80 悋気①
本日2話更新です。こちらは1話目です。
「というのが昔話、これまでの話だ。」
メアリーはアンドルーの1人語りの内容に衝撃を受け、何も言葉が出てこない。彼は、コーヒーかと見まがうほどの色をした紅茶をちっとも変だと思わないのか、一気に飲み干して、空になったカップをソーサーに置く。
「フィストラルとラウスト王国は血縁関係から、シェレンディア帝国も元婚約者を奪われたからスッツデール帝国と敵対するだろう。カヴァリア連邦は昔からシェレンディアと諍いが絶えなかったから、こちら側の陣営に加わるはずだ。そうなると兄弟みたいな関係のネイシタブ王国も連邦に加勢してくる。」
アンドルーは木のテーブルにある節や年輪を世界地図に見立て、詳しく説明をする。だが、メアリーの首がだんだんと傾いていくのに気が付いたようだ。
「メアリーは聡明だと思っていたが、軍事には疎いんだな。」
アンドルーは鼻で笑うと、メアリーの額を突く。
「つまり、今から世界大戦が起こるってことだよ。」
メアリーは下唇を食み、ただただ静かに頷く。それは言葉を失っているのではなく、覚悟を持って彼の一言を咀嚼するような、そんな表情をしていた。
「驚かないんだな。」
そんなメアリーの様子に、彼の方がかえって驚いたような顔をする。
まさか、ゲームのシナリオを把握していたなんて言えない。メアリーは曖昧に濁して、笑みを浮かべるに留めた。
「えっと、質問があるんですけど。」
メアリーはおずおずと小さく手を上げる。
「なんだ、機嫌がいいから、1つくらいなら答えてやろう。」
アンドルーは腕を組んでふふんと鼻を鳴らす。なんだか、いつもの彼に戻ったようだ。まあ、彼のことなんて大して知りもしなかったのだけれど。
「エル様、フィストラル国王の性癖はともかく、シエナ王妃輿入れ時の噂って何でしょうか。伯母様や母上から聞いたこともないのですが。」
「あー、まあ君にはわざわざ言わないか。要は、君の母は姉であるシエナ王妃に負い目があるんだ。」
「負い目ですか?」
母やシエナ伯母様の家はラウスト王国でも1、2を争う公爵家ではあるものの、臣籍降下したのは何世代も昔の話である。だから、ラウスト王族と血縁を結ぶ目的も果たせないのに、姉妹がそれぞれ大陸の2大国に嫁ぐというのは、かなり珍しい。だが、それは負い目とは関係ないだろう。
「私の世代以上の王族や皇族たちなら聞いたことがある噂でな。君の母がラウスト国王に嫁ぐことを公表する直前、どこから嗅ぎつけたのかフィストラル国王が君の母を妻にしたいと望んでな。」
「ええっ。」
メアリーは驚きの声を上げる。親世代が知っているなら、口伝えに耳に入ってもおかしくはないのに、緘口令でも敷かれていたのだろうか。
「例の性癖の関係だろうな。まあ、王女ならともかく、一介の公爵家の子女を娶るという話なら、ラウスト側もフィストラル国王の申し出は断るのは難しい。だけれども、本人たちはそれを許すはずはない。ひと悶着ありながらも、身代わりに姉、つまりシエナ王妃が嫁いだのさ。」
アンドルーは席を立ち、テーブルの周りを歩き始める。
「表向きはその美しさに惚れたということだから、姉ならいいと。だが、彼の性癖を考えてみろ。」
「あー、シエナ伯母様と別の男性と良い仲にさせてから娶った、と言うような話でしょうか。」
「契約上結婚はさせずに元婚約者の下で数年幸せに暮らして、真偽のほどは不明だが、子どもも生んだらしい。」
そう言われてみれば、ある侯爵のことを思い出す。彼は見目も良いのに、再婚もせず、2人の子どもを育てていた。
メアリーも母である王妃の親戚だと紹介され、何度か子どもたちと会ったこともある。だが、侯爵は親戚ではないので、その説明を不思議に思っていた。なるほど、書類上は血縁関係がなかっただけで、侯爵の子は実はいとこだったという訳だ。
「満足したか?」
アンドルーはメアリーの両肩に手を置く。メアリーの髪を撫でるようにして、その顔を首元に近づける。
「ルイ様、ちょっと近いです。」
メアリーは遠慮がちに片手で押しのける。だが、彼は意に介さず、肩に手を回してくる。その手は、メアリーの胸元を伝う。
「ちょっと!」
メアリーは嫌な想像をして声を上げたが、どうも彼の目的は違うようだ。アンドルーの指先は、翡翠をぶら下げたネックレスの紐を掴んでいる。
なぜ彼は素直にスッツデール帝国の事情を話したのか。なぜ機嫌がよかったのか。そして今、メアリーの胸元にある、少し鋭利な翡翠を奪おうとしている。
そこから導かれる答えは1つ。
「メアリーには何もしない。」
振り向くと、そう話す深緑の瞳と目が合う。




