51 心配事
時計の針が天井に近づく頃、ノックの音がする。
「夜遅くに失礼するわね。メアリーちゃんは起きているかしら。」
女性の声にエイダが扉をを開くと、そこには皇后が侍女を伴って立っていた。
「皇后様!?」
メアリーは寝台から飛び降りると、居ずまいを正す。だが、夜着のままでは恰好が付かない。
「気にしないで、先ぶれもなしにこちらに来た私に非があるのだから。」
そんなこちらの心情を察してか、皇后が声をかける。彼女は本当に気にする様子もなく、小瓶を手にソファにそっと腰を下ろした。纏ったナイトウエアは体の線を拾う。細身でありながら背も高く、気品のあるその姿に、彼女がかつて傭兵として働いていたという話は信じられない。
後ろに控えていた侍女はわざわざポットを持参していたようで、手際よく紅茶をカップに注ぐ。暖炉の火を落とした室内は寒く、湯気の立つ紅茶が2人の前に差し出される。
「メアリーちゃんはお酒は飲める?」
皇后は手の中の小瓶を振る。飴色のそれはブランデーの様だが、さすがにそんなに度数の強いものは飲めない。メアリーは静かに首を振る。
「まだ、慣れていなくて。」
「そう。なら香りづけだけね。」
皇后は2人のティーカップに数滴のブランデーを落とす。彼女はティースプーンをくるくると回してから一口含む。
「メアリーちゃんは何か心配事でもあるのかしら。」
カップの縁から覗く皇后のすみれ色の瞳はエルドレンの弟、イシュタルのものとよく似ていた。だが、イシュタルが丸みのあるかわいらしい目つきだとすれば、彼女は切れ長の美しい目元をしている。そんな瞳でじっと見つめられては、後ろめたいことがなくとも何か白状しなくてはいけない気分になってしまう。
それに、息子であるエルドレンから何かを聞いてきたようで、口では疑問を呈しながら、その紫の瞳は確信を持ってこちらに問いかけていた。
メアリーはカップを手に取り、薄黄色の水を眺めた。蒸気からハーブの香りが漂ってくる。
「……シェレンディア帝国では側室の方がいらっしゃいますよね。」
「なんだ、そんなこと。」
皇后はそう言うとぱちぱちと瞬きを繰り返す。
「皇后様からすれば呆れられてしまいますよね。」
メアリーは自分の覚悟のなさにしょんぼりと肩を落とす。
「いえ、そうではなくて。私が側妃を置いたの。」
「ええ?」
「アドは側妃なんていらないって拒否したんだけど、私が無理やり連れてきてね。」
皇后は紅茶を啜りながら、あっけらかんとしている。文脈から言えば、アドは皇帝の愛称だろうか。
「もう一人いたんだけど、息子を襲おうとしたから処分しちゃって。」
「はあ。」
物騒な内容をけらけらと笑いながら話す皇后にメアリーは全くついていけない。やっぱり宝石店での彼女の話は本当なのかもしれない。
「彼女たちは侵攻してきた遊牧民の族長の娘たちでね。保護と人質にちょうど良いかと思ったの。それに、アドも彼女たちに手を出して、私への関心が少し薄くなればいいと思ったんだけどねえ、意味がなかったわ。」
「ええと?」
「あ、これはエルには内緒ね、アドが無理やり娶ったことにしているから。」
困惑するメアリーをよそに、皇后はさらさらと流れる銀髪を耳にかけ、優雅にお茶を味わっている。彼女はこちらの様子に気が付いたようで、ああ、と声を上げる。
「ほら、シェレンディアの王族ってちょっと愛情深すぎる人が多いから。」
彼女は眉を下げて、困った顔をしていた。
「エルもアドも親子だからか、性格がよく似ているの。だから、きっとメアリーが心配するようなことは何もないわよ。」
皇后は席を立ち、メアリーの肩に優しくふれる。
「ありがとうございます。ただ、エル様はお優しいですが、私の気持ちの方が上回ってそうで。」
メアリーは彼女を見上げ、掻き消えそうな声でつぶやく。
「そうかしら?例えば、メアリーちゃんの部屋は、この冬の間にエルドレンが直接指示して作らせたものよ。先日、そちらの王宮に訪問した際にも色んなことを聞き込んでたらしいのよ。」
「ああ、それで部屋の間取りも家具もラウスト王宮の私の部屋と全く同じだったんですね。」
納得したメアリーは手を打つ。
「あー、そうか、そういうことするわよね。」
それを聞いた皇后は、何故か額に手を当て、天を仰いでいた。
「我が息子のことながらやっていることが怖いわ。」
「慣れない土地で安心できるようにしていただけるなんて、優しい方と婚約できてよかったです。」
彼女の声が聞こえていないメアリーは、純粋な瞳で両手を握り、胸に手を当てている。そんな様子を見た皇后は、目を大きく見開く。
「こんな調子ではいつかメアリーちゃんに嫌われるんじゃないかと心配していたのだけど、杞憂だったようね。」
「嫌う?エル様が嫌っても、私が嫌うなんて、そんなことあり得ませんわ。」
むしろ、メアリーはエルドレンが連邦の一件を把握していたことから、その情報網の広さを危惧している。部屋の配置がバレているということは、部屋にある例の祭壇のこともバレていないだろうか。
メアリーは引きつった笑いを浮かべていたが、それとは対照的に、皇后は口の端を上げてニコニコとしている。
「そっかそっか、いいわねメアリーちゃん。」
彼女はメアリーの背中を軽く叩いたかと思うと満足げに去っていく。だが、途中で何かを思い出したように振り返った。
「あ、そうそう、婚約の話は明日の朝食でしましょうね。といっても、帝国は反対する人間がいないから気楽にしておいて。」
彼女は手を振り、
「おやすみ、メアリーちゃん。」
と言い残して薄暗い廊下に消えていった。
「おやすみなさい、皇后様。」
彼女を見送ったメアリーは床に就く。あのステラテアの占いの一件から、寝付きにくい日々が続いていたが、香り付けにいれたブランデーのおかげだろうか、メアリーは久しぶりに幸せな夢の世界に沈んでいった。




