74 紙一重の船渡
「それはなりません。」
キリアンはメアリーの気迫に動じることなく、首を振る。
「ルイ様が乗った船が沈没したのは大陸岸壁の近くなのでしょう?きっとシェレンディア軍に引き上げられているはずよ。」
昨夜遅く、飛ばしてきたスッツデール帝国軍の船がそれを知らせたのだ。
「なら、そのクレウゲンとやらに行くのが筋ではなくて?」
「私はここを動けませんし、それに……」
「あなたルイ様に命じられて私の護衛をしているのよね。」
ためらいがちに答えるキリアンの言葉を遮るかのように、メアリーがまくし立てる。
「シェレンディア皇太子と私は旧知の仲よ。私を人質だと言うなら、ルイ様の身元と引き換えに私を渡せばいいじゃない。それならルイ様は戻って来れるのに、部下のあなたは何をためらうことがあるの?」
彼は黙り込んだまま、動きのない瞳でこちらを見つめる。
「それにルイ様直下の信頼できる人員も城にはほとんどいない、敵方も把握できていないのなら、エーデルとシュレインも連れて一緒にクレウゲンに行く方が安全ではなくて?先ぶれを出して、講和に持ち込めば問題ないでしょう。」
「エーデルとシュレインはスッツデール帝国の皇子です。ここを出してはなりません。」
キリアンは必要以上に大声を上げ、机を手で叩く。メアリーは驚き、小さな体をさらに縮ませる。
「命がかかっているのに?」
メアリーは震える声でつぶやく。信じられない、矜持や伝統といったもののために命を投げうつなんて。彼女の桃色の瞳は語らずも雄弁だ。
「とにかく今は大人しくしておいてください。」
キリアンはかぶりを振って、嘆息する。メアリーは彼と話しても、埒が明かないと、勢いよく部屋を飛び出す。
パタパタと軽い足音が遠のき、部屋に1人っきりになる。キリアンは引き出しからマッチを取り出すと、慣れた手つきで煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせる。
「今動かれると面倒なんだけどなぁ。」
煙と共に吐き出した言葉は、天まで上る。それをじっと見上げていると、
「どうされます。」
と開け放ったままの扉から、挨拶もなしに男が声をかけてくる。キリアンはそれを気にすることなく、彼にも煙草を差し出した。
「ジャン、カヴァリアからの返答は。」
「上々です。」
ジャンと呼ばれたその男は、煙草を受け取ると、キリアンから無断でもらい火をする。
「お前なぁ。」
「あいにくマッチは持ち合わせがなくて。」
へらっと笑う彼に、キリアンは眉を顰める。刀の扱いは手練れであるのに、この態度がいただけない。だから、こんなところまで行きつくのだ。
「まあいい、お前はクレウゲンへ向かえ。」
「1人でですか。」
「いや、表向き護衛として。」
「表向き。」
ジャンは淡々と言葉を繰り返す。
「仕事は2つある。1つは――。」
キリアンは彼の耳元で囁く。
「そして、アンドルーに聞かれたらこう伝えろ、『エーデルは死体で見つかったと。』」
◇
クレウゲンへはメアリーだけが行くことを条件に許可が下りた。キリアンは帝国を離れられないからと、一人護衛を着けてくれている。
「ジャン、少し待って。」
彼は薄い金髪の髪を後ろで1つにまとめている。手足の長い彼の1歩はメアリーの3歩分くらいありそうだ。ジャンは護衛は初めてなのか、うっかりするとメアリーを置いて行ってしまいそうなほど先に行ってしまっていた。
クレウゲンへは軍の船を出す訳にもいかず、民間船で、いくつかの港を経由して向かう。
船着き場に着くと、見慣れた顔がそこにあった。
「あれ、ユーリ。」
「ああ、よかった。メアリー様、エイダさんも。ステラテアさんから助言がありまして。」
エルドレンの従者であるユーリはこちらに駆け寄ると、にっこりとメアリーに微笑む。
「こちらは?」
ジャンは不思議そうにメアリーとユーリの顔を交互に見ている。
「ああ、ごめんなさい。こちらはシェレンディア帝国第1皇子の従者をされているユーリ、それでこちらはスッツデール帝国第4騎士団副隊長ジャンよ。」
メアリーが紹介を済ませると、彼らはぎこちなく握手を交わす。すっかり忘れていたが、シェレンディア帝国がスッツデール帝国に対して開戦した今、2人は敵同士だった。ジャンはともかく、ユーリの素性を誤魔化しておくべきだった。メアリーが後悔するももう遅い。
「仮にも開戦中の敵国に長々滞在するとはなかなかの胆力で。」
ジャンはユーリを見下ろしながら、鼻を鳴らす。
「私はメアリー様のご要望でお客人をお連れした帰りですから、そういわれる筋合いはありませんね。」
ユーリはさらりと嫌味を流す。
そんな2人が一緒では、荒れた船路になりそうだ。メアリーは小さく息を吐くと、クレウゲンへ向かう船に乗り込んだ。




