54 継承戦争
初日は出航前のエル様のファンサが飽和して、思い出してはベッドでバタバタしていた。エイダは慣れた様子で主人を微笑ましく見守る。
そんな夢見心地な初日から一転、2日目の夜からは惨憺たる船旅となった。内海に入るまでは船は揺れにゆれ、上部にある特一等の部屋でも、食事をとれないほどだった。船旅は何度もしているが、こんなことは初めてである。
「お疲れですね。」
机に突っ伏したメアリーの頭の前にエイダがレモンティーを差し出す。ラウスト王国に到着したメアリー一行はすぐに王宮へ向かうところを変更して、港近くのカフェテラスでひと休みしていた。
「エイダ、は、へいき、なの?」
「ええ、もともと海の近くの出身ですし、これしきでへたばってはメアリー様の侍女失格ですから。」
メアリーは頭を上げて、レモンティーを口にする。酸味が口いっぱいに広がり、むかむかした胃のあたりが少し治まってくる。
「本当はどこか個室でも取れたらよかったんですが。」
「いいの、おちついたら、おうきゅう、に、かえろう。」
シェレンディアでは体を刺すように冷たかった潮風も、ここでは春の日差しと相まって心地よい。レモンティーを半分ほど飲み干したところで、周りの喧騒が耳についた。
「スッツデール帝国が戦争を起こしたらしいぞ。俺たちゃ忙しくなるだろうな。」
「海の覇者でも、あの帝国は島から出たことないだろう。すぐに終わるさ。」
「相手はフィストラル王国だってさ。」
「なんだって。あそこは腐っても大国だろう。西の帝国も見誤ったな。」
港の作業者たちだろうか、薄汚れた手に真新しい新聞を持ち、テラスの前を通り過ぎていく。
「なんだか怖いですね。」
隣に座るエイダはメアリーの背中をさする。手のひらからはじっとりとした汗の感触が伝わり、メアリーの体は小刻みに震えていた。
「メアリー様。」
エイダが声をかけた時には、メアリーは震える手で体を支え、立ち上がろうとしていた。
「急いで、王宮に、戻るわよ。」
メアリーはそう言うと、新聞を買うように指示する。ふらついた足が絡んでこけそうになり、エイダに支えられて転がり込むように馬車に乗り込んだ。
王宮に到着するまでの間、メアリーは新聞に目を通すも、文字を追う目線は滑り、内容を上手く理解できない。いや、現実を受け入れられないだけだろうか。
(どうして?私はまだ14歳。戦争が起きるのは3年後のはず。)
◇ ◇ ◇
沈む夕陽が夜空とグラデーションを描く頃、メアリーは王宮の食堂にいた。ただ、体調が回復していないところに、馬を急がせたものだから、目の前の豪華な料理は全く口にできそうもない。
ディナーの場には家族一同が会していたが、いつもの朗らかな空気はなく、重々しい雰囲気が漂っていた。そんな空気を破るかのように、シリル兄上が口を開く。
「よかった。メアリーも帰ってこられたんだね。」
彼はこちらにほっとした表情を向けるも、その顔には少しの疲れが見て取れる。
「ええ。その様子だと、新聞で報じられていた件は本当なのですね。」
「その件は私から話そうか。」
国王である父上が、シリルを手で制する。その声は落ち着き払っており、眉間の皺が増えた以外はいつもと変わらない。
「皆知っての通り、スッツデール帝国がフィストラル王国に宣戦布告を行った。戦争はすぐ終わるというのが各国の目論見だ。」
国王は口をつけたワイングラスを置き、話を続ける。
「他の国は情報を得るために、フィストラル王国まで観戦武官を送るらしい。まあ、ただ観光をして帰ってくるだけになるかもしれんが。」
静かだった食堂内に小さな笑いが起こる。
「父上、ラウスト王国はどうなさるんですか。」
「東西の鉄道は完成しつつあるから、他国の移動には協力するつもりだ。しかし、サスティーナ地方の復興が完了していないこともあり、今のところうちは観戦を控えるつもりだ。」
国王の言葉にシリルは少し残念そうに肩を落とす。
「サスティーナが落ち着いたころには、もう見に行けないでしょうね。」
そう楽観的な発言をするシリルとは対照的に、国王は髭をさすって浮かない顔をしている。
「何か懸念でも?」
「備蓄の少ない今、戦線が拡大するとまずいからな。」
「一時的に他の地方の備蓄を供出させていますし、それは承知しています。ただ、あと3ヵ月もすれば小麦の収穫時期となり、サスティーナはともかく、他の地方は心配いらないはずでは。」
サスティーナの復興に中心的となって取り組んでいるシリルは、身をもってその指摘を理解している。だが、それ故に国王が過度に心配するように映るのだろう。
確かに、現段階の情報ではシリルの判断の方が合理的だ。メアリーはゲームの知識がある故に、これがイベントの戦争ではないかと恐れおののいているが、この世界では小競り合い事態は頻繁に発生してきた。メアリーが生まれてから起こったものだけでも、シェレンディアとカヴァリル連邦との諍い以外に2、3は思いつく。
これが重要なイベントなのか、判断がつかない。メアリーは何か得られる情報がないかと口を挟む。
「父上、そもそもスッツデール帝国は何故戦争を起こしたのでしょうか。」
「一説にはフィストラルの王位継承権に疑義を呈しているらしい。」
「いとこのジルベスターが第1王位継承者で問題ないのでは?」
兄上の指摘はもっともだ。メアリーが鉄道事業の研究費のために金策に奔走していた頃、フィストラル王国で顔を合わせた、シエナ王妃の膝に抱かれた幼子が脳裏に浮かぶ。
「そうだ。だが、スッツデール帝国が主張するには、現在のフィストラル国王は失踪した前妻との婚姻が解消されていないと。」
つまり、後妻であるシエナ王妃は正当な王妃ではないと言いたいのか。
王妃である母上は話に耳を傾けているが、朱の塗られた唇は紅か血か判断できないほどに強く噛まれていた。彼女からすればシエナ王妃は実の姉妹にあたる。いわれなき疑いをかけられる姉のことを思うと悔しいのだろう。
「なるほど、あの国は庶子に王位継承権を認めていませんから、仮にその話が本当であればジルには継承権がないと。」
シリルは納得したように頷く。
「そういうことだ。それに、現在のスッツデール帝国皇帝の母君はフィストラル王国の王族だ。フィストラルを襲ったかつての不幸も重なって、ジルに王位継承権がなければ、次に継承権を持つのはスッツデール帝国皇帝になるのだ。」
「それにしても、フィストラル国王が生きているうちにそんなことを持ち出すなんて失礼ではありませんか。」
国王の説明に、初めて王妃が口を出す。
「いいや、皇帝は国王に対しては人民をたぶらかした罪で正当な王位がないと主張しているらしい。」
王妃は呆れたと言わんばかりに額に手を当て、首を振る。その時、食堂の扉が勢いよく開かれた。急いで入ってきた侍従は、簡単に礼を取った後、国王に何かを耳打ちする。
「もしかして、もう終わったのかも。」
シリルが冗談めかして、メアリーにささやく。だが、国王から告げられた言葉は予想だにしなかったものだった。
「フィストラル国王が首を取られたらしい。」




