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第13話 分村という逃げ道

「最近、少し腑抜けているようだな」


 父にそう言われた時、私は否定できなかった。


 自覚はある。


 男の中では村一番になった。


 父にも勝った。


 剛武にも勝った。


 村の男たち相手にも、ほとんど負けることはない。


 だが、それでも村一番ではない。


 蘭がいる。


 あいつが、どうしても越えられない。


 それが、思っていた以上に私の中へ重く沈んでいたらしい。


「顔に出ているか」


「出ている」


 父は当然のように頷いた。


「飯の食い方も悪い。鍛錬の時の目も鈍い。筋肉に迷いがある」


「筋肉に迷いって何だ」


「迷っている筋肉は伸びが悪い」


 相変わらず何を言っているのかわからない。


 だが、今回は妙に否定しきれなかった。


 私は迷っている。


 蘭に勝つ未来が見えない。


 村長になる未来も見えない。


 そして、村長になれないなら、私がここまで積み上げてきた意味の大きな部分が揺らぐ。


 私はただ強くなりたかったわけではない。


 発言権が欲しかった。


 この国を動かせる立場が欲しかった。


 理知帝国に備えるために。


 あの国が何をする国なのか、私は知っている。


 父たちにとって理知帝国は、貢物や道具を持ってくる同盟相手なのだろう。


 危険地帯の外側にいる、理屈っぽい便利な国。


 その程度の認識だと思う。


 だが、私は違う。


 理知帝国は、笑顔で水路を通す。


 道を敷く。


 通信を握る。


 金を貸す。


 そして気づいた時には、相手国の命脈を帝国規格に置き換えている。


 剣で奪うより、もっと深く支配する国だ。


 さらに、魔法銃がある。


 私が作った概念。


 私を殺した男が奪った成果。


 あれが今どこまで進んでいるか、私にはわからない。


 この話を父にすべきか。


 何度も考えた。


 だが、できなかった。


 そもそも、なぜ私が理知帝国の内情を知っているのかという話になる。


 夢で見た、で済ませられる内容ではない。


 それに、この父相手だ。


 詳しく話したところで、どうせ返ってくる答えは決まっている。


 理知帝国が敵対するなら、筋肉で制圧すればいい。


 そう言うに決まっている。


 私は庭に座り込み、父を見上げた。


 今では父を見上げることも少なくなった。


 肉体の大きさも、圧も、昔ほど絶対的ではない。


 勝った相手だ。


 それでも父は父だった。


 私に筋肉の現実を見せ、ここまで引きずり上げた男だ。


「どうすればいいのかわからない」


 気づけば、私はそう言っていた。


 相談というより、愚痴だった。


「蘭に勝つ未来が想像できない。だから、村長になれる未来も見えない」


「そうか」


「俺は村長になりたい。ならないといけないと思っている」


「ああ」


「でも、蘭がいる」


「ああ」


「蘭に勝てない」


「そうだな」


 あっさり言うな。


 私は少し睨んだ。


 だが、父は笑わなかった。


 いつものように、なら鍛えろと即答するでもない。


 それが少し意外だった。


「理知帝国のこともある」


 私は続けた。


 細かくは言えない。


 だが、言える範囲で口にする。


「あの国は、ただ貢物を持ってくるだけの国じゃない。便利なものを渡して、いつの間にか相手を縛る。そういう国だ」


「ふむ」


「魔法銃もある。あれが進んでいれば、この国だって危ないかもしれない」


 父は腕を組んだ。


「魔法銃か」


「詳しくは言えない」


「そうか」


「聞かないのか」


「お前が言えないと言うなら、今は聞かん」


 私は少し黙った。


 父が、そういう気遣いをするとは思わなかった。


 いや、父は単純だが、鈍いわけではない。


 そういうところを、私は時々忘れる。


「だから、俺は地位が欲しい。発言権が欲しい。何かあった時に、この村や家族を守れる立場にいたい」


 口にしてから、自分で少し驚いた。


 家族を守る。


 自然にそう言っていた。


 昔の私なら、まず自分の立場と言っただろう。


 食い物にされないため。


 成果を奪われないため。


 殺されないため。


 それが第一だった。


 今も、それはある。


 だが、それだけではなくなっている。


 この家で、まずい飯を食い、意味のわからない鍛錬をし、兄に教わり、姉に背負われ、母に体調を見られ、父に筋肉を叩き込まれてきた。


 なんだかんだで、私はこの生活をそれなりに気に入っている。


 飯のまずさを除けば。


 いや、あれは本当に除きたい。


「でも、蘭に勝てない」


 私は吐き出すように言った。


「だから、詰まっている」


 父はしばらく黙っていた。


 そして、あっさりと言った。


「そんなに村長になりたいなら、分村でもするか?」


 私は固まった。


「……分村?」


「ああ」


「分村って、新しい村を作るということか」


「そうだ」


「そんな方法があるのか?」


「ある」


 あるのか。


 視界が開けるような感覚があった。


 村長になるには、今の村で一番になるしかないと思っていた。


 蘭を倒すしかないと思っていた。


 だが、別の村を作るなら。


 その村の長になるなら。


 蘭を倒さずとも、村長になれる。


 発言権を持てる。


 理知帝国への備えも始められる。


 そう理解した瞬間、胸の奥にあった重いものが少しだけ軽くなった。


 そして同時に、別の感情が湧いた。


「なぜ、それをもっと早く教えなかった」


 私は低い声で言った。


 父はまったく悪びれずに答えた。


「お前と蘭が高め合っていたからだ」


「高め合っていた?」


「ああ。お前は蘭を追って強くなった。蘭もお前が追ってくるから、さらに強くなった。よい流れだった」


「だから黙っていたのか」


「最初から分村という逃げ道を知っていれば、お前はその道を選んだかもしれん」


 否定できなかった。


 もしもっと早く知っていれば、私は蘭以外に勝てるようになった時点で分村を考えた可能性が高い。


 元々、私が欲しかったのは地位と発言権だ。


 蘭に勝つことそのものが目的ではなかった。


 手段だった。


 そして分村が可能なら、蘭を越えなくても目的に近づける。


 なら、私はその道を選んでいただろう。


「情報を絞ったのか」


「ああ」


「父様が?」


「ああ」


 この父親。


 頭まで筋肉のはずが、そんな使い方ができたのか。


 私は失礼なことを考えた。


 だが、実際に驚いた。


 父は単純だ。


 筋肉で押す。


 筋肉で考える。


 筋肉で解決する。


 そういう男だと思っていた。


 だが、私の耳に入る情報を絞り、蘭との関係で成長を促していた。


 かなり嫌な言い方をすれば、誘導していたのだ。


「怒ったか?」


「怒っている」


「そうか」


「だが、否定はできない」


 私は拳を握った。


 もし最初から分村を知っていれば、今の強さまで来ていなかったかもしれない。


 蘭に挑み続けなかったかもしれない。


 魔物の血肉も、鍛錬も、ここまで続かなかったかもしれない。


 父の判断は腹立たしい。


 だが、結果として私は強くなった。


 その事実がある。


「だが、ここ最近のお前はよくない」


 父が言った。


「腑抜けてきた。このままだと、蘭を追うことも、村長を目指すことも、中途半端になる」


「だから、今日話したのか」


「ああ」


 父は私をまっすぐ見た。


「道は一つではない。今の村で一番になれないなら、新しい村で一番になればいい」


 乱暴だ。


 だが、剛力王国らしい。


 そして、私にとっては突破口だった。


「人口も増えてきた。今の村も手狭になりつつある。危険地帯側の開拓も進める必要がある。分村の話自体は、いずれ出るものだった」


「なら、俺がそこに行く」


「本気か?」


「本気だ」


 私は即答した。


 蘭に勝てないまま逃げるようで、少しだけ引っかかる。


 いや、実際に逃げ道ではある。


 だが、目的を見失って沈み続けるよりはいい。


 私は村長になりたい。


 地位が欲しい。


 発言権が欲しい。


 この国を、家族を、いずれ来るかもしれない理知帝国の脅威から守るために。


 そのための道があるなら、進むべきだ。


「分村の方向で話を進めてほしい」


 私は言った。


「俺は村長になりたい」


 父はゆっくり頷いた。


「わかった」


 その一言で、胸の中に風が通った気がした。


 同時に、少し寂しさもあった。


 分村するということは、この村を出るということだ。


 父と母の家から離れる。


 剛武や蓮華とも、今までのようには暮らさない。


 蘭とも、どうなるかわからない。


 その事実は、思っていたより胸に来た。


 だが、家族でなくなるわけではない。


 この肉体があれば、毎日会おうと思えば会える距離かもしれない。


 剛力王国の距離感は、理知帝国の基準で考えてはいけない。


 足で走ればいい。


 荷を背負って山道を行ける者たちの国だ。


 村が分かれた程度で、縁が切れるわけではない。


 それに、憂いがなくなれば戻ればいい。


 理知帝国への備えを整え、分村を軌道に乗せ、その先でまた考えればいい。


「少し顔が戻ったな」


 父が言った。


「そうか」


「ああ。筋肉に張りが戻った」


「顔の話ではなかったのか」


「顔も筋肉だ」


「そういう意味ではない」


 父は笑った。


 私は呆れながらも、少しだけ気が軽くなっているのを認めざるを得なかった。


 その夜、私は久しぶりによく眠った。


 蘭に勝てない。


 村長になれない。


 理知帝国に備えるための立場も得られない。


 そう思って詰まっていた道に、分村という抜け道が見えた。


 まだ決まったわけではない。


 村会議でどうなるかもわからない。


 分村が簡単なものではないこともわかっている。


 それでも、進める道がある。


 それだけで十分だった。


 布団に入ると、体から力が抜けた。


 久しぶりに、頭の中が静かだった。


 理知帝国のことも、蘭のことも、村長のことも、今夜だけは少し遠い。


 明日考えればいい。


 そう思ったところで、意識はあっさり沈んだ。


 深く。


 重く。


 何があっても目を覚まさないほど、私は眠った。


 だから、その後のことを私は知らない。


 父が母に、分村の話をしたことも。


「剛理は、分村に前向きだ」


 剛力羅は、いつもの調子でそう言った。


「人口も増えてきた。今の村も手狭になっている。危険地帯側の開拓も進める必要がある。剛理は村長をやりたい意思もある。もう数年すれば成人だ。昔から考え方は子供ではなかったし、数年の違いなら分村で送り出しても上手くやるだろう」


 雷華は静かに聞いていた。


「それで?」


「この話は、明日の村会議で出そうと思っている。お前も心構えだけしておいてくれ」


 次の瞬間、剛力羅が吹き飛んだ。


 家が揺れた。


 壁が軋み、棚の器が小さく鳴った。


 だが、私は起きなかった。


 布団の中で、すっきりした顔のまま熟睡していた。


 雷華は、倒れた剛力羅を静かに見下ろした。


「何を勝手に決めているの」


 声は静かだった。


 静かすぎて、怖い声だった。


 剛力羅は床に転がったまま、少しだけ呻いた。


「雷華、話を――」


「剛理に先に話したのね」


「ああ」


「私には今話したのね」


「ああ」


「それで、明日の村会議に出すつもりだったのね」


「ああ」


「そう」


 雷華はそれだけ言うと、背を向けた。


 戸が開く。


 夜の空気が家の中へ入り込む。


「雷華?」


 剛力羅が呼んだ。


 返事はなかった。


 雷華はそのまま家を出て行った。


 もちろん、私は何も知らない。


 父が母にぶっ飛ばされたことも。


 母が家を出て行ったことも。


 分村の話が、私の知らないところで別の火種になっていたことも。


 何一つ知らずに、私は眠っていた。


 久しぶりに、よく眠っていた。


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