69 彼女の名前は
先ほどまでの警戒心はどこへやら、エーデルはメアリーの横に腰かけている。シュレインに至ってはメアリーの膝の上で、寝ころんでいる有様だ。彼らが言うには限られた人としか会えず、とても寂しかったらしい。
「暗いし、僕、もうここを出たいよ。」
シュレインが叫ぶ。
「なら、どうして2人はこんなところにいるの?」
メアリーの疑問に2人の兄弟は顔を合わせる。
「父王が亡くなったのはアンドルー叔父さんが謀ったからだってブシュロンが言ったんだ。」
「安全になるまでここから出ちゃだめーって言ってた。」
「そうなんだ。」
ブシュロンたちが、彼らを騙してここに閉じ込めていたのだろう。
「でも、叔父さん良い人なんだよ。パパに隠れて離宮に遊びに行ったら、いつもお菓子をいっぱい用意してくれているんだ。」
シュレインは小さな腕を大きく開く。
「お話も楽しい人なの。従者たちが言うにはすっごく強いんだって。でも、いつも『舞台を巡る旅にいつか出かけたい』って言ってた。」
「……叔父さん、皇位には興味ないって言ってたのに。」
エーデルはそうつぶやくと、美しい長い金色の睫毛に影を落とす。メアリーは彼の髪を撫で、ぎゅっと抱き寄せた。
「その話は誰から聞いたの?」
「ブシュロンだよ。」
「そっか。」
メアリーは少し考えてから口を開く。ブシュロンは父である前皇帝から仕えていた人間であり、彼ら兄弟との交流の深かった人物のはずだ。この幼さではその人の言葉を信じるしかなかったのだろう。
「なら、1度叔父さんに会ってみない?ブシュロンが言った噂とエーデルとシュレインが知っている叔父さんの姿は全然違うんだよね。」
「でも、叔父さんが手を上げたら、シュレインを守り切れないよ。」
エーデルはシュレインを見つめる。メアリーの提案に興味はあるものの、弟を守りたい気持ちが優先し、踏み切れないらしい。
「あら、その時は私がアンドルーなんて倒してやるわよ。」
ポリーは腕まくりをして、露わになった二の腕をを叩く。
「確かに、この間もポリーが倒していたものね。」
「え、ポリーすごい!」
メアリーが先日の塔の件を補足すると、子どもたちはキラキラとした瞳をポリーに向ける。彼女は慣れない様子で、照れくさそうに笑う。
「僕、外に出たら蜂蜜いっぱいのパンケーキが食べたいな。」
「いいわね。」
メアリーはシュレインの手を引く。元来た道は先ほどと同じで薄暗いが、子どものにぎやかな声に気持ちは明るくなる。
「よかった、みんなご無事そうですね。」
開けたままにしていた入り口からエイダが覗き込んでいた。外からもにぎやかな声が聞こえてきたようだ。先頭を歩いていたキリアンが先に地上に上がり、途中まで梯子で登ってきたエーデル、シュレイン、メアリーを引き上げていく。
「私、もうそんな歳ではないのよ。」
メアリーのこぼした一言は、久しぶりの外に興奮する兄弟たちの声でかき消されていく。それぞれの子どもたちと手をつないでいたキリアンとエーデルは、リードを引っ張られた犬の飼い主のように先へ、先へとどんどん進んでいく。
そんな4人の背中を見ながら、残されたメアリーとポリーはその後ろをゆっくりと歩く。すっかり茜色に染まった青葉が揺れ、少し肌寒い風が亜麻色の髪を撫でる。
塔でも、先ほどの牢でもよく話をしていたはずのポリーは、メアリーの様子に何か勘付いたのか、一言も話さない。小道を歩く1人分だけの足音が、小さく森に響く。
メアリーは静寂を破るように口を開く。
「ねえ、メアリー・フォン・ラウスト。」
「どうしてそれを?」
ポリーの横顔は表情が読めない。
少なくともポリーの返答から、彼女はかつてメアリー・フォン・ラウストとして生き、アンドルー皇帝の悪夢に出てきたような人生を送ったということだろう。
「私とルイ様。ええと、アンドルー皇帝があなたの記憶を垣間見たの。」
「ルイでわかるわよ。ああそうか、この世界で2人とも私の力に触れたからかな。」
ポリーは考え込むそぶりをするも、その声はいつもの明るいものに戻っていた。
「ねえ、ポリー。近々、あなたに会わせたい人がいるの。」
あなたの記憶を見た。きっと彼女は――。




