第23話 奪われた魔法銃
砦は、すでに砦ではなかった。
石壁は崩れ、門は砕け、兵たちは地に伏している。
焦げた匂い。
血の匂い。
土埃と煙。
それらが混じった空気の中で、一人の男が静かに笑みを浮かべていた。
「当初の予定より完成は遅れましたが……結果を見れば、十分な戦果だね」
理知帝国高官、九条玲央。
普段の彼ならば、このような場所に自ら足を運ぶことはない。
戦場は兵の仕事。
結果を運ばせ、数字を読み、席上で評価を下す。
それで十分だった。
だが、今回だけは違う。
初めての実戦投入。
自分の名で発表した新兵装。
その成果を、自分の目で確認しておきたかった。
彼の周囲には、整列した一団がいた。
魔法銃隊。
新設されたばかりの部隊である。
彼らの手には、細長い金属の筒が握られていた。
従来の杖とは違う。
剣でも槍でも弓でもない。
魔法を、誰でも扱える形に落とし込むための兵器。
魔法銃。
その銃口が、砦を沈黙させた。
「閣下の考案された魔法銃につきましては、想定以上の結果となりました。こちらが詳細になります」
部隊長が、恭しく報告書を差し出した。
玲央はそれを受け取り、紙面へ目を落とす。
敵兵の損耗。
砦の制圧時間。
味方の被害。
使用した魔法弾の数。
訓練期間。
稼働不良の件数。
数字が並んでいる。
美しい数字だった。
少なくとも、玲央にとっては。
素晴らしい。
彼は胸の内でそう呟いた。
今回投入された兵は、特別な精鋭ではない。
むしろ逆だ。
大半は、兵士としての訓練もそこそこの新兵である。
剣を持たせれば頼りない。
魔法使いとして見れば未熟。
通常の戦場ならば、前線に出すには不安の残る者たち。
だが、魔法銃を持たせれば違った。
照準を合わせる。
引き金を引く。
それだけで、彼らは砦を落とした。
魔法は、すでに弾に封じ込められている。
使う者に必要なのは、高度な術式理解ではない。
扱い方を覚え、狙い、撃つこと。
それだけでいい。
熟練の魔法使いでなくともいい。
長年鍛えた騎士でなくともいい。
一定の訓練を施し、魔法銃を持たせれば、武力になる。
理知帝国に足りなかったもの。
前線を押し切る直接的な力。
それが、量産できる。
玲央は報告書を読み進めながら、笑みを深めた。
いつもであれば、感情を表に出すことはない。
人の前で喜びすぎるのは、足元を見られる。
怒りすぎるのは、器を疑われる。
驚きすぎるのは、準備不足を晒す。
だから、表情は整える。
常に穏やかに。
常に余裕を持って。
それが九条玲央という男の立ち方だった。
だが、今日ばかりは抑えきれなかった。
成果が大きすぎる。
魔法銃は使える。
使えるどころではない。
理知帝国の武力構造を変える。
いや、周辺諸国の力関係そのものを変える。
「……よろしい。引き続き、残存兵力の掃討と砦内の確認を進めなさい」
「はっ」
「私は帝都へ戻る。詳細な報告は後ほど上げるように」
「承知いたしました」
見るべきものは見た。
あとは兵に任せればいい。
玲央は崩れた砦をもう一度見渡し、背を向けた。
これだけの結果を出したのだ。
自分が何を言わずとも、地位は約束されたようなもの。
上の席は自然と空く。
いや、空けさせる必要すらないかもしれない。
魔法銃という成果が、席の方からこちらへ寄ってくる。
玲央は馬車へ乗り込んだ。
車輪が動き出す。
砦が少しずつ遠ざかっていく。
その揺れの中で、玲央は一人の男を思い出していた。
かつて、魔法銃の開発長だった男。
努力と実績で上がってきた、家柄の弱い秀才。
扱いづらいが、使える男だった。
その男がいなくなったところで、魔法銃の研究は止まらない。
玲央の手元には、もっと扱いやすい人間がいくらでもいる。
命じれば従う者。
怯えれば口を閉じる者。
報酬を与えれば喜んで成果を差し出す者。
研究者など、替えは利く。
だが、時間はかかった。
それは事実だ。
あの男が残した資料には、解読できない部分がいくつかあった。
あの晩の様子を思い返す限り、彼は自分に殺されるとは思っていなかった。
だから、死後に備えた嫌がらせではないだろう。
おそらくは、他者に盗まれないための対策。
研究者としては当然の防衛。
だが、それが玲央の手勢には厄介だった。
不具合がいくつか残った。
再現できない部品があった。
理論は読めても、処理の意味がつかめない箇所があった。
そのせいで、実戦投入は当初の予定より遅れた。
忌々しい。
そう思う部分はある。
だが、今日の成果を見れば、その遅れも許容できた。
この年で、この結果。
新兵に持たせただけで、砦を沈黙させる兵器。
魔法銃は、理知帝国の新しい牙になる。
いや。
帝国の牙を生み出した男として、九条玲央の名が刻まれる。
玲央は報告書を指先で叩いた。
とはいえ、あの男を殺した時に、もう少しうまく処理できていれば、この遅れすら必要なかった。
本来であれば、殺した後も利用する予定だった。
あの夜に用いた薬は、ただ死なせるためだけのものではない。
意識を奪い、抵抗を封じる。
そのうえで、薬にあらかじめ刻み込んだ動作を、死後もしばらく残る反応に沿って実行させる。
そういう目的で作られた、検証段階の薬だった。
何でも命令を聞かせられるわけではない。
むしろ、その逆だ。
使う前に条件と動作を決めておき、薬そのものに組み込んでおく。
対象は、その刻まれた動作だけをなぞる。
一定時間で止まるわけではない。
肉体が壊れて動けなくなるまで、刻まれた動作を続ける。
だからこそ、用途は限られていた。
当時の研究では、人間でも単純労働なら一定の成果が出ていた。
鉱山を掘る。
荷を運ぶ。
決められた場所まで歩く。
そういった、判断を必要としない動作なら実行させることができていた。
疲労を訴えない。
恐怖で止まらない。
限界を迎えるまで、刻まれた動作だけを繰り返す。
それもまた、理知帝国が不足していた武と労働力を補うための研究の一つだった。
だが、限界も明らかだった。
複雑な判断はできない。
状況に応じた応答もできない。
知識を保持したまま、必要な情報だけを引き出すような使い方は、成功していなかった。
本来なら、もう少し検証を重ねてから使うべきものだった。
それでも玲央は、あの夜に使った。
その男を生かしておけば、式典で表に出てしまう。
魔法銃の開発者として名を知られ、周囲に担がれる可能性がある。
そうなれば、成果を完全に奪うのが面倒になる。
時間がなかった。
だから、うまくいかなければ死ぬかもしれないと理解したうえで、未完成の薬を使った。
刻ませた命令も、単純なものではなかった。
残された知識を保ち、必要な情報を取り出し、魔法銃の研究に利用する。
そんな複雑な内容だった。
鉱山を掘らせる。
荷を運ばせる。
決められた場所へ歩かせる。
そういった単純な動作とは違う。
知識を使わせる。
状況に応じて答えさせる。
研究に役立つ形で動かす。
それは、薬に刻める命令の限界を超えていた。
結果として、その男は死んだ。
そして、死後に利用することもできなかった。
薬の検証結果だけは調べさせた。
だが、反応は期待したものではない。
知識を引き出すことも、研究に使える形で動かすこともできなかった。
ならば、残しておく意味はなかった。
遺体は、廃棄処分となった。
玲央にとっては、少し惜しい駒だった。
その薬の研究は、その後もしばらく続けられた。
単純労働だけでなく、やがては特定の相手を襲わせるところまでは到達した。
だが、それ以上へ進まなかった。
相手を指定して動かすことはできても、状況を判断することはできない。
命令を組み替えることも、複雑な作業をこなすこともできない。
肉体が壊れるまで動き続けるという性質も、兵や労働力としては有用だが、扱いは難しい。
結局、単純な労働力や使い捨ての兵としての価値はあっても、帝国の武を根本から変える決定打にはならなかった。
だから、その薬の研究は凍結された。
玲央にとっては、すでに終わった研究の一つにすぎない。
だが、魔法銃は違う。
こちらは終わった研究ではない。
今まさに帝国の武を塗り替え、玲央自身を上へ押し上げる成果だった。
この砦の結果が広まれば、誰も魔法銃の価値を疑えない。
根回しは済んでいる。
敵も粗方排除した。
魔法銃はすでに、玲央の開発した兵器として発表されている。
あの男の名前は、どこにもない。
刻むつもりもない。
成果とは、世に出した者のものだ。
守れなかった者。
奪われた者。
死んだ者。
それらに名が残ることはない。
ただ、資料は残っていたはずだ。
玲央はふと、穏やかに笑った。
「ふふふ……私が上に上がった暁には、資料に残っているその男の名前くらいは覚えておいてあげてもいいかもしれませんね」
それは、彼なりの褒美だった。
世に出すつもりはない。
名誉を戻すつもりもない。
功績を分けるつもりもない。
だが、魔法銃の礎となった男の名を、自分だけは覚えておいてやる。
玲央は本気で、それを恩情だと思っていた。
魔法銃をこの世に生み出し、広めるのは自分だ。
ならば、その男もあの世で感謝しているだろう。
自分の成果が、玲央という正しい器を得て、帝国の力になるのだから。
馬車は帝都へ向かって進む。
その背後で、破壊された砦から煙が上がっていた。
理知帝国の武力による制圧は、この日から始まった。




