64 人質
「それに、今のルイ様が本当のルイ様ですよね。」
メアリーの言葉にアンドルーは目を逸らす。
「人前では私のことをぞんざいに扱いますが、2人きりのときはそうではありません。それは、城の中でも敵がどこに潜んでいるかわからず、私のことを守ってくださるためだったのでは?」
彼は沈黙を貫く。
「それに、今回の戦争のことも何かご事情があるのではありませんか。目的さえ果たせば、この戦争に勝つ必要も、他国からの理解が必要だときっと思っていらっしゃらない。」
フィストラル国王を殺したのは事実だろう。ただ、それ以上のことはきっと何も望んでいない。むしろ、その身を罰してほしいと望む危うさがある、そんな気がしていた。
「どうかな。」
腰に彼の手が添えられたかと思うと、体が回り、世界が一周する。至近距離にはエメラルドの瞳、手の届く範囲には金糸が揺れ、その奥にはベッドの天蓋が見える。左右に首を動かせば、両手首をアンドルーに押さえられていた。体格の良い彼にそんなことをされては、力を入れてもぴくりとも動かない。
そうこうしているうちに、部屋のドアが開かれる。一瞬足音が止まったが、その主は気にすることなく近づいてきた。
「皇帝陛下、一応そういうことは正式な婚姻の前には控えるべきかと。」
「キリアン、主人がベッドに女を連れ込んで馬乗りになっている時は、黙って退出するのがマナーだと習わなかったか。」
「それは失礼しました。ただ、軍人あがりの僕が見よう見まねで侍従をする羽目になったのは、誰かが使用人を一掃してしまったからですよね。」
アンドルーは両手を上げ、バツの悪そうな顔をする。いつもの『皇帝陛下』の仮面をかぶっている彼とは違い、どこか気さくな雰囲気を醸し出している。だが、メアリーにはそれだけで、目の前のキリアンが安全な人物なのか判断がつかない。
メアリーは彼のシャツを握って引き寄せ、彼の耳元に口を近づける。キリアンからは、メアリーがキスをねだるかのように見えるだろう。
「ルイ様は外から足音が聞こえたから、急にこのようなことをしたのですね。王女様に無体を働く皇帝陛下はいつものあなたのイメージ通り、それに並みの使用人ならこの状況を見て退出してくれるから好都合と。」
彼の瞳を真っすぐに見つめる。アンドルーは目を細め、口角を上げる。
「なるほど、君は聡明なようだ。だが、安心してくれ。キリアンならこれ以上そういう素振りをする必要はない。」
「メアリー王女殿下、私は皇帝陛下が離宮に閉じ込められていた時代から彼に仕えてきました。これでひとまず、信用いただけませんか。」
キリアンはアンドルーの言葉から察したようで、胸に手を当てて、恭しく一礼をする。メアリーが彼を見つめたままでいると、アンドルーは咳払いをする。そして、手を差し出して、ベッドに倒れていたメアリーを引き起こす。
「君がその聡明さや優しさを知ったところで、私は君を愛するつもりなどない。」
「ええ、知っています。」
上体を起こしたメアリーは表情を崩さない。反対に、アンドルーは深緑の瞳を大きく見開き、体の動きがピタリと止まる。
「……どこまで知っている。」
「スヴェンナ様の事を。」
メアリーはベッドの上に座り直し、胸元から1通の手紙をおずおずと差し出す。彼はそれをじっと見つめる。これで勝手に部屋に入り込んだこと、手紙を勝手に読んだことが明るみになってしまった。彼は私を怒るだろうか。
「そっちか。」
アンドルーはぽつりとつぶやく。それ以外に何かあるのだろうか。
◇
「ええと、つまりルイ様は甥っ子達を殺していらっしゃらないと。」
アンドルーからの説明を聞いたメアリーはあまりの情報量の多さに、要点を繰り返す。
「ああ、対立する派閥が大陸に流した嘘だろうな。」
彼は淡々と述べる。
「だが、甥っ子たち、エーテルもシュレインも見つけられなかったのは事実だ。」
2人が話し込んでいる間に、キリアンが朝食とコーヒーを並べ終えたようだ。メアリーはそっとカップを手に取る。
アンドルーの話を簡潔にまとめると、急に前皇帝である兄が亡くなった後、甥っ子はその幼さを利用しようとする腐った貴族たちに囲われてしまった。それではまずいと、アンドルーは皇位を奪った。そこには、積年の雪辱を果たしたいという下心もあった。
目的を果たせば、皇位を返還してしまいたかったが、甥っ子たちは隠されてしまった。その場所がわかるまでは、城内に潜む敵をすべて処分したり、表立ってあぶり出したりすることも難しいらしい。
手元のカップからは炒った豆の焦げ臭い香りがする。メアリーは一口飲むと、眉根を寄せた。
「子どもにはまだ苦かったか。そんな子どもを留め置くのはかわいそうだが、」
アンドルーはくすくすと笑ったかと思うと、為政者らしい冷たい表情に変わる。
「君がここにいるのは好都合なんだ。」
「どういうことでしょう。」
メアリーには全くついていけない。
「元々、私はフィストラル王国と繋がる王子として、皇位につかないよう兄から離宮に幽閉されていた。」
彼は先ほどよりも強くなった日差しの先をぼんやりと眺める。
「対立する派閥としては、大陸の民は好きではないが、元宗主国のフィストラル王国に恨みがある人間が多いので、ラウストの王女は好都合と言うことだ。」
敵の敵は味方というやつか。フィストラルの血が流れる彼がフィストラル国王を殺すのは予想外だが、それは敵にとってもかつての宗主国に一矢報いる形になった。そのため、彼らも派閥割れしているような状況らしい。
「それで、私の命を狙うものもいると。」
メアリーの言葉に、アンドルーは静かに頷く。昨日メアリーの命を狙ったブシュロンもそういう1人なのだろう。
「お家騒動に巻き込んで済まないな。だが、人質として君は優秀なんだ。」
その血を欲しているようにも見えるからな、と彼は寂しそうに言葉を漏らした。




