第37話 身体強化なんていらなかった
商流国に着いた。
そこで少し驚いたのは、相手が国の中で待っていなかったことだ。
街門の内側でもない。
城でもない。
街の外に、商流国の者たちは出てきていた。
最初は、入ってくるなという拒絶の意思かと思った。
だが、どうやら違うらしい。
「剛力王国の戦士の方々ですと、街の中は壊れ物ばかりで気を遣われるでしょう?」
商流国の代表らしき男は、穏やかな笑みを浮かべてそう言った。
「こちらであれば、多少はお話もしやすいかと思いまして」
なるほど。
侮れない。
境嶺国でのことを聞き、剛力王国の戦士が他国の建物や器を簡単に壊すことまで把握している。
その上で、こちらに失礼になりすぎない形を選んだ。
街の外で待つ。
拒絶ではなく、配慮として。
情報を得て、それをすぐに使える国。
商流国という名前は伊達ではないらしい。
さすがに、剛力王国の戦士を完全にもてなす場所までは用意できなかったようだ。
だが、少なくとも表向きは友好的に接しようとしている。
心の内で何を考えているかまではわからない。
だが、ここでいきなり力で押し切れば、こちらがただの蛮族になる。
力で押し潰す方が簡単だ。
必要ならやる。
だが、使えるものまで壊す必要はない。
私は商流国の代表と向き合った。
「それで、話がしたいとのことでしたが」
「はい」
男は深く頭を下げた。
「商流国にて代表を務めております、流道と申します」
そう名乗ってから、流道は穏やかな笑みを崩さずに続けた。
「商流国としては、この国が戦場になるくらいでしたら、理知帝国までの道を案内してでも回避したいところです」
言葉は丁寧だ。
だが、意味はかなりはっきりしている。
自分たちの国で戦うな。
理知帝国へ行くなら道は教える。
だから、ここを壊すな。
商人らしい判断だと思った。
「ですが、こちらにも事情がありまして」
男は続ける。
「商流国は、現在は理知帝国の属国という立場にあります。ですので、剛力王国の方々が必ず勝つとわからないまま道を開ければ、それは理知帝国への裏切りになります」
周囲の戦士たちの空気が少し変わった。
だが、男は怯まず言葉を続けた。
「もし剛力王国の方々が敗れた場合、商流国は理知帝国を裏切った代償を支払うことになるでしょう」
代償。
実に商流国らしい言い方だ。
理知帝国の報復。
取引の停止。
財の没収。
人質。
あるいは国そのものへの制裁。
それらをまとめて、代償と呼んでいるのだろう。
商流国からすれば、勝つ相手を見極めたい。
理知帝国へ案内して、剛力王国が勝てば問題ない。
だが、剛力王国が負ければ、商流国は理知帝国に責められる。
商売の国としては当然の不安だ。
隣にいた父が眉をひそめた。
「結局、何が言いたいのだ?」
直球だった。
商流国の代表は、少しだけ笑みを深めた。
「話では聞いております。魔法銃が効かなかった、と」
男は私を見る。
「情報としては、確度の高いところから入手しておりますし、信じてはおります。ですが、何事も実際に目にしないと確信が持てません」
「つまり」
「失礼ではありますが、試させてもらってもよろしいでしょうか」
周囲の空気が張る。
商流国の者たちも緊張している。
言っていることは、かなり危険だ。
剛力王国の戦士へ魔法銃を撃たせろ。
それも、信用するために。
境嶺国であれば、この時点で殴られていたかもしれない。
だが、商流国の男は続けた。
「結果の如何にかかわらず、理知帝国までの道は案内いたします」
逃げ道を用意している。
ただ試したいわけではない。
こちらを怒らせない範囲で、確認したい。
剛力王国が本当に理知帝国に勝てるのか。
商流国が乗るべき馬はどちらなのか。
そういう話だ。
私は少し考えた。
ここで断ることもできる。
だが、商流国を使うなら、ある程度納得させた方がいい。
それに、魔法銃の威力を見せられて恐れる段階はもう過ぎている。
「わかりました。私が受けます」
「剛理」
父がこちらを見る。
私は頷いた。
「大丈夫です」
身体強化を巡らせる。
油断はしない。
境嶺国で受けた魔法銃より、どんな弾が出るかわからない。
だが、商流国が持っているものなら、基本は理知帝国から回ってきた魔法銃だろう。
なら、受けられる。
私は一歩前に出た。
商流国の兵が魔法銃を構える。
銃口がこちらへ向く。
炎の弾。
氷の弾。
風の弾。
いくつかの魔法が順に放たれた。
炎が弾ける。
氷が砕ける。
風が服を揺らす。
だが、傷はない。
痛みもほとんどない。
商流国の者たちが小さくざわめく。
流道は笑みを浮かべたまま、目だけを細めた。
「すばらしいですね」
そして、丁寧に頭を下げる。
「もう一発、よろしいでしょうか?」
私は少しだけ違和感を覚えた。
今の結果を見れば、普通なら十分だ。
それなのに、もう一発。
ただ、ここで断れば、商流国側に余計な疑いを残すことになる。
「構いません」
そう答えた瞬間、商流国の兵が別の弾を装填した。
銃口がこちらを向く。
私は身体強化を維持したまま、それを受けた。
直後。
体から力が抜けた。
「――っ?」
身体強化が切れた。
いや、切られた。
自分の体が、急に自分のものではなくなったような感覚。
今まで当たり前に支えていた力の流れが断たれ、体の制御が一瞬で狂う。
足がもつれた。
私はその場に倒れ込んだ。
「剛理!」
父が焦った声を上げ、すぐに駆け寄ってくる。
周囲の戦士たちの気配も鋭くなった。
私は地面に手をつきながら、息を整える。
痛みはない。
傷もない。
だが、身体強化が使えない。
いや、使おうとしても流れが乱れる。
しばらくは発動できない。
そういう感覚があった。
身体強化解除弾の効力は、まだ残っている。
少し時間を置けば戻るのか。
半日か。
一日か。
それとも、もっと長いのか。
それはまだわからない。
だが、少なくとも一瞬だけ解除して終わりというものではない。
戦場で使うための弾なら、当然そのくらいの効力は持たせているはずだ。
そして、その事実を体感として理解しているのは、おそらく今のところ私だけだ。
商流国の者たちは、身体強化を解除できたことに目を向けている。
理知帝国も、剛力王国の力の核をそこだと見ているのだろう。
だが、それは違う。
少なくとも、一般的な剛力王国の戦士は身体強化など使っていない。
身体強化を覚え、鍛える時間があるなら、肉体を鍛える。
それがこの国の戦士だ。
だから、身体強化解除弾は私には効いた。
だが、他の戦士たちには、そもそも剥がすものがない。
流道は表情を変えずにこちらを見ている。
だが、内心は見えた気がした。
効くのか。
そう考えたのだろう。
身体強化を解除できる。
なら、剛力王国の戦士は止められるのではないか。
勝ち馬は、理知帝国の方なのではないか。
そして、この情報は高く売れる。
商流国の人間なら、そう考えてもおかしくない。
私はゆっくりと起き上がった。
父が手を貸そうとしたが、首を振って止める。
少しすれば体は動く。
身体強化なしの肉体でも、私は剛力王国の戦士だ。
ただ、今の一撃は大きかった。
油断していないつもりだった。
だが、油断があった。
理知帝国が身体強化への対策を考えていないはずがない。
頭ではそう思っていた。
それなのに、実際に受けるまで危険性を甘く見ていた。
「身体強化を解除する弾ですね……もしかしたら、魔法自体を使えなくする弾かもしれませんが」
私は商流国の代表を見た。
「ここで知れたのは良かったです」
男の表情は変わらない。
丁寧な笑みのままだ。
だが、これで終わらせれば駄目だ。
このままでは、商流国は理知帝国側につく。
少なくとも、裏で邪魔をしてくる。
私たちがここを抜けた後、理知帝国へ情報を流す。
道や物資の流れを操作する。
商流国なら、それができる。
今の失態のせいで、戦士の価値を見誤らせるわけにはいかない。
「すみません」
私は口を開いた。
「先ほどの魔法弾を、もう一度お願いできますか?」
流道が、わずかに目を細める。
「もう一度、ですか?」
「はい。続けて、他の魔法弾を撃ってもらっても構いません」
周囲がざわつく。
父が私を見る。
烈真も、黙ってこちらを見ている。
私は続けた。
「これは、私のせいで戦士の価値を見誤ってほしくないからです」
流道は、少しだけ考える素振りを見せた。
だが、内心では喜んでいるだろう。
さらに効果を確認できる。
身体強化解除弾がどれほど有効かを見られる。
その情報は、きっと高く売れる。
商流国にとって、こんなにおいしい話はない。
「承知しました」
男は静かに頷いた。
「では、失礼いたします」
私は立った。
今度は身体強化を使わない。
いや、正確には使えない。
身体強化解除弾の効力は残っている。
だが、それでいい。
足の裏で地面を掴む。
呼吸を整える。
父に言われたことを思い出す。
魔法はズルだ。
昔、そう言われた。
その時は、何を言っているのかと思った。
身体強化を使えるなら使えばいい。
使える力を使わない理由がない。
そう思っていた。
だが、父は私に肉体を鍛えさせた。
魔法に頼らず、ただ肉体を鍛えろと。
痛い飯を食べ。
魔物の肉を食い。
走り。
殴られ。
潰され。
蘭に何度も負け。
王の気配に震え。
危険領域の奥で生き延びた。
身体強化込みで生き延びたことも多い。
だが、ここに来て必要だったのは、魔法ではなかった。
魔法はズルと言われて鍛えた肉体。
父がしつこく叩き込んだ、ただの体だった。
商流国の兵が魔法銃を構える。
まず、身体強化解除の弾。
体に当たる。
すでに解除されているから、大きな変化はない。
続けて、炎。
氷。
風。
土。
魔法弾が重ねて放たれる。
爆ぜる。
砕ける。
叩きつけられる。
煙が上がる。
商流国の者たちが息を呑む気配がした。
煙が晴れる。
私はそこに立っていた。
服は少し破れている。
表面には焦げもある。
だが、肉体には傷がない。
血も流れていない。
痛みはある。
だが、倒れるほどではない。
私は商流国の代表を見る。
男の表情が、今度こそわずかに崩れていた。
「どうして……」
誰かがそう呟いた。
私は軽く息を吐く。
「先ほどはすみませんね」
そして、はっきりと言った。
「私が身体強化なんて戦士らしくないものを使っていたせいで、誤解をさせてしまいました」
空気が止まった。
商流国の者たちだけではない。
剛力王国の戦士たちも、少しだけ笑っている気配がある。
「剛力王国の戦士は、基本的に身体強化など使いません。そんなものを鍛える時間があるなら、肉体を鍛えます」
もちろん、身体強化が無意味というわけではない。
私自身、危険領域の奥では身体強化込みで生き延びた。
王のもとへ行く時も、身体強化がなければどうなっていたかわからない。
だが、一般的な戦士の本質はそこではない。
肉体がある。
痛みを食って鍛えた体がある。
魔物の肉を食って作った耐性がある。
倒され、殴られ、潰され、それでも立ち上がった体がある。
理知帝国は、おそらく身体強化を剥がせば止まると思っている。
商流国も、今そう思った。
だから、見せる必要があった。
剛力王国の戦士は、身体強化で強いのではない。
身体強化に頼らず、肉体そのものを鍛える。
それが戦士なのだと。
先ほどのままであれば、商流国は理知帝国についただろう。
だが、これを見た後なら違うはずだ。
私は振り返り、他の戦士たちを見る。
「何人か、試してもらえますか」
戦士たちは笑った。
「いいぞ」
「いつも通り受ければいいんだな?」
「服が破れるのは困るが、まあ仕方ない」
流道の顔色が変わる。
だが、止めることはできない。
彼ら自身が試したいと言ったのだ。
その後、私以外の戦士たちにも実演してもらった。
身体強化解除弾。
炎。
氷。
風。
土。
商流国が用意した魔法弾を、戦士たちは次々と受けた。
服は破れる。
焦げる。
土埃をかぶる。
だが、肉体は傷つかない。
中には、魔法弾を受けた後に首を傾げる者までいた。
「これで終わりか?」
「なるほど。たしかに戦士ではない者には怖いかもしれんな」
「服が破れたな。面倒だ」
そのたびに、商流国の者たちの顔色が悪くなっていく。
気持ちを折る。
それが目的だった。
身体強化解除弾が効く。
そう思った直後に、それでも駄目だと見せつける。
その落差は大きい。
魔法銃が効かない。
身体強化を解除しても、そもそも戦士たちには関係がない。
なら、商流国はどちらにつくべきか。
答えは、もう出ているはずだ。
私は商流国の代表へ向き直った。
「これで、話はしやすくなりましたか?」
男はしばらく黙っていた。
やがて、深く頭を下げる。
「……はい。十分に」
声に、先ほどまでの余裕はなかった。
「商流国は、剛力王国の方々を理知帝国まで案内いたします。道、物資、情報についても、可能な限り協力いたします」
「それは助かります」
私は頷いた。
「ただし、こちらからも条件があります」
「何なりと」
「商流国にも、長一人と戦士三人を置きます」
男の肩がわずかに揺れた。
だが、拒否はしなかった。
できるはずもない。
「監視ですか?」
「それもあります」
私は答えた。
「ですが、商流国は情報と物の流れを持っている。理知帝国側が何かを仕掛けてくる可能性もある。守りでもあります」
半分は本当だ。
半分は牽制だ。
商流国が裏切らないようにするため。
理知帝国へ情報を流す前に考え直させるため。
そして、必要ならすぐに動けるようにするため。
流道は、少しの沈黙の後、頭を下げた。
「承知しました」
こうして、商流国にも長一人と戦士三人を置くことが決まった。
理知帝国へ向かう道は開いた。
だが同時に、理知帝国がすでに身体強化への対策を用意していることもわかった。
それは、私には効いた。
けれど、剛力王国の戦士全体への対策としては大きくずれている。
普通の戦士は身体強化など使わない。
鍛えるのは魔法ではなく、肉体そのものだ。
油断はできない。
だが、理知帝国が剛力王国の戦士を身体強化の国だと見ているなら、その見立ては半分外れている。
むしろ、ここからが本番だ。
私は自分の体を見下ろす。
破れた服。
傷のない肌。
身体強化を封じられても残った肉体。
父の言葉が、今さらのように胸に落ちた。
魔法はズルだ。
だから、筋肉を鍛えろ。
その意味を、私はようやく少し理解した気がした。




