3話 愛は嘘と紙一重
「真稜様……」
部屋に現れた祖月輪真稜の姿を見るなり、木蘭の瞳には熱い光が宿った。
その表情は、先ほどまで竜舌と対峙していた冷徹な妖女の面影など微塵もなく、ただ恋情に身を焦がす一人の女の顔だった。
真稜は、木蘭の細い肩を抱き寄せ、その耳元で甘く囁く。
「木蘭、もう少しだ。法律が変われば、この街は新しく生まれ変わる。その時、君をこの不自由な畳の上から救い出すと約束しただろう?」
その言葉に、木蘭はうっとりと目を閉じた。
彼が語る「救済」が、自分をカラスバの社長夫人、あるいは日陰の愛人として囲うことだとしても、彼女にはそれが世界のすべてだった。男に触れられ、名前を呼ばれ、熱を分け合う。竜舌が「武器を捨てることだ」と断じたその行為こそが、木蘭にとっては唯一の人間としての証明だった。
しかし、その抱擁を、部屋の隅で煙管を燻らす竜舌は、冷え切った眼差しで眺めていた。
(愚かだねぇ、本当に……)
竜舌の目には、真稜の背中に張り付いた「嘘」が、毒々しい影となって見えていた。
彼が木蘭を抱きしめる腕の力加減、視線の逸らし方、そして言葉の端々に混じる計算。真稜が本当に愛しているのは木蘭という個体ではなく、「吉原一の妖女を屈服させている自分」という優越感であり、彼女を介して手に入る「土地の利権」だ。
真稜にとっての愛は、目的を達成するための最も安上がりな「投資」に過ぎない。
「真稜様、私は信じております。貴方様のためなら、私は……」
「ああ、わかっている。君は僕の女神だ、木蘭」
真稜の口から滑り出す甘い台詞を聴きながら、竜舌は心の中で、317年の間に見てきた数多の「心中」や「裏切り」を反芻していた。
男が「一生添い遂げる」と言う時、その「一生」は往々にして数ヶ月で賞味期限を迎える。
女が「信じている」と言う時、それは信じたいという「願望」に過ぎず、真実からは最も遠い場所にある。
「愛なんてものはね、木蘭。綺麗な包装紙に包まれただけの『嘘』なんだよ。包みを剥けば、中には空虚か、あるいは腐った欲望しか入っていないのさ」
竜舌は声に出さず、ただ煙と共にその思考を吐き出した。
木蘭が真稜の胸に顔を埋めるほど、彼女の首筋に蜘蛛の糸が絡みついていくように見える。
愛という名の嘘に縋り、全てを差し出す木蘭。
その嘘を紙一重のところで真実に見せかけ、富を築こうとする真稜。
「……さあ、坊や。この女をどう料理するつもりだい?」
竜舌は、真稜の背中に向かって、音もなく問いかけた。
彼女は知っている。まもなく、この男が愛という名の包装紙を破り捨て、その中にある「冷酷な契約書」を突きつける瞬間が来ることを。
その時、木蘭の「情」は、彼女を救う翼になるのか。それとも、底なしの泥沼へと引きずり込む重石になるのか。
竜舌は、あえて二人の睦み合いに背を向け、窓の外に広がる吉原の夜景を見つめた。
そこには、法律という名の死刑宣告を待つ、色あせた夢の跡だけが広がっていた。




