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第12話 村一番、ただし男の中では

 蘭が怪我をしてから、私は何度か見舞いに行った。


 最初は、状態を確認するためだった。


 蘭は私より強い。


 私が村長を目指すなら、いずれ倒さなければならない相手だ。


 その相手がどの程度で戻ってこられるのか、確認しておく必要がある。


 それだけだ。


 そう自分に言い聞かせていた。


「まだ痛いか」


「少し」


「動けるか」


「動ける」


「戦えるか」


「まだ駄目って言われた」


「そうか」


 会話は短い。


 蘭は相変わらず表情を変えない。


 私が来ても、喜んでいるようには見えない。


 迷惑そうにも見えない。


 ただ、来たのを確認して、短く答えるだけだ。


 それでも、私が帰る時には少しだけこちらを見る。


 引き止めるわけではない。


 何か言うわけでもない。


 ただ、見る。


 その視線が何なのか、私にはよくわからなかった。


 完治した後、私はこれまで通り蘭に挑んだ。


 蘭が強い理由は聞いた。


 隔世遺伝で、普通よりずっと強い肉体を持っている。


 力加減がうまくいかず、家でも肩身が狭い思いをしている。


 そういう事情も知った。


 だが、それはそれだ。


 私が村長になるために倒さなければならない相手は、やはり蘭だった。


 それは、他の相手とも戦ったからこそ確信できた。


 同年代には、もう勝てる。


 少し上の世代にも挑んだ。


 もちろん、現時点で私より強い者はいた。


 だが、届かないとは思わなかった。


 このまま鍛えれば勝てる。


 村長になる頃には倒せる。


 そう判断できる相手が多かった。


 だが、蘭だけは違う。


 勝てない。


 それでも、差は縮まっている。


 私はそう思っていた。


 蘭とは、もう一年以上戦っている。


 最初は転がされるだけだった。


 次に、気絶させられて運ばれるようになった。


 そこから、少しずつ気絶しなくなった。


 怪我をする二か月ほど前からは、蘭と戦っても意識を失わずに済むようになっていた。


 つまり、差は確かに縮まっている。


 少なくとも、私はそう確信していた。


 ただ、関係は少し変わった。


 私が気絶しなくなってから、蘭が私の家に来ることはなくなった。


 正確には、私が家まで運ばれなくなっただけだ。


 戦う。


 負ける。


 立ち上がる。


 そこで別れる。


 以前はその後、蘭に背負われて家まで運ばれ、母に食事へ誘われる流れがあった。


 だが、それがなくなった。


 私は、自分が成長したことを実感していた。


 蘭に運ばれなくなった。


 気絶しなくなった。


 それは素直に嬉しかった。


 蘭は――。


 いや、やめておこう。


 蘭の表情から何かを読み取ろうとしても、だいたいわからない。


 完治後に挑んだ時も、私は勝てなかった。


 だが、気絶もしなかった。


 以前よりは戦えている。


 そう思えた。


 そのまま別れるつもりだった。


 だが、蘭の家の事情を聞いた後だと、そのまま帰るのは少し気が引けた。


「蘭」


「なに」


「飯、食っていくか」


 蘭は少しだけ首を傾げた。


「運んでない」


「知ってる」


「気絶してない」


「知ってる」


「いいの?」


「母には話してある」


 蘭はしばらく私を見た。


 そして、いつもの短い声で答えた。


「食べる」


 それから、蘭は時々うちで食事をするようになった。


 私が気絶したからではない。


 運んでもらった礼でもない。


 ただ、戦った後に誘う。


 それだけだ。


 関係が変わったのは、そのくらいだった。


 そこから年月が経った。


 剛力王国では、私はまだ成人扱いではない。


 だが、肉体は明らかに変わった。


 水を運ぶのに苦労していた頃とは違う。


 土を指で削っていた頃とも違う。


 弱らせた魔物に吹き飛ばされていた頃とも違う。


 魔物の血肉を混ぜた、この世のものとは思えないまずい飯を食い続けた。


 比率が上がるたびに、味は悪化した。


 痛みも増えた。


 体調を崩すこともあった。


 それでも続けた。


 肉体の強化が日々の鍛錬だけでは足りなくなってからは、危険地帯にも向かった。


 命の危険を感じながら魔物と戦った。


 逃げたこともある。


 倒されたこともある。


 死ぬかと思ったことも、一度や二度ではない。


 だが、生きて戻った。


 戻って、食って、寝て、また鍛えた。


 言葉にすると単純だ。


 だが、中身は並大抵ではなかった。


 正直に言えば、今では剛力王国の思想が私の脳にも入り込んできているのを感じる。


 頭で考えた方が効率的だ。


 それはわかっている。


 理屈を組み、道具を作り、仕組みを整える。


 それがどれほど強いか、私は前世で知っている。


 だが同時に、今の私は別の事実も知ってしまった。


 何も考えず、筋肉を使った方が早い時がある。


 そんな馬鹿みたいな事実が、現実として存在する。


 壊れた道具を直すより、持ち上げて運んだ方が早い。


 水を引く仕組みを整えるより、強い者が汲んだ方が早い。


 柵を作って守るより、荒らされても余るほど作った方が早い。


 邪魔な岩は、砕けばいい。


 襲ってくる魔物は、殴ればいい。


 そんな乱暴な理屈が、剛力王国では成立してしまう。


 父はよく言う。


「筋肉は全てを解決する」


 前世の私なら、鼻で笑っただろう。


 知性を捨てた蛮族の戯言だと。


 だが、この年月を過ごした今では、完全には否定できない。


 全てではない。


 全てではないはずだ。


 だが、思ったより多くの問題は、筋肉で解決できてしまう。


 その事実が、少し怖い。


 前世の私が今の私を見たら、どう思うだろうか。


 きっと、蛮族に成り下がったな、とでも言うのだろう。


 魔法銃を作り、理知帝国の中で地位を得ようとしていた男が、今は魔物の血肉を食い、土を掘り、岩を押し、拳で魔物を殴っている。


 確かに、かなりひどい変化だ。


 だが、今の私は昔の自分を少し狭いとも思う。


 理知帝国の中だけで生き、理知帝国の価値観だけで世界を見ていた。


 知識と仕組みこそが上に立つものだと信じていた。


 間違いではない。


 だが、それだけでもない。


 力には、力の合理性がある。


 筋肉には、筋肉の理屈がある。


 私はそれを、嫌というほど思い知らされた。


 そして今、私は村一番の強さにまで上り詰めた。


 言葉にすると軽い。


 だが、それは事実だ。


 ただし、一つ注釈がつく。


 男の中では。


 その注釈が、どうしても外れない。


 そして、その注釈を外せない理由は一人しかいない。


 蘭だ。


 私は、今も蘭に挑んでいる。


 一時期は、本当に追いつけると思った。


 差は縮まっていた。


 私の体は強くなり、戦い方も身につき、魔物相手にも戦えるようになった。


 蘭に転がされても、すぐに立てる。


 動きも見える。


 あと少し。


 そう思った時期が確かにあった。


 だが、蘭はそこで止まらなかった。


 ある時期、蘭が少しの間姿を見せなくなった。


 危険地帯の方へ行っていたらしい。


 戻ってきた時、私はすぐに挑んだ。


 そして、差が開いていることを思い知らされた。


 意味がわからなかった。


 私はその間も鍛えていた。


 魔物の血肉も食べていた。


 危険地帯にも入っていた。


 なのに、蘭はさらに先に行っていた。


 一体何をどうやれば、あの短い期間で差を広げられるのか。


 聞いても、蘭は短く答えるだけだった。


「鍛えた」


 それは知っている。


 私は、どう鍛えたかを聞いている。


 だが、蘭の説明はそこで終わる。


 父と同じ種類の雑さだった。


 そうして、私は蘭を倒せないままここまで来てしまった。


 正直に言おう。


 もう無理ではないかと思い始めている。


 時間的な問題もある。


 村長を目指すなら、いつまでも蘭だけを追っているわけにはいかない。


 だが、それ以上に、蘭に勝つ未来が見えなくなってきている。


 鍛えても追いつけない。


 差が縮まったと思えば、また開く。


 男の中では一番になった。


 だが、村で一番にはなれない。


 その事実が、最近の私を沈ませていた。


 父にも勝った。


 剛武にも勝った。


 村の男たちにも、ほとんど勝った。


 今の私を正面から止められる男は、もう村にはいない。


 それなのに、村長交代の条件は満たせない。


 村長になるには、その時点で一番強い者である必要がある。


 男の中では、では足りない。


 蘭を越えなければならない。


 だが、その蘭を越えられない。


 私は庭で一人、拳を握っていた。


 昔なら、身体強化魔法を使えば勝てるかもしれないと考えただろう。


 今でも、その選択肢は頭にある。


 身体強化魔法は有用だ。


 鍛えた肉体の上にさらに魔法を乗せれば、確かに強くなる。


 だが、蘭相手にはそれでも勝てない予感がある。


 そして、もし村長交代前に身体強化魔法を使って蘭と戦えば、それを基準に蘭がさらに強くなる気がする。


 あいつはそういう相手だ。


 こちらが一段上げれば、次に会った時にはその上にいる。


 だから、試せない。


 試した瞬間、最後の手札ではなくなる。


 私は歯を食いしばった。


 理屈では詰まっている。


 筋肉でも詰まっている。


 どうすればいい。


 そう考えていた時、父が近づいてきた。


「剛理」


 私は顔を上げた。


 剛力羅は、いつものように大きな体で立っていた。


 今では、父の大きさを見上げることはない。


 昔ほど圧倒的には見えない。


 むしろ、勝った相手だ。


 だが、それでも父は父だった。


 私に最初に筋肉の現実を見せた男。


 魔物の牙を肩で止め、拳一つで砕いた男。


 そして、私をここまで鍛えた男。


「話がある」


 父の声は、いつもより少しだけ静かだった。


「話?」


「ああ」


 父は私を見た。


 笑っていなかった。


 それだけで、いつもの筋肉話ではないとわかった。


「お前の村長の話だ」


 その言葉に、私は息を止めた。


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