12話 疑念と共通点
直里の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
脳裏に浮かんだのは、五歳で亡くなった母の、断片的な記憶だ。
物静かな人だった。だが、その手にはいつも使い込まれた黒檀の十露盤があり、母親らしい絵本の読み聞かせの代わりに、直里に教えてくれたのは算術の面白さだった。病床にあってもなお、彼女は枕元で株価指数の変動をチェックし、複雑な計算式をノートに書き殴っていた。
父・長蔵が、なぜあれほどまでに機械的に、冷徹に「数字」で自分を評価するのか。その理由が、死んだ母というパズルのピースと、今、竜舌が語った遊女の物語によって繋がりかけていた。
「……僕の、母さんは」
直里の声は、自分でも驚くほど震えていた。
「母さんも、数字を愛していました。株が好きで、十露盤が手放せなくて。父さんは……父さんはその母さんを、救うために……」
だが、その直里の「希望」を、竜舌の冷ややかな一言が遮った。
「だが……お前さんの母親がその娘だとは限らないだろう?」
竜舌は、細い指で自分の顎をなぞり、意地の悪い笑みを浮かべた。
「この街にはね、数字を好む女なんていくらでもいる。計算高くなきゃ生き残れないからね。御曹司が遊女を買い、その後に真っ当な家の令嬢と結婚して、お前さんが生まれた……という筋書きだってあるじゃないか」
「……っ」
「いいかい、受験生。歴史ってのはね、調べれば調べるほど『不都合な共通点』が出てくるもんだ。だが、点と点を繋いで自分の好きな絵を描くのは、学問じゃなくてただの妄想だよ」
竜舌は身を乗り出し、直里の顔を覗き込んだ。その瞳の奥には、317年分の虚無が渦巻いている。
「あんたの父親が、かつて愛した女をこの部屋に置いていったのか。あるいは、連れ出して捨てたのか。それとも、あんたの母親として大切に看取ったのか……。それを証明する数字は、どこにもありゃしない」
「……証明……」
「知りたければ、あんたが自分でその『一』を見つけな。他人から聞いたお伽話で満足してちゃあ、山荷葉の重い門を潜る前に、その貧弱な足が折れちまうよ」
竜舌はそう言うと、再び煙管を口にくわえた。
直里の胸の中にあった「母親への思慕」と「父親への不信」が、複雑に混ざり合い、真っ黒な疑念となって渦巻く。
もし、母が本当にこの場所から買い取られた遊女だったとしたら。
そして、今も玄関で小判の音を数えているあの婆が、祖父の裏切った女だとしたら。
祖月輪という家系そのものが、この吉原という巨大な「嘘」の上に建てられた砂上の楼閣のように思えてならなかった。




