83 滴り落ちるは
天幕を去ったエルドレンと入れ替わるように、彼の部下であるラウルと1人の女性がやってきた。
「ああ、メアリー様。うちのエルが申し訳ありません。」
「いえ、何か事情があるのよね。」
メアリーはラウルが拘束を見ても驚く様子がないことから、これはエルドレンの独断の判断ではないのだろうと推測する。
「あー、えっと、まあ、そうなりますかね。」
何か言えない事情があるのか、ラウルは途端に歯切れが悪くなる。
「いいのよ。軍のことだもの。部外者は聞かないわ。」
メアリーの言葉を聞いて、彼は胸をなでおろしたように見えた。
「ちなみに、そちらは?」
「ああ、彼女はリサと言います。軍部でも数人女性を雇うことにしまして、その1人です。こちらでのメアリー様の護衛と身の回りの世話をさせようかと。」
ラウルはメアリーの手首に視線を送る。
「そうね。確かにこの状態では必要だわ。でも、エイダがいれば十分だと思うのだけれど。」
メアリーは周りを見渡す。昨晩、彼女に黙って抜け出したのでお小言を聞く羽目にはなりそうだが、そうは言ってもせっせと世話を焼いてくれそうなのに、どこにも見当たらないのだ。
「あー、エイダさんは今、救護室におりまして。」
「えっ、どういうこと?」
寒中水泳のように噴水に飛び込んだり、ちょっとくらい刺されても、次の日にはぴんぴんしているあの丈夫なエイダが倒れるなんて。
「あー、そうなりますよね。」
ラウルはしぶしぶと言った表情で、胸元のポケットから見知った小箱を取り出した。その表面には蛇と葉っぱのマークが装飾されている。
「これ、私がジャンから受け取った煙草の箱です。」
メアリーは前のめりに答える。アンドルーの天幕に行くことを彼の部下、ジャンに伝えた際にこれを渡されたのだ。だが、結局皇帝には渡さず、席を外してもらうために、外で門番をしていた軍人に賄賂としてあげた代物だ。
ラウルは答えを予見していたようで、それを聞いても驚いた様子はない。
「なるほど。」
「あの、これが何か?」
エイダがここにいないことと関係があるようには思えない。メアリーが疑問を呈すると、ラウルは言葉を選びながらゆっくりと語り出す。
「急激に眠たくなる成分が入っていたみたいで。メアリー様を探そうと天幕を抜けた後、エイダさんはそれを吸っていた人に話しかけてしまったみたいで。」
「ああ、その煙を吸ったから、まだ眠っているのね。」
ラウルは首を振る。
「いえ。エイダさんは、今朝天幕の外で眠っているところが見つかって、低体温症と思われる症状で治療中です。」
この寒さで外で眠るなんて正気の沙汰ではない。そんなに強い薬だったのか。ラウル曰く、メアリーを急いで探そうと、防寒がおざなりになっていたことも影響したらしい。
私のせいだ。きっとエイダがいたら、アンドルー皇帝は何も話してくれないと思って、黙って抜け出してきてしまった。いつもいつも、エイダを置いてきては迷惑を掛け続けている。
「本人はいたって元気そうなんですけどね、念のため。念のためですから。」
メアリーの心の内を読んだのか、彼は落ち着かせようと声を張る。
もしかして、その怪しげな煙草を渡したのが私だったから、こうして拘束されているのだろうか。そんなことを考えていると、割り込むようにリサが元気いっぱいにベッドのそばまでやって来た。
「そんなことより、まずはご飯を食べないと!」
いつの間にかリサがベット横に座り、一口大に切り分けたトーストをメアリーの口に運ぼうとする。
「わっ、わ。」
なんだかその一口は大きい気がするし、運ぶペースが速すぎる。
「おい、リサ。メアリー様は軍人じゃないんだから、そんなにいっぱい口に入れるな!」
「上官、10分で完食しないといけないのでは?」
「それは軍人だけだ。メアリー様のことも伝えただろう。」
ラウルとリサの言い合いは続き、その様子を見たメアリーは声を出して笑う。
「ほら、メアリー様も笑っているだろう。伯爵令嬢がこんな様では。」
「上官、それは言わない約束です!」
「なら、事前の資料は読み込んでおけ。」
「残念ながら頭脳派ではないんですよ。」
「そんな言葉を吐き捨てて、殴られないその血筋に感謝するんだな。」
こんな状況なのに、なんだか和んでしまい、メアリーは口元を手で押さえる。漏れ出た声に2人の注目を浴びたが、久しぶりに晴れやかな気分だ。
◇ ◇
その晩だった。
「エル、何をしたの?」
真っ赤な鮮血を浴びた、彼がここに帰ってきたのは。




