89 温室にて①
「で、この子を預かればいいのね。」
エルドレンに似た艶やかな銀の長髪を耳に掛け、もう片方の手はスヴェンナの肩に添える。
「セ、セレスティア皇后様。」
スヴェンナは恐れ多いのか、一歩後ずさろうとするも、呼びかけられたシェレンディア帝国皇后は笑みを返すだけで、相手の動きを止めてしまう。
「ほら、元王妃らしくしゃんとなさい。」
母のような微笑みで、セレスティアはスヴェンナの背を撫でる。
エルドレンたち一行は、すぐにでも作戦を実行したいところではあったが、アンドルー皇帝の弱みとなるスヴェンナを置き去りにする訳にもいかず、前線から離れたシェレンディア帝国の王宮に彼女を預けていくことにしたのだ。
初夏にはまだほど遠いが、温室の中は温かい日差しが差し込む。アイスティーのグラスがうっすらと汗をかくほどだ。
「そうだわ、アンドルー皇帝。マシュベリーは元気かしら。」
セレスティアはスヴェンナを隣の椅子に座らせた後、自分は長椅子にゆったりと腰かける。マシュベリー?なんだか聞いたことがあるような名前だったが、メアリーは思い出せない。
「……前皇后とはお知り合いでしたか。」
アンドルーは苦虫を嚙み潰したような顔をして、体格に見合わない小さな声で応じる。
そうか、どおりで聞き覚えがあったのか。メアリーは納得しながら、記憶を辿るも、社交の場などで彼女の姿を見かけたことはないように思う。
「一応、従姉妹にあたるの。」
セレスティアは淡々と口にする。その表情からあまり彼女のことを快く思っていないことがわかる。その様子にアンドルーも少し警戒心を解いたようだ。
「そうでしたか。今は故郷である父方の領地にいると聞いています。子を失ったときと同じで、夫を亡くしてショックだったのか、喪が明けても、黒い服を纏ったまま暮らしているとか。」
「あら、あの子の性格の悪さは知っているけど、いつの間にそんなにしおらしくなったの?」
セレスティアの言葉に、アンドルーは口元に手を当てる。悩んだままの彼とは対照的に、彼女はミント入りのアイスティーをかき混ぜ、氷がカラカラと軽快な音を奏でた。
「あなた達のご事情お伺いしたわ。」
その美しい声に、アンドルーの視線がメアリーに向けられる。
「あ、えっと、ごめんなさい。」
天幕で語られた昔話は、大っぴらにはされたくなかったのだろう。気持ちはわかるが、シェレンディアに協力を依頼しておいて、彼らの事情を黙っておくわけにはいかない。
「メアリーを責めないでくれる?」
セレスティアはその頬を上げて、目を細めているようにも見えたが、有無を言わさぬ気迫がある。
「前王妃とは分かっていても、素性のわからない人間や、関係性のない人間はここには置けないわ。情報収集して何か問題がある?」
アンドルーと火花を散らすセレスティアの様子に、メアリーはアイスティー片手に動きが止まる。エルドレンは母である皇后の様子には慣れているようで、テーブルに乗せられた茶菓子をいくつか手に取り小皿に取ると、メアリーの目の前に持ってくる。
「ありがとう。」
メアリーがお礼を言いながら、その皿を受け取ろうとしたが、澄んでのところで手を掠めていく。目を丸くしながらエルドレンの方を見ると、サブレで口元を隠して笑っていた。
「手ずから食べさせた方が良い?」
皆の前でそんなことをするなんて、顔から湯気が出そうなほど赤面しそうになる。だが、エルドレンは平然と、そして有無を言わさぬ態度だ。彼なんて目の前に母親がいるのに恥ずかしくないのだろうか。
そうか、これは先日のアンドルーへの意趣返しということか。メアリーは覚悟を決めて、ぱくりと噛む。バターがじゅわりと溶け、レーズンの酸味が口いっぱいに広がる。
「おいしい!」
「そうだろう。じゃあ次は――。」
2人がきゃっきゃと騒いでいると、深緑の瞳と目が合う。
「なあ、2人だけの世界に入るなよ。」
「あら、誰のせいでこうなったのかしらね。」
セレスティアはエルドレンとメアリーの婚約を破談にさせた張本人が気に入らないらしく、アンドルーのツッコミにも厳しい言葉を向ける。




