11話 数字と数字を愛した女
竜舌は小判を指先で弄び、チャリン、と乾いた音を立てた。
その音は、直里が塾の自習室で聞くシャーペンのノック音よりも、ずっと重く、現実味を帯びて響く。
「木蘭のような劇的な伝説もいいけれどね。もっと最近の話を聞きたいかい?……あるところに、数字を何よりも愛した、少し変わった娘がいたんだよ」
竜舌の瞳に、懐かしさとも諦めともつかない、微かな光が宿った。
「その子はね、客の肌の温もりよりも、帳簿に並ぶ数字の列に安らぎを感じるような娘だった。この街の不確かな人情なんて信じちゃいない。ただ、一足す一が二になるような、嘘のない数字の世界だけを信じていたんだよ」
直里は思わず、持っていた参考書の数式に目を落とした。自分が今戦っている「数字」と、その遊女が見ていた「数字」が、一瞬重なったような気がしたからだ。
「そんな彼女を、ある男が欲しがった。それも、どこぞの大きな会社の御曹司でねぇ。普通、身請けってのはドロドロした愛憎劇がつきものだけど、その二人は違った。まるで計算式を解くように、淡々と、そして『身綺麗なまま』で話がまとまったのさ」
「身綺麗なまま……。一度も、客を取らずに?」
「そうさ。男は彼女の知性を買い、彼女は男の財力を買った。それが二人の『恋愛』だったんだろうねぇ。男は莫大な金を小判で積み上げ、彼女をこの籠の外へ連れ出した。……数字に愛された娘は、数字に導かれて、真っ当な世界の光の中へ消えていったのさ」
竜舌はそこで言葉を切り、意味深に直里の顔を覗き込んだ。
「ねえ、受験生。その御曹司が誰だったか、あんたには想像がつくかい?」
直里の脳裏に、20年前にこの「月下美人」で誰かを身請けしたという、父・長蔵の顔が浮かんだ。
父はいつも厳格で、数字に厳しく、直里にも「結果(数字)」だけを求めてきた。もし、その父がかつて救い出したのが、愛などという不確かなものではなく、共通の言語である「数字」で結ばれた遊女だったとしたら。
「その女の人は、今……どこにいるんですか」
「さあね。数字は嘘をつかないけれど、消える時は一瞬だよ。計算が合わなくなれば、切り捨てられるのも早い。……でもね、その娘が最後にこの部屋で私に言った言葉がある」
竜舌は煙を吐き出し、窓の外、ネオンに煙る現代の吉原を見つめた。
「『一は一でしかないけれど、ゼロをいくつ並べても世界は変わらない』……。あんたが今追っている数字は、あんた自身を『一』にするためのものかい? それとも、ただのゼロの羅列かい?」
その問いは、模試の判定に一喜一憂していた直里の胸に、鋭い杭のように突き刺さった。




