55 決断の時
あの後、ディナー途中にもかかわらず国王は飛び出て行き、シリル兄上もそれに続いて立ち去っていった。その後、王妃は崩れるように倒れ、メアリーは母が落ち着きを取り戻すまで、寝台の横につきっきりで控えていた。
そんなメアリーがベッドに潜り込んだのは、時計の針がてっぺんをゆうに過ぎた頃だった。月のない夜にランプの灯を落とせば辺りは真っ暗闇になる。瞼を閉じたメアリーは薄手の毛布を手繰り寄せ、今日の出来事を反芻していた。
(スッツデール帝国の皇帝は、首を落とすなんて非道なこと本当にしたのかしら。)
罪深き王族でも修道院送りが常識の世界ではそれは野蛮な行為で、戦争に勝利したとしても、各国からの理解は得にくいはずだ。それなら、今回の戦争は重要なイベントではないのかもしれない。ただ、一つの悪い予想を思いつく。
(――もしかして皇帝は他の国からの理解を得る必要がないと思っている?)
◇ ◇ ◇
スッツデール帝国の使者がラウスト王宮までやってきたのは、それから数日経った朝のことだった。食堂に向かおうと廊下を進んでいたメアリーは、思わぬ客の訪問に花瓶の奥に姿を隠していた。
「お初にお目にかかります。私はスッツデール帝国が侯爵、ジョージ・クレイトンです。本日は皇帝からのお言葉をお伝えに参りました。」
「先ぶれも出さぬなど、皇帝は臣下にマナーを学ばせていないのかね。」
国王が王妃を伴って階段上から使者を見下ろす。花の隙間から辛うじて3者が見える。
「シエナ!」
王妃が叫び声とともに駆け下りてくる。それなら、使者の奥でゆらめく人影はシエナ伯母様だろうか。大きな声に驚いたのか幼子の泣き声も聞こえるので、息子のジルも一緒のようだ。
「おっとお待ちください、王妃様。」
恰幅の良いお腹を撫でさすり、クレイトン侯爵は制止する。
「これは交換条件なのです。」
「交換条件?」
王妃は彼を睨みつけながら、言葉を繰り返す。
「そうです。我が偉大なる皇帝は、シエナ王妃、いえ今は王妃ではありませんが。彼女もフィストラル国王に騙されていたとして、解放すると仰せです。」
王妃はシエナに駆け寄る。
「ああ、ソフィア。」
シエナは手を伸ばしてきた王妃に弱弱しい声をかける。かつての彼女の華やかな姿はそこにはなく、飾りのない肌に、乱れた髪を露わにしている。
「代わりに、皇帝はメアリー王女を妻としていただきたいと仰せです。」
「え?」
いつのまにか花瓶の奥から姿を現していたメアリーは、侯爵の目線とともに皆の注目を集める。国王は目を逸らし、王妃は迷いのこもった瞳を向ける。
「姉の代わりに、実の娘を差し出せと?」
王妃は強い眼差しで侯爵を見上げる。呪い殺しそうなほどの眼力に彼は一瞬怯むも、襟をただして彼女たちを見下ろす。
「こちらは構いませんが、姉君とその子息がフィストラル国王と同じ運命をたどるだけです。」
冷たい彼の一言が玄関ホールに響きわたる。シエナの口から漏れる嗚咽が、フィストラル国王の死が真実だと物語っていた。
メアリーは靴音を立てて、彼らに近づく。父上は国王として復興途上の国内の状況を鑑みれば、相手の条件を飲むのが一番被害が少ないとわかっている。母上だって、生きて会えた実の姉を自分の判断によって死に追いやるのは気が重いのだろう。長い沈黙は、嫌と言うほど、王女に望まれた運命を指し示す。
メアリーはシエナとジルの傍に来ると、彼らに手を伸ばす。シエナは気まずそうに大理石の冷たい床に視線を落とすばかりだが、何もわからない幼子は嬉しそうにメアリーの指を握りしめる。
小さな子の高い体温がじんわりと伝わってくる。自分が嫁げば、この2人の命は助かるだろう。それに今回の経緯を考えれば、皇帝はラウスト王族の血も手に入れたいはずだ。自分なら、世継ぎを生むまでは殺される可能性は低い。
「わかりました。私、西の帝国に嫁ぎます。」
覚悟を決めたメアリーは、胸に手を当てる。雨に濡れた訳でもないのに、頬には小さな雨粒が伝っていった。




