9 婚約者との再会②
「いや~ごめんなさい。メアリー姉上。」
「まだ婚姻もしていないし、お前はメアリーを気安く呼ぶな。」
エルドレンに怒られた少年は金髪に、すみれのような紫色の瞳をしている。金糸のようなその髪はふわふわとしていて、まるで小動物のようだ。
「初めまして、メアリー王女殿下。僕はエルドレンの弟のイシュタル・シェレンディアです。」
イシュタルは隣に並ぶエルドレンとは対照的に、屈託のない笑顔をこちらに向けた。メアリーが姉上と呼んでも構わないと答えると、イシュタルはさらに嬉しそうにしたが、エルドレンは額の皺をより深くして、腕を組み口を結んでいる。
「だって、ラウルが城には婚約者はいないって言うから、姉上が連れ去られちゃったのかと思って、ティーナに探してもらったんだよ。」
イシュタルはやれやれといった表情で手を上げる。
メアリーはピンク髪の女性であるティーナに連れ去られるような形で、エルドレンたちのいる詰所にやってきたのだ。どうも兄弟間の意思疎通が図られておらず、それに巻き込まれてしまったらしい。
イシュタルはメアリーより年下であるようだし、幼い彼なら勘違いすることもあるだろう。それに、子犬のようにしゅんとする姿をされてしまっては、許さざるを得ない。
「にしても、姉上はよく、うちの近衛兵だとわかったね。」
「こんな騒動が起こっても、周りにいた方も驚いてらっしゃいませんでしたし、何よりその軍服はシェレンディア帝国軍の服に似ておりましたから。」
「そっか、姉上は冷静だね。」
一瞬、そう言ったイシュタルの瞳に鋭さを感じたが、気のせいだろうか。
「それにしても、ちゃんと説明してから連れてきてくれと話しただろう、ティーナ。」
「あ、そっか、ごめんね。生きている人間を運ぶのは久しぶりだったから。」
イシュタルに注意されても、どこか無邪気に話すティーナだったが、上司と思われる中年の男性に思いっきり頭を叩かれて、力の行き場をなくした彼女の飾り帽子が床に飛んで行った。
◇ ◇ ◇
エルドレンも詰所からちょうど古城に帰るところだったようで、馬車に同乗させてもらう。彼はメアリーの対面に腰を下ろすと、その青い瞳をすっと細める。
「メアリー、ちょっと。」
彼が手招きしながら名前を呼ぶので、メアリーは膝に手を置き、前のめりになる。すると彼は左手を伸ばしたかと思うと、メアリーの髪に触れた。急な接近に驚いたメアリーは彼を直視できずに瞳を伏せる。
「これはいただけないな。」
その言葉に目を見開くと、彼は花まつりで右耳に飾った小さな生花を手に握っていた。
「花まつりで出会った女の子たちの真似をしたのですが、何かおかしかったですか?」
「いいや。」
そういうと、エルドレンはサファイアのような美しい瞳をメアリーに真っすぐに向けながら、彼女の亜麻色の髪を耳にかける。彼の通った鼻筋に落とす影さえ、人形のように美しい。ふと気づくと、左耳の上に固いものが触れる。
「これは……?」
「花束を模した簪だよ。花まつりの頃にメアリーが来ると聞いて作らせたんだ。間に合ってよかったよ。」
メアリーが左手で髪に触れると、カラコロと高い音がする。
「それはスズランの花だね。イヴァナは特に冬が長いから、その間の仕事として職人文化が発達したんだ。中でもガラス細工は有名でね。」
「ありがとうございます。大切にしますわ。」
メアリーが手鏡をかざすと、ガラス細工だとは信じられないほど、美しく、生き生きとした花束が見える。あしらわれた小さな宝石も鏡に反射してキラキラと輝く。
「ここにいる間はずっと身に着けてくれると嬉しいな。その方がイヴァナ出身のうちの部下たちも喜ぶんだ。」
メアリーは推しからのプレゼントを壊さないように大事にしまっておかなくてはと考えていたが、それを見透かされたようにエルドレンに告げられる。
そう言われたら、ずっと身に着けておくしかないじゃない。こんなプレゼントをくれるとは、彼なりにメアリーがここイヴァナやシェレンディア帝国に馴染めるようにしてくれているのだろう。
「そうだ、明日の午前中は休めそうだから、一緒にイヴァナの正教会に行ってみないか。」
「教会ですか?」
「そう、婚姻は首都に戻ってから行うことになるが、王国と式の違いもあるだろうし、見せたいものもあるから。」
馬車が止まり、エルドレンはメアリーの手を取り、まるで絵本の王子様のようにエスコートしながら古城に降り立つ。兄上が取り付けてきた婚約だというのに、彼にこんな態度を取られてはメアリーは夢見心地な気分になる。本当に、どうしてエル様は私と婚約してくださったのかしら。
でも、どこか心の片隅ではその幸せに怯えてしまう。幸せな時間を過ごすたびに、メアリーに残された猶予は短くなっていくのではないかと。一歩一歩古城の階段を進める足はどこか重たく感じていた。




