81 悋気②
本日2話更新です。こちらは2話目です。
「ルイ様、死ぬ気ですよね。死なないでくださいよ。」
「もう、私の死を止めたところで大戦の火蓋は落とされているんだよ。」
「そんなことはどうでもいいんです!」
2人は天幕に響き渡るほどの大声で言い合う。その間、メアリーは立ち上がって胸元を押さえ、アンドルーは紐を引っ張り続けている。
「正気か?世界大戦だぞ。」
アンドルーは手に込めた力を一瞬弱めた。
「いや、さすがにどうでもいいと言うのは言い過ぎましたが、エル様と結婚できるかはルイ様に懸かっているんです。」
メアリーは熱弁を振るう。もう、夜明けも近いのだろうか。外もにわかに騒がしく、このまま叫び続けても、この天幕だけが注目を浴びることはなさそうだ。
「それ、一応婚姻関係を破棄していない夫に、正面切って言うのか?まあ、もうすぐ私は死ぬから、君は好きにしてくれればいいが。」
アンドルーはその手は弱めないものの、首を振って呆れた様子だ。
「やめてください!エル様が私をどう思っているか以前に、私とルイ様の結婚が白い結婚だと証明してくれないと、エル様と結婚できないんですよ。」
叫ぶメアリーの服の中から翡翠が半分ほど現れる。
「どういうことだ?私はこのまま亡命して行方をくらますか、殺されるかだろう。そうすれば、婚姻はなかったことになって、君の愛しの皇太子君と結婚できるだろうよ。」
アンドルーはメアリーのことを状況を理解できていないと判断したのか、馬鹿にしたような素振りを見せる。だが、メアリーの主張は一理あるのだ。
「なんだその目は。」
「いえ、何でもないです。」
メアリーはそう答えながら、ハッとする。先ほどの昔話から察するに、彼は皇族として真っ当な教育をほとんど受けていないから、本当に知らないのではないだろうか。
「一度嫁いだ人間は王族や皇族に再度嫁ぐことはできないんですよ!少なくとも大陸では当たり前の知識です。」
「え、では君はもうあの皇太子には嫁げないではないか。」
緊迫した場面であるものの、メアリーはアンドルーを傷つけないよう補足したのに、彼はそう言った配慮はないらしい。彼の問いに、メアリーは首を振る。
「だけど、例外があるんです。結婚契約だけして、……まあ、その……契りを……結んでいない……と言いますか……、つまり、白い結婚なら嫁げるんです。」
メアリーは恥ずかしくなって、言い淀んだ。
「いや、今のでわかるだろ。」
彼は本質的に遠慮がないのか、死を覚悟したからなのかわからないが、逐一メアリーの心を抉ってくる。
「だから、ルイ様が証明してくれないとだめなんですって。」
「わかった、ならここで一筆書くさ。」
アンドルーは紐から手を離して、机に向かおうとした。
「だめですよ。そんなものでよかったら偽造し放題です。玉璽は城にあるので押せませんよね。この世界には筆跡鑑定も、指紋鑑定もないんですから。」
「なんだよそれ。」
彼は悪態をつきながら、今度は正面からメアリーの首元に手が伸ばされる。油断していたからか、紐はまだ首にかけられたまま、翡翠本体は自分の手をすり抜けて、アンドルーのもとに行ってしまった。
「もう、難しいことはわからんから諦めてくれ。」
「いーやーだー。」
まるで子どものようにメアリーは駄々をこねる。その最中、跡がつきそうなほど紐が引っ張られるので、メアリーは諦めてお辞儀をするように頭を突き出したが、アンドルーはそれを予想していなかったのか、2人はもつれ合うように地面に転がり込む。
彼はさっと片手で頭を守ってくれたが、翡翠を握る手は弱まることはない。いつの間にか、地面を背にしたメアリーは、体格差の大きいアンドルーに馬乗りになられては身動きが取れない。
そうこうしているうちに、翡翠はメアリーの元を離れ、彼の大きな手の内に握られていた。それは徐々に彼の体に近づく。そして、アンドルーは自分の瞳にも似た、その美しい翡翠を自身の喉元に突き立てようとする。
「待って!」
メアリーが縋るような声を上げると、アンドルーの動きが止まる。しゃくりあげるように、呻くように彼は喉を震わせ、しばらくして、その薄い唇を開く。
「最後の希望も失ったら、私はどうしたらいい。」
それは先ほどまでとは違う、アンドルーの本心からの言葉に思えた。メアリーの頬にはぽつり、ぽつりと振り出した雨のように涙が落ちる。その雨と共にメッキで塗られた皇帝の仮面が剥がれ落ち、まるで、愛しい人を突然奪われた少年がそこにいるかに思えた。
つらいよね。メアリーは少し前までの自分の境遇を重ね合わせる。
そして、彼を落ち着かせようとその背に手を伸ばした時、ばさりと大きな布が動く音と共に、天幕に光が差し込む。
メアリーは眩しくて思わず目を瞑ってしまったが、その光の方向に顔を向けた。
「何をしている。」
ゆっくりと瞼を開くと、血相を変えたエルドレンが立っていた。彼の銀糸は隙間から漏れた出した朝陽に照らされ、状況も相まって神々しく見える。
良かった、助かった。
「エル……助けて。」
息も絶え絶えのメアリーは彼を呼び捨てにする。
「メアリー!」
ああ、私の名を呼ぶ、愛しい人の声が聞こえる。それに安心したからなのか、夜更けから起きていたせいかはわからないが、メアリーは瞼を閉じ、深い深い眠りの底に沈んでいった。




