
しばらくして、一人の男が執務室へ通された。
年の頃は六十前後。
立ち振る舞いには、それなりに身についた礼法がある。
だが、その目の奥には長く燻ったものがあった。
地位だけは与えられた。
だが、それに見合う功績はない。
周囲からそう見られてきた男の目だった。
「お呼びでしょうか、宰相様」
男は深く頭を下げた。
玲央は穏やかに微笑む。
「ああ、呼んだ。最近は楽な仕事しかしていなかっただろう? お前の力を借りたいと思ってな」
男の顔がわずかに強張った。
「……剛力王国の者どもでしょうか?」
「そうだ」
玲央は頷いた。
「奴らはこちらの想定以上に厄介な存在のようでな。魔法銃が効かない化け物らしい」
その言葉に、男の表情が変わった。
驚き。
恐れ。
そして、どこかで機会を感じた者の色。
「それはそれは……」
「だから、お前の手を借りたい」
玲央は声を柔らかくする。
「今回の相手は、今までの相手とは違って難しい交渉になるだろう。だからこそ、報酬もそれに見合ったものを渡そう」
男は黙って聞いている。
簡単には飛びつかない。
それくらいの警戒心はあるらしい。
玲央は続けた。
「もちろん、口約束ではない。印を押した書類も用意する」
男の目が、そこでわずかに動いた。
口約束ではない。
正式な書類。
宰相の印。
それは、この男にとって十分な餌になる。
「かしこまりました」
男は深く頭を下げた。
「全力を尽くします」
「期待している」
玲央は笑みを崩さずに答えた。
男が部屋を出ていく。
扉が閉まった後、側近が静かに口を開いた。
「よろしかったのですか?」
「何がだ?」
「魔法銃の功で引き上げはしたものの、思った以上に使えないと仰っていたかと思いますが」
玲央は椅子に背を預けた。
「ああ、問題ない」
そして、先ほど男が出ていった扉を見る。
「アイツ自体には価値を感じていない」
「では、なぜ」
「逆に言えば、価値がないことに価値がある」
側近はすぐには理解できなかったようだ。
玲央は、机の上にある報告書を軽く押さえた。
「剛力王国は、力を重んじる国だ。言葉での交渉など、どこまで通じるかわからない。なら、壊れても惜しくない駒を使う」
「……最初から、交渉には期待していないと」
「成功すれば儲けもの。だが、本命はそこではない」
玲央の笑みは穏やかだった。
だが、その声には温度がない。
「あの男が死んだところで、帝国の損失は少ない。むしろ、その死を使える可能性すらある」
側近の目に理解の色が浮かぶ。
玲央は続けて、いくつかの指示を出した。
外交官に持たせる書類。
約束する報酬。
失敗時の扱い。
同行させる人員。
交渉場所の手配。
剛力王国の者たちを、できるだけ一か所に集めるための段取り。
そして、交渉が終わった後に必要となる準備。
側近は一つずつ頷いていく。
すべてを聞き終えた頃には、先ほどの疑問は消えていた。
「承知しました。ただちに進めます」
「ああ」
玲央は穏やかに笑った。
「交渉そのものに期待はしていない。必要なのは、奴らが言葉を聞くために足を止める場だ」
剛力王国の兵。
魔法銃が効かない化け物。
身体強化解除弾に適応した可能性のある存在。
確かに厄介だ。
だが、厄介であることと、倒せないことは同じではない。
玲央はそう考えていた。
――
外交官は、宰相の執務室を出た後、自らの屋敷へ戻った。
そこには長男が待っていた。
父の表情を見るなり、すぐに問いかけてくる。
「呼び出しは何でしたか?」
外交官は椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。
「宰相から、剛力王国との交渉を任された」
長男の顔色が変わる。
「剛力王国……ですか」
「ああ。どうやら魔法銃が効かない化け物らしい」
「馬鹿な……」
長男は思わずそう漏らした。
無理もない。
理知帝国にとって、魔法銃は新しい力だ。
国同士の力関係を変える兵器。
それが効かない。
そんな相手と交渉しろと言われたのだ。
普通なら、喜べる話ではない。
だが、外交官の顔には、不思議と暗さだけではないものがあった。
「まあ、だからこそ話が回ってきたということでもある」
「父上」
「今まで、死んだ息子のおかげでもらった地位だと、さんざん周りからうるさかった」
外交官は静かに言った。
長男は口を閉じる。
その言葉は、家の中でも何度も聞いてきたものだった。
死んだ息子。
魔法銃の開発に関わった、優秀だった息子。
その功績の余波で地位を得た父。
そう見られてきた。
実際、完全に否定できるものではなかった。
だからこそ、周囲の目は痛かった。
「だが、ここで私も役に立つというところを見せればいい」
外交官は、どこか自分に言い聞かせるように言った。
「剛力王国との交渉。難しい相手だ。だが、成功すれば大きい」
「……宰相の空手形というわけではないのですか?」
長男は慎重に言った。
「失敗前提で首を切るために、この話を持ってきたと」
外交官は少し笑った。
「それは私も怪しんだ」
そして、懐から一枚の書類を取り出した。
「だが、見ろ。ここに印が押された正式な書類も、宰相に出させた」
長男は書類を受け取り、内容に目を通す。
交渉によって得られた利益に応じて、必ず報酬を支払うこと。
交渉が失敗したとしても、現在の地位を剥奪しないこと。
そして、不慮の事故によって剛力王国の人間に殺されることがあった場合、その地位は息子へ引き継がれること。
そこまで、正式に書かれていた。
長男は最後の一文で、書類を読む手を一瞬止めた。
不慮の事故によって剛力王国の人間に殺されることがあった場合、その地位は息子へ引き継がれる。
あまりにも都合がいい。
普通なら、父に一言告げるべきなのだろう。
だが、長男は何も言わなかった。
この家の地位が自分に移る。
それも、宰相の印が押された正式な書類で保証されている。
ならば、父がどうなるかなど、今ここで心配する必要はない。
「……確かに、これなら問題ありませんね」
長男はそう言って、静かに書類を返した。
「問題ないだろう?」
外交官はそう言った。
その声には、どこか安堵があった。
自分の力で地位を示す機会。
死んだ息子の影から抜け出す機会。
そう思っているのだろう。
長男は父の顔を見ながら、胸の奥に浮かんだ違和感を押し込めた。
不慮の事故。
剛力王国の人間に殺されることがあった場合。
気にはなる。
だが、宰相の印がある。
報酬もある。
地位の保証もある。
父が成功すれば、家の評価は変わる。
父が死んでも、地位は自分のものになる。
ならば、悪い話ではない。
少なくとも、長男にとってはそうだった。
外交官は窓の外へ視線を向ける。
「剛力王国か」
魔法銃が効かない化け物。
だが、相手が人であるなら、言葉は通じるはずだ。
そう信じたかった。
長男は父の横顔を見ながら、静かに口を閉ざした。
書類に印はある。
条件も悪くない。
宰相がそこまで用意したのなら、これは正式な任務だ。
父がどうなるにせよ、家は残る。
そう納得することにした。
――
同じ頃。
九条玲央は、側近から準備の進捗を聞いていた。
外交で時間が稼げるなら、それでよい。
剛力王国の兵が足を止めるなら、それでよい。
怒り狂って外交官を殺すなら、それもまた使い道がある。
だが、どの場合でも、最後に必要なのは準備だ。
身体強化解除弾。
通常の魔法弾。
新たに用意した兵装。
配置。
誘導。
弾薬の補給。
そして、剛力王国の者たちを一か所に集めるための形。
「急がせろ」
玲央は短く命じた。
「奴らが、ただの力自慢で終わるなら言葉に耳を傾けるかもしれない。だが、そんな期待はしていない」
「承知しました」
側近が頭を下げる。
「言葉には意味がある。説得するためではない。相手に足を止めさせるためだ」
玲央は窓の外を見た。
理知帝国の整えられた街並みが広がっている。
規格化された道路。
管理された物流。
訓練された兵。
そして、魔法銃を中心に組み上がりつつある新しい武力。
力任せの国に、これを壊されるつもりはない。
「さて」
玲央は静かに笑った。
「化け物相手に、言葉がどこまで通じるでしょうね」
その声には、期待も同情もなかった。
ただ、駒を動かす者の冷たさだけがあった。




