8 婚約者との再会①
メアリーは澄んだ青空に映える、真っ白な薄手のワンピースを纏って馬車から降りてきた。長時間揺られていたため、まだ地面がゆらゆらとしている。
ゆっくりと息を吸い込むと、少し冷たい空気が流れ込む。夏を思わせる日差しを感じるのに、ちぐはぐな感じがしてしまう。
「やっとエル様に会えるのね!」
シェレンディア東部イヴァナについたメアリーは、ここ数日の旅路の苦労をものともせずに元気よく声をあげた。
「手紙をよこしておいて本人が出迎えないなんて、失礼な殿方ですね。」
メアリーのメイドであるエイダは不貞腐れた表情をしながら、てきぱきと使用人たちに指示を出して荷物を運ばせている。
「まあまあ、エイダったら。まだ、忙しい時期にも関わらずこちらに呼んでくださったのよ。」
メアリーは主人に対するその忠誠心をありがたいとは思いつつも、彼女をたしなめた。
「申し訳ありません。皇太子殿下は急に詰所へ行かなくてはならなくなりまして。」
薄い茶髪の男性は申し訳なさそうに頭を下げながら、そのウェーブのかかった髪を耳にかける。先ほどメアリーが馬車から降りてくるときに手を引いてくれた彼は、ラウルと名乗った。エルドレンの部下らしく、彼に依頼されて彼の代わりにこちらの迎えにやってきたらしい。
メアリーがここまでやってきたのは、先日エルドレンから届いた手紙がきっかけだ。彼から、東の平定が早めに進んだので、避暑に遊びに来ないかと誘われたのだ。
シェレンディア帝国はラウスト王国よりも全体的に北に位置するため、夏はとても涼しく避暑地として有名である。といっても、大陸の貴族たちが訪れるのはその首都がほとんどで、山脈より東にはほとんど観光客が来ない。
それは、交通の便が不便であることと、たびたび遊牧民による侵攻もあり、忌避されてきたのだ。ここイヴァナもそんな一地方であった。
それでもエルドレンの快進撃は新聞でも報じられており、イヴァナはすでに戦線のかなり後方にとなっており安全な地域であったこと、何よりメアリーは彼に会いたい一心で、二つ返事で遊びにいくこととしたのだ。それなのに、真っ先に彼に会えないのは、忙しいとわかっていても少し落ち込んでしまう。
それでも、数時間後にはこちらの城に戻ってくるというのだから、2度と会えなかったかもしれない可能性も考えれば、それくらいの辛抱は構わない。構わないはずなのだけど……。
そんなメアリーの心とは対照的に、通り過ぎる人々は顔がほころび、どこか浮足立っている。
「ラウル様、本日は何かあるのかしら。」
メアリーは空元気だと気づかれぬよう、話題を振る。
「ああ、花まつりなのです。ほら、あそこにも花飾りがあるでしょう。」
ラウルはちらりと街の様子に目をやると、祭りで使われる花の飾りを指し示した。
「まあ!シェレンディアで一番有名な祭りですね、一度見てみたかったのです。」
「首都ほどではありませんが、イヴァナのものも美しいですよ。」
メアリーはそんな街の様子から目を離せないでいた。それに気づいたラウルから時間まで花まつりをまわってはどうかとの提案があり、お言葉に甘えてメアリーは街歩きに出かけた。
◇ ◇ ◇
「見て、エイダ。あれは何かしら!」
「私から離れずに気を付けてくださいね。」
エイダは注意しつつも、年相応にはしゃぐメアリーに向ける目は柔らかい。二人は花飾りで彩られた広場の門を抜け、屋台の間を進む。
ラウルたちは街歩きの護衛を申し出てくれたが、せっかくの機会だ。ここではメアリー王女を知る人も少ないし、町娘のように気軽に祭りを楽しんでみたいと断ったのだ。身分を隠して王国の城下を出歩いた経験もあるし、心配はないはずだ。
メアリーはさっそく屋台で買った果実の飴をパクリと食べる。まるで前世にあった夏祭りのいちごあめのようで、なんだか懐かしくなる。それに、この世界では王女様だから、立って外で食べるなんて背徳感もたまらない。
「メアリー様、はしたないです。」
「これでおあいこよ。」
メアリーは飴の棒を差し出して、エイダの口に放り込んだ。エイダは眉間に皺を寄せたと思ったら、オレンジの瞳を見開いたりして、表情が忙しい。口角が上がっているから、彼女もこの味を気に入ったみたいだ。
どこからか嗅いだこともないスパイスの匂いや独特の甘い香りが漂ってくる。川面は太陽の光をキラキラと反射させ、人々はせせらぎに面した階段に腰を下ろして屋台料理を楽しんでいる。
女の子たちは皆レースをあしらった赤いエプロンを身にまとい、右耳の上に花を挿して通りを駆け抜けていく。つい半年前まで、遊牧民の侵攻に怯えて暮らしていた街だというのに、まるでそれを感じさせない。
「かわいいお嬢ちゃんたち、花まつりにはこれを髪に挿さないと。」
突然かけられた声に二人が立ち止まると、籠を抱えた老婆が小さな生花を二つ握っている。エイダにお金を支払わせて花を受け取ると、メアリーも先ほどの女の子たちの真似をして、右耳の上に花飾りを挿した。
通りを抜けた先には、花まつり名物の見事なフラワーカーペットが現れた。ここがメインの会場のようで、油断していると人にぶつかってしまいそうなほどの熱気に包まれている。
気を付けながら歩を進めると、観覧の一番前まで出てきていた。石畳の上に数えられないほどの花びらが
幾重にも重なり、それはどこまでも続いているようにも思えた。
「初めて見るけど綺麗だわ。エイダ、この模様何かわかる?」
「なんでしょうか?」
二人で首をかしげていると、後ろから初老の男性に話しかけられた。
「珍しいね。観光客かい。」
メアリーが頷くと、男性はこの模様がイヴァナ地方の市章であること、広場の奥の市庁舎からこの会場を見るとそれは大変美しいフラワーカーペットが見渡せるよと教えてくれた。
確かに、市庁舎の入り口にかけて人だかりができている。二人はお礼を言ってその行列に向かうことにした。
半分くらい進んだところで、エイダは緊張した面持ちで告げる。
「メアリー様、誰かにつけられているかもしれません。」
メアリーはあたりをきょろきょろと見まわしたが、それらしい視線は感じ取れない。だが、訓練を受けているエイダが言うのだから、勘違いではないのだろう。
「おーい。」
そのよく通る声に、思わずメアリーは振り返ってしまった。少し離れたところから頭一つ分抜けたピンク髪の女性が、嬉しそうにこちらに向けて手を振っている。
「メアリー様、あの人お知り合いではありませんよね。」
エイダが手を当てて小声でささやく。
「ええ、でもこれだけ人もいるから別の方と勘違いされ…」
「捕まえた~。」
メアリーが言いきらないうちに、どうやって人込みを駆け抜けたのか、その女性は背後まで近寄ってきており、メアリーを抱きしめて離さない。
「あなた、その手を上げなさい。」
エイダもいつの間にか短剣を構えている。だが、女性はエイダを一瞥すると、あくびをしながら首を傾げた。騒々しい事態であるものの、周りの人々はいたって変わらない様子だ。それに、腕を回してきた女性の白い袖口には金色の細かな文様が刺繍されている。
メアリーはフーっと息を吐くと、
「二人ともやめなさい。」
と言って、大人しくその女性に担がれていった。




