第22話 地獄を食らう覚悟
あの後、私は料理を食べた。
かなり食べた。
もう、食べられるだけ食べた。
長順十を目指すなら、村に帰ってから地獄が始まる。
剛真に言われた方法。
強い魔物を倒し、その場で直接食う。
考えただけで胃が身構える。
ならば今食べているこの料理は、しばらく味わえなくなるかもしれない。
最後の晩餐。
そう思うことにした。
いや、死ぬつもりはない。
死ぬつもりはないが、私の味覚と胃は一度死ぬかもしれない。
だったら今のうちに味わっておくべきだ。
肉を食べる。
うまい。
汁を飲む。
うまい。
野菜を食べる。
これもうまい。
目頭が熱くなる。
また泣きそうになった。
だが、ここで泣いてばかりでは長としての威厳がない。
私は必死にこらえた。
少し漏れた。
まあ、仕方ない。
うまい飯は強い。
それから、長同士の交流も欠かさないようにした。
長になった以上、他の長たちとのつながりは必要だ。
理知帝国であれば、ここでおべっかを使ったり、利を渡したり、相手の派閥を探ったりする。
相手が何を欲しているか。
何を嫌っているか。
誰と近いか。
そういうものを探り合う。
だが、ここは剛力王国だ。
交流とは何か。
戦いだ。
なぜだ。
いや、わかってはいる。
長になるような人間たちだ。
基本的に強い。
そして、強い人間は強い相手と戦うことを好む。
もちろん全員が全員、父のように何でも筋肉と言うわけではない。
だが、戦いを通して相手を知るという価値観は、この国全体に根付いている。
だから、交流が戦いになる。
意味はわかる。
納得は、まだ少ししたくない。
私自身、戦いが好きというわけではない。
勝つために戦う。
必要だから戦う。
強くならなければ奪われるから戦う。
その程度だ。
だが、交流もできて、戦闘経験も積める。
一石二鳥。
合理的だ。
合理的だが、理知帝国時代の私が聞いたら、間違いなく頭を抱える。
剛力王国に来てから、私は合理性という言葉の意味が少し広がってしまった気がする。
何人かの長と軽く手合わせをした。
本気の潰し合いではない。
だが、軽いと言っても剛力王国の長たちだ。
拳が重い。
動きが速い。
受けるだけでも体が軋む。
私は身体強化を使わず、まず肉体と技で対応した。
今後のためにも、どこまで素の力で戦えるかは確認しておきたい。
長たちは楽しそうだった。
「剛力羅の息子、思ったより動けるな」
「考えて戦う方か」
「身体強化なしでも十分強い」
そう評価されるのは悪くない。
ただ、途中で蘭が近くに来るたびに、長たちの視線がにやついた。
蘭は私が移動するとついてくる。
座れば隣。
立てば隣。
少し離れると近づいてくる。
戦いの邪魔はしない。
だが、終われば自然に私の近くへ戻ってくる。
そのたびに、長たちが面白そうな顔をする。
やめろ。
見世物ではない。
いや、かなり見世物かもしれない。
中でも、数少ない女性の長は蘭を見て、少し羨ましそうに言った。
「いいなぁ」
何がいいのか。
いや、聞かなくてもわかる気はする。
強く、若く、婚約者にべったりくっついている蘭。
剛力王国の価値観では、あれはかなり素直で可愛い態度なのかもしれない。
私には少し重い。
だが、悪い印象にはなっていないようだった。
むしろ、蘭が私にくっついていることで、私たちの関係は周囲にわかりやすく伝わっているらしい。
これはこれで悪くない。
そう思うことにした。
何度か手合わせをした後、私はふと思った。
長順十。
剛真は、長順十まで行けるようなら理知帝国の話を議題に上げてもいいと言った。
なら、長順十の長がどれほどのものなのか、今のうちに知っておきたい。
だが、私一人で挑んでも相手にならないだろう。
身体強化込みで十八。
それが今の私の評価だ。
そこから十まで上がるには、まだ大きな差がある。
なら、一人ではなく二人ならどうか。
私は蘭を見た。
蘭は私の隣にいた。
当然のようにいた。
「蘭」
「なに」
「一緒に、長順十の長に挑んでみるか」
蘭が少しだけ目を向けた。
「二人で?」
「ああ。長順十がどれほどの相手なのか知っておきたい。俺一人では相手にならないだろうから、蘭にも手伝ってほしい」
「うん」
返事が早い。
迷いがない。
私と一緒に戦うことが嬉しいのかもしれない。
いや、単に戦う相手が強いからかもしれない。
どちらだろう。
たぶん両方だ。
近くにいた長に相談すると、すぐに相手が決まった。
長順十の長。
相手は、大柄な女の長だった。
腕も足も太く、立っているだけで地面に根を張っているような安定感がある。
目は鋭い。
だが、笑っていた。
「二人で来るのかい?」
「はい」
「いいねぇ。夫婦で格上に挑む。嫌いじゃないよ」
「まだ婚約者です」
私が訂正すると、女の長は声を出して笑った。
「さっきからあれだけいちゃついていて、そういうのかい?」
私は言葉に詰まった。
いちゃついていた。
いや、違う。
蘭が近くにいた。
くっついてきた。
時々、抱きついてきた。
私はそれを受け入れていた。
……いちゃついていた、のか?
周囲の長たちも、どう見てもそういう目で見ている。
もはやこの場では、蘭は婚約者ではなく、ほとんど嫁扱いらしい。
否定したい。
だが、今の言葉に対しては、否定しきれなかった。
蘭は少しだけ満足そうに見える。
やめろ。
そこで満足するな。
だが、今はそれどころではない。
私と蘭は並んで構えた。
相手は一人。
こちらは二人。
普通なら有利だ。
だが、目の前の長を見ていると、とてもそうは思えなかった。
剛真ほどではない。
だが、明らかに強い。
父より上。
剛覇より上。
今の私より、ずっと上。
「来な」
短い声。
次の瞬間、蘭が飛び出した。
速い。
私も合わせて踏み込む。
蘭が正面から圧をかけ、私は横へ回る。
まともな力比べでは勝てない。
なら、蘭の動きに合わせて隙を作る。
そう考えた。
だが、甘かった。
女の長は一歩動いただけで、私たちの位置取りを壊した。
蘭の攻撃を受け、私の踏み込みを足で止める。
次の瞬間、視界が回った。
地面。
天井。
地面。
背中に衝撃。
息が詰まる。
隣で蘭も転がっていた。
何が起きたのか、理解が追いつく前に投げられていた。
「もう一度行くぞ」
「うん」
私は身体強化を巡らせた。
蘭もすぐに立ち上がる。
再び二人で踏み込んだ。
今度は先ほどよりも速い。
私も出せる力を出す。
蘭と挟む。
崩す。
打つ。
だが、届かない。
「いいねぇ」
女の長が笑った。
楽しそうだった。
そして、また私たちは転がされた。
それだけだった。
ぼろ負けだった。
身体強化込み。
蘭との二人がかり。
それでも届かない。
壁が高い。
高すぎる。
私は地面に転がったまま、息を吐いた。
「……遠いな」
「うん」
蘭も隣で短く答えた。
表情は変わらない。
だが、少し悔しそうだった。
女の長が近づいてきた。
「いいじゃないか」
私は起き上がりながら見る。
「負けましたが」
「負けたから悪いわけじゃない。二人とも若い。なのに、もうそこまで来ている。特に二人で合わせる動きが悪くない」
「合わせる動き?」
「ああ。夫婦で戦うなら、片方だけ強くても駄目だ。互いの邪魔をしない。相手の動きに乗る。それができるなら伸びる」
また夫婦と言われた。
私は訂正しかけた。
だが、さっきの「あれだけいちゃついていて」を思い出し、言葉を飲み込んだ。
たぶん、ここで訂正しても笑われるだけだ。
蘭は否定しない。
むしろ、否定しないでほしそうに見える。
仕方ない。
今は流そう。
女の長は蘭を見た。
「蘭だったか。あんたもいい。小さいのに芯が強い。剛理にべったりなのも悪くない」
蘭は少しだけ私に近づいた。
褒められているのか、からかわれているのか判断が難しいのだろう。
女の長は笑った。
「気に入ったよ。長順十を目指すなら、また挑みに来な。二人で来てもいい」
それはありがたい言葉だった。
ぼろ負けではある。
だが、気に入られた。
長順十の長に覚えられた。
そして、境目の高さもわかった。
見えた結果、あまりに遠くて頭が痛くなったが。
私は頭を下げた。
「ありがとうございました」
「次はもう少し転がされないようにしな」
「努力します」
その後も、私は何人かの長と話し、必要なら軽く手合わせした。
蘭も時々混ざった。
交流。
そう、これは交流だ。
戦って、転がされて、評価されて、また戦う。
剛力王国の交流は、やはりおかしい。
だが、得るものはあった。
長会議を終え、数日かけて村へ戻った。
帰りも当然のように走りだった。
剛真から地獄のような助言を受け、宴会でうまい飯を食い、長たちと戦い、長順十の壁にぼろ負けした後でも、移動は走り。
剛力王国はぶれない。
村に着いた時、私は自分の家を見て少し安心した。
ようやく戻ってきた。
だが、ここから始まるのは平穏ではない。
長順十を目指すための地獄だ。
その前に、確認しておくべきことがあった。
蘭のことだ。
剛真が強い魔物を倒してその場で食えと言った時、蘭はわずかに反応した。
ほんの少しだった。
表情は変わらない。
声も出さない。
だが、肩が動いた。
視線が落ちた。
何かを知っている反応だった。
私はそれを見逃せなかった。
家に戻り、落ち着いた頃、私は蘭に聞いた。
「蘭」
「なに」
「剛真が言っていた魔物食いのことだ」
蘭の動きが止まった。
やはりだ。
私は続ける。
「強い魔物を倒した後、その場で直接食う。蘭は、やったことがあるのか?」
蘭は少し黙った。
隠すつもりなのかと思ったが、そうではなかったらしい。
短く答えた。
「ある」
否定しなかった。
私は息を吐いた。
「いつからだ」
「剛理が近づいてきた時」
近づいてきた時。
私は思い出す。
蘭との差が縮まった時期があった。
もう少しで届く。
あと少しで勝てる。
そう思えた時期が。
だが、その後、蘭はまた一段先へ行った。
私はまた転がされた。
当時は、蘭も危険地帯で鍛え直したのだろうと思っていた。
だが、実際はそれだけではなかった。
蘭は、強い魔物を倒して、その場で食っていた。
「どうしてそこまでした」
聞くと、蘭は私を見た。
いつもの無表情。
だが、どこか不安そうだった。
「剛理に、見ていてほしかった」
声は小さい。
「強くないと、剛理は私を見ないと思った」
私は言葉を失った。
私が蘭を追いかけたのは、蘭が強かったからだ。
村で一番強い。
越えなければならない壁。
そう思って挑み続けた。
蘭は、それを好意として受け取ったのだろう。
私が自分を見てくれるのは、強いからだと。
だから、私に追いつかれそうになるたび、さらに強くなろうとした。
危険なのはわかっていたはずだ。
蘭は馬鹿ではない。
体がどうなるかも、痛みも、危険も、わかっていたはずだ。
それでもやった。
私に見ていてほしかったから。
私と一緒にいるために。
私は蘭と一緒に危険地帯へ行く相手を想像しようとした。
浮かばない。
たぶん、蘭は一人で行った。
一人で強い魔物を倒し、その場で食った。
何かあれば、誰も助けに来ない。
それでも、やった。
「……そうか」
私はそれだけ言った。
蘭が少し身を縮めたように見えた。
もしかすると、蘭は私が怒ると思っているのかもしれない。
ズルをした、と。
私に黙って強くなった、と。
いや、違う。
そんなことではない。
私が蘭の立場だったらどうしたか。
勝ちたい相手がいる。
見てほしい相手がいる。
その相手に追いつかれそうになる。
自分から離れていくかもしれない。
なら、強くなる。
危険でも。
痛くても。
それを責められるはずがない。
気づくと、私の腕は自然と蘭を抱きしめていた。
自分から抱きしめた。
蘭が一瞬、驚いた顔をした。
ほんのわずかに目が開く。
珍しい表情だった。
だが、すぐに蘭は私の体に顔をうずめた。
そして、強く抱き返してきた。
今まで、蘭から抱きついてくることは何度もあった。
私が抱き返すこともあった。
だが、私から蘭を抱きしめたことは、ほとんどなかったと思う。
自分からそうした。
考えるより先に、体が動いた。
蘭は小柄だ。
強い。
私よりずっと強かった。
危険地帯で一人、魔物を食ってでも強くなった。
だが、今こうして抱きしめている蘭は、小さくて、暖かくて、不器用だった。
可愛いとは思うようになっていた。
だが今、この瞬間。
それだけではなかった。
愛おしい。
たぶん、そういう感情なのだと思う。
まだ、うまく言葉にはできない。
だが、蘭を失いたくない。
そう思った。
強く。
はっきりと。
「蘭」
「なに」
「もう、一人ではやるな」
「……うん」
「やるなら俺も行く」
「うん」
蘭は短く答えた。
その声が、少しだけ柔らかかった。
私は覚悟を決めた。
今までだって、死ぬほどつらい魔物飯をやってきた。
まずい飯。
痛い飯。
体が拒み、喉が拒み、胃が悲鳴を上げる飯。
それに耐えてきた。
今度はさらにひどい形になる。
強い魔物を倒し、その場で食う。
地獄だ。
だが、今度は終わりが見えている。
長順十。
そこまで行けば、理知帝国の話を議題に上げられる。
王の伝令兵への道も見える。
家族のため。
蘭のため。
村のため。
そして、前世のように奪われないため。
残りの人生のうち、少しの期間を地獄に身をゆだねるくらい、構わない。
そう思える。
いや、思うしかない。
翌日。
私は蘭と一緒に危険地帯へ入った。
父と母には話してある。
母は少しだけ目を細めた。
危険性を理解した上で、私の体を見て、最終的には頷いた。
ただし、一人では行くなと強く言われた。
それは、私も同意見だった。
一人では無理だ。
剛真の話を聞いた時点で、それはわかっていた。
今回は蘭が一緒だ。
蘭はすでにこの方法を経験している。
そして、強い。
危険地帯に入ると、空気が変わる。
村の中とは違う、重い空気。
魔物の気配。
命の危険。
私は息を整えた。
蘭が隣にいる。
いつもの無表情。
だが、足取りに迷いはない。
「まずは、蘭が最後に食べた魔物からにする」
「うん」
蘭が案内した。
奥へ進みすぎない。
だが、浅すぎもしない。
蘭がかつて倒し、食べた魔物。
私に追いつかれそうになった時、さらに上へ行くために選んだ魔物。
しばらく進むと、目当ての魔物が現れた。
大きい。
重そうな体。
厚い皮。
動きは鈍そうに見えるが、油断はできない。
蘭が短く言った。
「あれ」
「わかった」
私は構えた。
今回は倒すだけでは終わらない。
倒した後に食う。
その事実が、戦いの前から胃を重くする。
だが、迷っていても仕方がない。
魔物が突っ込んでくる。
地面が揺れる。
私は横へ動き、足を狙った。
蘭も動く。
小柄な体が、魔物の巨体の隙間を縫うように走る。
やはり速い。
そして強い。
私たちは連携して魔物を削った。
蘭が動きを止める。
私が叩き込む。
魔物が暴れる。
距離を取る。
また踏み込む。
戦い自体は、思ったより長くはかからなかった。
蘭がいる。
私も、以前の私ではない。
やがて魔物が倒れた。
大きな体が地面に沈む。
まだ熱がある。
血の匂いが濃い。
私は息を整えた。
いよいよだ。
魔物を倒した後、まず蘭が近づいた。
「蘭?」
「見せる」
蘭はそう言って、死んですぐの魔物の肉を切り取った。
そして、口に入れる。
私は息を止めて見ていた。
同じ魔物飯を食べていた頃も、蘭はあまり表情を変えなかった。
あのまずい飯を前にしても、淡々と食べていた。
その蘭が、わずかに顔をしかめた。
まずいものを食べた顔。
それでも、本当に少しだけだった。
すぐに飲み込み、こちらを見る。
それだけ。
倒れない。
うずくまらない。
汗もほとんどかいていない。
この程度の魔物なら、蘭には平気なのか。
そう思った。
いや、平気ではないのだろう。
だが、耐えられる範囲なのだ。
私は覚悟を決めた。
肉を切り取る。
まだ温かい。
血の匂いが強い。
体が、食うなと言っている。
口に近づけただけで、喉が拒む。
私は無理やり口に放り込んだ。
噛む。
まずい。
久しぶりのまずい肉だ。
いや、まずいという言葉では足りない。
舌が拒む。
鼻が拒む。
喉が拒む。
私は涙が出てきた。
今までのうまい飯との落差がひどすぎる。
これは決して嬉し涙ではない。
悲しみの涙だ。
覚悟の涙でもない。
単純に、まずすぎる。
私は無理やり飲み込んだ。
落ちる。
胃に入る。
その瞬間、体が固まった。
少し遅れて、肉体が悲鳴を上げた。
「ぐっ……!」
痛い。
これまでの痛い飯を、さらに上回る痛み。
体の内側から焼かれるような。
血管に異物を流し込まれたような。
胃が暴れ、筋肉が引きつり、骨の奥まで軋むような感覚。
立っていられない。
私は膝をついた。
手をつく。
息が乱れる。
汗が一気に噴き出した。
何だ、これは。
想像以上だ。
魔物飯が痛い飯なら、これは拷問だ。
いや、鍛錬なのか。
剛力王国では、これも鍛錬なのか。
おかしい。
この国はやはりおかしい。
蘭はどうなっている。
私は痛みに耐えながら蘭を見た。
蘭は、私を心配そうに見ていた。
それだけだった。
平然としている。
いや、少しは苦しそうだったかもしれない。
だが、少なくとも膝をついてはいない。
私の方を心配している余裕すらある。
蘭は耐えられるのか。
いや、もしかして体の作りが違うから痛みが少ないのか。
隔世遺伝。
普通とは違う肉体。
だから、受ける負荷も違うのか。
冷静に考えようとする。
だが、体が思うように動かない。
痛みが思考を削る。
汗が額から落ちる。
背中を伝う。
呼吸が浅くなる。
蘭が近づいてきた。
「剛理」
「……大丈夫だ」
大丈夫ではない。
だが、大丈夫と言うしかない。
ここでやめるなら、長順十など夢のままだ。
私は歯を食いしばった。
どれくらい時間が経ったかわからない。
実際はそれほど長くなかったのかもしれない。
だが、私には長く感じた。
やがて、少しずつ痛みが引いていく。
完全になくなるわけではない。
だが、体を動かせる程度には戻ってきた。
私はゆっくり体を起こした。
蘭が水を差し出す。
私はそれを受け取り、飲んだ。
水が喉を通る。
生きている。
そう思った。
「もう大丈夫だ」
私が言うと、蘭はじっと私を見た。
信用していない目だった。
いや、表情は変わらない。
だが、たぶん信用していない。
私も、自分であまり信用できない。
「これは危険すぎる……」
思わず声が漏れた。
本当に危険だ。
痛みも魔物飯の比ではない。
食べた後、しばらく動けなくなる。
もしその間に別の魔物が現れたら、戦えない。
一人では無理だ。
絶対に無理だ。
剛真が「順番を間違えれば死ぬ」と言った意味がよくわかった。
倒せるかどうかだけではない。
食べた後、生きて帰れるかどうかも含めての話だ。
私一人では、危険すぎる。
蘭の助けが必要だ。
少し情けない。
だが、ここで情けなさにこだわって死ぬ方が愚かだ。
生きて強くなるために、蘭を頼る。
それでいい。
そう考えたはずなのに、別の誘惑が頭に浮かんだ。
もういいんじゃないか。
そこまでしなくてもいいんじゃないか。
今の肉体なら、理知帝国の魔法銃があっても蹴散らせるのではないか。
私以外にも、剛力王国には強い戦士がたくさんいる。
剛真は化け物のように強い。
王は、その剛真すら化け物と呼ぶ存在だ。
なら、そこまでしなくてもいいのではないか。
もう十分なのではないか。
甘い考えが浮かぶ。
痛みがあるからだ。
体が、もうやめろと言っている。
このまま続ければまたあれを味わう。
だから、理由を探している。
やめる理由を。
私は蘭を見た。
蘭は私を心配そうに見ていた。
私が膝をついた時から、ずっとそばにいる。
手を伸ばせば届く距離に。
私は思う。
もしも。
もしも、理知帝国の力を読み違えたら。
魔法銃が私の想像以上に進んでいたら。
制度と物資と通信で剛力王国が絡め取られたら。
この村が危険にさらされたら。
蘭を失ったら。
そう考えた瞬間、胸の奥が冷えた。
後悔は、先にはできない。
前世で私はそれを知っている。
式典の前夜に毒を盛られた時、私はもう遅かった。
地位が足りなかった。
力が足りなかった。
警戒が足りなかった。
もっとできたはずだと気づいた時には、すでに死んでいた。
今度は違う。
今の人生を失いたくない。
蘭を失いたくない。
家族を失いたくない。
なら、やるしかない。
終わりは見えてきた。
長順十。
そこまで行けば、話を上げられる。
ゴールはある。
なら、そのゴールまで地獄を続けよう。
「蘭」
「なに」
「これからも、付き合ってくれるか」
蘭はすぐに頷いた。
「うん」
「食べた後は、たぶんしばらく動けない。守ってもらうことになる」
「守る」
迷いのない声だった。
「剛理は私のだから」
「……そこはまだ直らないのか」
「直らない」
言い切った。
私は少し笑ってしまった。
痛みはまだ残っている。
体は重い。
口の中には、まずさの記憶がこびりついている。
だが、不思議と気持ちは決まっていた。
蘭の助けが必要なのは、少し情けない。
だが、情けなくても進む。
長順十。
王の伝令兵。
理知帝国へ届く道。
そのために、私は地獄を食らう。




