96 塔の上で
「エーデル様は良い子ですが、この衣装を身に着けている時は母上と呼ばないといけないお約束でしたでしょう。」
「そうだった。ごめんなさい。」
エーデルは軽く頭を下げると、手に持っていたグラスをアンナに返す。
「お母さまにこっぴどく怒られた時のことを思い出して何度もうなされるなんて、こんな可愛らしい顔してエーデル様が何をされたのか気になりますね。」
「あはは。」
エーデルは笑って誤魔化す。夢でうなされているところを初めて彼女に見られた時、流石に本当のことをは言えなかったのだが、彼女は微塵もそれを嘘だと疑っていないようだ。
「大丈夫、部屋の中でしたからね。こんな田舎で警戒することもないかもしれませんが、言いつけは守りませんと。」
アンナはそう言って着ていた服を丁寧に脱ぎ、皺にならないよう丁寧にハンガーにかける。
「あのね、アンナ。今日、知っている人を見たよ。」
エーデルはベットの端に腰かけて、足をプラプラとさせる。
「どこで……誰に?」
アンナは彼の前に仁王立ちするかのように迫る。エーデルは突然の行動に驚いたのか、口を開けたまま言葉を発しない。
「ごめんね、エーデル様。驚かせちゃったわね。」
彼女は謝ると、エーデルの隣に腰かける。
「ううん、今日の夕方、いつも通り教会の鐘を鳴らすために塔の一番先まで登っていたの。下が騒がしかったから、地上を見下ろしたらメアリーがいたの。」
エーデルは楽しい思い出を振り返るかのように、声を弾ませる。
塔はあまり高くないが、エーデルの身長を考えれば、相手からは見えなかっただろう。アンナは少し安心しつつも、エーデルに尋ねる。
「ええと、どのメアリーさんかしら?」
「メアリー王女様が見えたの。えっと、叔父さんのお嫁さんだった。」
エーデルが間違っていなければ、彼女はラウスト王国の王女だったはずだ。先ほど会った女も名前は同じだったが、国は違う。彼女は母がラウスト王国出身と言っていたから、ありがちな名前なのかもしれない。
ただ、彼の話を聞いた後では、先ほど階段で出くわした女はもう少し問い詰めた方が良かったのかもしれない。自分も仕事で疲れていたので、早々に彼女を解放してしまった。
この件については報告する必要があるだろうが、先走って無関係なことを報告すれば、『プリンセス』の機嫌を損ねてしまいかねない。そうなれば、自分だけでなく兄にも迷惑をかけてしまう。
今回、兄への手紙は『プリンセス』手ずから運んでくれたらしいが、いつも1週間ほどで帰ってくる返事がまだ帰ってこない。きっと、シュレイン様の即位をお手伝いされていて忙しいのねと、アンナは窓の向こう、首都にいるはずの兄を思い星を眺めた。
「あのね、真上から見下ろしたから見間違いかも。」
黙っているアンナを見て、何か思うところがあったのかエーデルが急に話しだした。
「そうね、この世界には自分に似ている人が3人もいるらしいわ。」
「そうなの?」
穏やかなアンナの表情を見たからか、エーデルは安心したようにうつらうつらと船を漕ぐ。彼女は彼の体を支えて、横にし、その上から毛布を掛ける。穏やかな寝顔を見せるエーデルを見て、アンナはぽつりとつぶやいた。
「どうか星々よ、我ら兄弟、いえ、エーデル様も助けてください。」
寝る前のお祈りに、こっそり彼の名前を足す。そうして、アンナも布団に潜り込んだ頃、窓も開けていないのに、カーテンが揺れていた。
◇
「ちょっと、メアリー勝手に置いていったでしょ。」
宿泊室に飛び込んできたステラテアは怒り心頭だ。
「ポリーにも置いていかれちゃったし。怖かったじゃない。」
どうやらこちらが本音のようだ。メアリーはくるまった毛布から頭をひょっこり出して、黙って頭を下げる。
「え、どうしたのメアリー。」
宿泊室で待機していたサラは暖炉に薪をくべ、軽食を作ってくれており、ステラテアにもその椀を差し出した。
「とりあえず、ステラテアもここに座りなさい。」
サラから椀を受け取ったステラテアは、指し示された暖炉の前に腰を下ろす。
「メアリー、例のマシュベリーって女に会っちゃったらしくて。落ち込んでいるのよ。」
「落ち込んでいる?見つかってよかったんじゃないの?」
ステラテアは状況が分からず、首をかしげる。
「それが、エーデル君、シュレイン皇帝のお兄ちゃんらしいんだけど、手がかりはあったのにすんでのところで見つけられなかったらしくて。逆に、マシュベリーっていう怖い女性に会ってしまったらしいの。」
「あー前皇后とその息子ね。ポリーから何度か話を聞いたことがあるわ。」
ピンクの瞳がウルウルとして、今にも泣きそうだ。
「あー、もう、メアリー。ちょっと占ってあげるわよ。」
ステラテアは慣れた手つきでタロットカードを出し、小さな小石を床に投げる。
「うーん、運命的な出会い。女はそうね……何かに支配されている……?彼女がマシュベリーなら本当に黒幕なのかしら?」
「あれ、ステラテアが本当に占いをしている?」
メアリーは毛布から半分体を出して、唸るステラテアの手元を覗き込んでいる。今までの彼女の言動からは、シナリオは全て把握しており、占いという形を通して未来視のまねごとをしているのだと思っていたので意外だった。
「いえね、大筋のシナリオはわかるのよ。でも、こんな細かいルートの先まで、全てを把握している訳ではないじゃない。」
「そうなの?」
「それでも、何度もこの世界を経験してきたから、この人がキーパーソンになるとか、この人はどのルートを歩んでも味方になりうるとか、そう言ったことはわかるわ。」
ステラテアはふふんと鼻を鳴らす。
「それに、この体に転生してから占うと、本当に少し見えるのよ。」
「だから、私が連絡する前にラウスト王国にいたって訳ね。」
メアリーが突っ込むと、彼女はちょっと気まずそうに唇の端を噛んだ。
その時、
「ちょっと聞いて!」
という大声と共に、ポリーが壁をすり抜けて現れる。
「ちょっとポリー、いったいどこに行っていたのよ!」
いつもの仲の良さに反比例するかのように、ステラテアはポリーに文句を言い続ける。
「あー!それは本当にごめんなさい。」
ポリーはふよふよと移動しながら謝るので、そんな姿に気が抜けてしまったのか、ステラテアは溜飲を下げたようだ。ポリーは彼女のご機嫌を取るためか、その肩に手を置きつつ、と言っても実際はすり抜けるのでパントマイムのように手を添えながら、首だけを横にずらしてメアリーの方を見る。
「あのね、メアリー。エーデルが塔の上にいたわ。」




