57 不思議な瞳
「あーやってしまったわね。」
メアリーは手の内にある厚手の布地の中を見つめる。その中には粉々になったアクスタもどきが星のように煌めく。急いで荷造りをしたため、専用の緩衝材を用意する暇もなく、グッズを運んできた結果がこれだ。
「まあ、処分しなさいってことかな。」
メアリーは自分を嗜めるようにひとりつぶやく。
「メアリー様、お怪我はありませんか。」
侍女のエイダが顔色を窺うように声をかけてくる。エルドレンの姿を思い出せる品が割れてしまったのだもの、主人はどんなにショックを受けているか、気を使ってくれているのだろう。メアリーは平気なふりをして、顔を上げる。
「エイダもごめんね、こんなところまで着いてこさせてしまって。」
「シェレンディアよりもここは暖かいですから。冬の新しいコートも買う前でよかったです。」
エイダの言葉に、いつの日か2人で語り合ったことを思い出す。あの時は国の一大事も解決して、エルドレンのもとへ嫁げると希望に満ち溢れていた。
「ああ、メアリー様、ごめんなさい。」
急にエイダは大声を上げると、レースのついた薄手のハンカチを取り出して、メアリーの頬に触れる。
「…私、泣いていた?」
メアリーは寂しそうに指の根本をなぞる。エルドレンにプロポーズをされた後、毎日嬉しくて指輪を撫でていて、癖になってしまったのだ。いつしか指輪の跡形だけになり、今やそれすらも残っていない。
最悪の展開を想定していたとは言え、一度手に入れたはずのものを手放すのはつらい。だが、それは自分で決めたことだ。選択肢が他にあったかどうかはわからないが、もうここで生きていくしかないのだ。
「エイダ、ガラスはそのまま置いておいて。」
「わかりました。」
いつもならエイダは怪我をするからいけませんと言うのに、今はそのやさしさがメアリーの心をちょっぴり苦しめる。片付けを始めていた彼女は頷き、布の端を結んで包み直すと、窓の端に置く。日の差さない薄暗い部屋からは、古びた塔が見える。
「あれは何かしらね。」
メアリーの心のように、今にも崩れそうなほどの塔が西日を受けてそこに建っていた。
◇ ◇ ◇
スッツデール帝国についてから、1週間が経とうとしていた。意外にもアンドルー皇帝はメアリーに何を求める訳でもなく、朝食だけは一緒に取っている。だからと言って、楽し気な会話を広げる訳でもなく、2つのナイフとフォークが皿に触れる音だけが食堂に響く。
メアリーがいつものように食事を口に運んでいると、対面にいるアンドルー皇帝が手に持っていたカトラリーを置く。
「明日からは城内から出るな。」
鷹のように鋭い瞳はメアリーを見つめて、逸らさない。
「わかりました。」
メアリーはベーコンを飲み込んでから、返事をする。といっても、今ですらメアリーは城の庭園を散歩する程度しか部屋から出ていない。そんなことを言われるとは、何かあるのだろうか。
「ルイ様、どこかお出かけになるのですか。」
「大陸に。」
ルイという言葉にはピクリと反応するも、彼は会話は終わったとばかりにすぐに料理に戻ってしまう。メアリーからすれば、戦線がより広がったのだろうか、王国はどうなったのか心配は尽きない。嫌な汗が背中を伝っていく。そんな様子に気づいたのか、アンドルーは目線だけをこちらに向ける。
「心配しなくとも良い。お前がここにいる限りはラウストには手を出さんよ。」
思考を読まれたメアリーは愛想笑いを浮かべる。
そういえば、彼とは会話はほとんどないのだが、一緒に過ごして気が付いたことがある。彼は家臣たちの前では尊大で、メアリーにも微塵も興味があるそぶりも見せず、険のある言葉が並ぶ。
だが、表情の少なさは変わらないものの、2人っきりでいるときには言葉に棘を感じない。それどころか、どこか懐かしむような、慈しむような新緑の瞳をこちらに向けているのだ。
慣れないこの帝国の料理にメアリーが百面相をしていると、彼は眉一つ動かさないが、瞳は揺れ、どこか笑っているように感じられた。それに、食事中にメアリーがこぼす料理への文句を覚えているようで、次の日からは改善されたメニューに変わっていたり、数少ないおいしい料理に喜べば、翌日以降はその料理がテーブルにしれっと並んでいた。
アンドルーは思っているよりも悪い人なのだろうか。フィストラル王国への無茶苦茶な宣戦布告、国王の処刑など、彼の暴虐な行動は揺るがしがたい事実である。だが、瞳に映る目の前の人物がその当の本人であるとはどこか信じられない。メアリーは先日から定番となったベリーパフェのようなデザートをを口にしながら、そのエメラルドの瞳を見つめていた。




