75 即位
「スッツデール帝国では新たな皇帝が立ったらしい。お前は幽霊だったのか。」
「まさか。」
エルドレンはアンドルー皇帝を留める天幕に顔を出していた。当初はアンドルーにもてあそばれてばかりだったが、ここ最近はこちらも彼を揶揄する余裕が生まれてきた。
だが、エルドレンが先ほど仕入れた新聞の情報を彼に伝えても動じる様子はない。皇帝が行方不明になってから新皇帝の即位が短時間であったことを考えると、ここまでは予定調和なのだろう。
「じゃあ、幽霊ではないか確かめさせてもらおうか。」
エルドレンが手を叩くと、緑がかった髪をした人物が現れる。彼は四角い箱が乗った荷台を重そうに引いて天幕の真ん中まで来ると、ラウルの手助けを得て、手早く設置していく。
「これは?」
アンドルーは不思議そうにその箱を眺める。
「幽霊は写らないという品物でな。あそこに座ってくれ。」
「へえ、面白いな。」
エルドレンは答えをはぐらかしつつ、彼を誘導する。意外にもアンドルーは乗り気で、いそいそと席を立つと箱の周りを覗き込む。
「それにしても、今日の皇子は機嫌が良さそうだな。」
「まあな。」
エルドレンはメアリーが午後に到着予定であることを早馬で知らされており、少し浮足立っていたことは否めない。目ざといこの男にそれを感づかれてしまったようで、彼はふふふと笑って椅子の上で足を組む。話を逸らそうと、エルドレンは最初の話題に戻る。
「それにしても、新皇帝が即位したと言うことは、甥っ子を2人ともお前が殺したという噂は嘘だったのだな。」
「噂など、噂に過ぎないことは君の一族がよく知っているのでは?」
アンドルーの発言に、エルドレンは言葉を詰まらせる。シェレンディア帝国王族の噂、―嫁いできた者を人質のように軟禁、監禁も厭わない国家―は盛られているが、祖母や母からの話を聞く限り、あながち根も葉もない噂とは言えない。
「シェレンディアの噂は半分本当みたいなものだが。」
「そうなのか。」
そちらから話題を振っておきながら、若干引いた態度を取るアンドルーにエルドレンは少しムッとする。
「皇帝の噂も半分正しいのに、その表情は失礼だろう。」
「私の噂?……どういうことだ。」
アンドルーは心底意味が分からないと、手を上げる。
「いやいや、甥っ子のうち、兄の方は殺して土の下に埋めたんだろう?」
「ちょっと待ってくれ、エーデルをか?それはあり得ない。」
パシャッパシャッという機械の音だけが天幕に響く。アンドルーはその間、瞬きを繰り返す。
「まさか。」
瞳を大きく開けて、彼はエルドレンへゆっくりと顔を向ける。
「皇帝になったのはエーデルではないと?」
アンドルーからの問いにエルドレンは答えず、外套のポケットに無理やり突っ込んでいた新聞を投げてよこす。端の折れたままの新聞を彼は破れそうな勢いで開いていく。
「中じゃない、1面だ。」
エルドレンが声をかけると、ガサガサと質の悪い紙が折れる音が聞こえる。
「どういうことだ。」
アンドルーはいつもの落ち着いた表情はどこへやら、目はうつろにどこかを見ている。
「もうすぐお前の部下も来るらしい。傍聴はさせてもらうが、その上で話を聞くか。」
「ああ。」
力なくつぶやかれた声とともに、彼が手にしていた新聞が地面に落ちる。それは『シュレイン新皇帝即位』の見出しの下、エーデルが森の中で死体で見つかったと小さな文字で書かれていた。
◇ ◇ ◇
「エル様!」
メアリーは子ウサギのように跳ねて、エルドレンの腕の中をめがけて飛んでいく。彼は勢いに押されて一歩後ずさるも、メアリーを強く抱きしめ返す。
何だろう。よくわからないけど、違和感がある。ためらうように、何かに怯えるように、エルドレンの体には力が込められている。
メアリーは彼の腕の中で頭を上げ、澄んだ青の瞳を見つめる。その瞳は何かに悩むように揺れ、そっと目を逸らされる。
「エル様、何かあった?」
メアリーはその様子に不安にかられる。身内や家族、王国を救うためとは言え、彼に断りなくスッツデール帝国に嫁いだのだ。婚約を無視したメアリーがここに来ても迷惑だったのかもしれない。
「いや、何も。」
彼は言葉とは裏腹に、メアリーの肩を押し返すように、ゆっくりと体を離す。
「あのね、エル様。」
メアリーは謝罪の言葉を口にしようとしたが、それを封じるように、エルドレンが言葉を挟む。
「シュレインという者が即位したと聞いたときから、アンドルー皇帝の様子がおかしいんだ。メアリー、何か知っていることはないか。」
急な話題を振られて、メアリーは二重の意味で目をぱちくりとする。
「え、即位?行方不明の皇帝も探さずに?そもそも順番から言えば、エーデルではないの?」
メアリーは首をかしげる。
「エーデルは生きているのか?」
「どういうこと?少なくとも私が城を出るまでは2人とも生きていたけれど。」
エルドレンの質問に困惑したメアリーは矢継ぎ早に行われる彼の問いに素直に答えていく。正直なところ、久しぶりの出会い頭にすることではない。だが、エルドレンに引け目を感じているメアリーは何も言い出せず、最後の方は喉が枯れそうになっていた。
せめてお茶でも一緒に、そうメアリーが口を開く前に
「例の探し物は見つかった。もうすぐ届く。」
とエルドレンは言い残して、その場を後にした。




