44 王子の憂鬱
ラウスト王国第1王子シリル・フォン・ラウストは部屋の隅で溜息を吐いていた。
「兄上の番ですよ。」
そんな彼にエルドレンが呼びかける。その背にあるテーブルには色とりどりのビリヤードの球が並ぶ。
「年は同じだが、生まれならお前の方が先だろう。」
シリルはキューを手に取り、球の位置を見渡す。今日はデュメル伯爵の養娘、サラからサスティーナ地方の現状報告を受ける予定だったのだが、何故こんなことになってしまったのだろうか。
◇
あの葬式のようなディナーの翌日、父上であるラウスト国王からビリヤードルームに呼び出された。ドアノブを回して部屋を覗くと、国王は窓辺で小さなグラスを傾け、エルドレンは明るい部屋の端、陰になったソファに小さく腰かけている。
陽の光が爛々と差し込んでいるにも関わらず、足を踏み入れるのをためらうほど、その空気は重苦しい。
「おお、来たか。」
国王は何も気にするそぶりもなく、手を上げてシリルを招く。
「父上、」
「エルドレン君はビリヤードができるらしくてな。相手をしてもらおうかと思って。」
シリルの言葉を遮り、国王は顎をさする。
「な。」
有無を言わさないその一言に、呼びかけられたエルドレンは静かに席を立ち、テーブルに近づく。国王はグラスを机に置き、その中の氷が音を立てる。
「君は王女の結婚は愛し愛されと言う軽々しいものではないというのはわかるか。」
「私も王族の端くれですが。」
エルドレンは目線はそのままで、小さな反抗を示すかのように口元を小さく動かす。テーブルには12の球が散らばり、彼は慣れた手つきでキューを構えた。
「シェレンディア帝国は大陸の端に位置し、その圧倒的な軍事力がある。君は認識が甘いな。」
国王の低い声が部屋に響く。
「ラウスト王国は大陸中央にある国だ。ここ数十年は平和な世の中だが、戦乱の世においては王族の結婚は、各国との結びつきを強める意味もある。」
「人質としても?」
「それは否定しない。」
国王は手酒でとくとくとグラスに注ぐ。
「確かに貴国と結びつきを強めるのは軍事の面で心強い。だが、危うさもある。」
一つ目の球がテーブルの端のポケットにぽとんと落ちる。
「大陸全体の軍事バランスが崩れる可能性があると?」
手元の白い球をポケットから回収したエルドレンが振り向くと、国王はゆっくりと頷く。
「いっそのこと搔っ攫ってもらう方が、王国としても痛くない腹を探られずに済むのだが。」
「7、いや8年前のこと怒っておられるのではないのですか?」
エルドレンは大きな瞬きをして、国王を見る。
「まあ、驚いたね。」
「私は怒っているが。」
シリルが口を挟む。
「調印式の合間、ラウストの王宮でメアリーを林檎箱に詰めて、シェレンディアに連れ出そうとしただろう。」
「誤解があるのだが。」
エルドレンは構えの姿勢を取り、次の球に狙いを定める。
「メアリーが花まつりを見たいと、『私もシェレンディアに行く』と言って聞かなかった。9歳の俺にはどうしようもなくてな。」
「嘘をつくなよ。メアリーが出迎えたとき、お前とハルラム2人の手を引いていたんだ。遊びの中でハルラムを撒いて、2人きりになったのはお前の策略だろうが。」
手元の揺れが伝わったのか、次の球はポケットに落ちることなくテーブルの角にぶつかる。それを見た国王は立ち上がり、
「若いな。」
とつぶやいて、白い球を手に取る。
「まだ君にはわからんだろうが、本音を言うと、ただ娘がかわいい。手がかかるほど子供はかわいいのだよ。」
国王は慣れた手つきで、球をポケットに落とす。
「王女らしく王宮でじっとしていてくれたらいいものの、聖女とやらと遊んでいたかと思えば、被害のあったサスティーナまで食料を持って出かけたりしてな。」
「せっかくハルラムにお願いして、メアリーを連邦に留め置いたのに。」
シリルが口を尖らせて、加勢する。どうも彼からハルラムに婚約の事情が漏れていたらしい。
「だから、娘が、メアリーがシェレンディアに嫁ぎたいと思うのであれば、それを尊重してやりたいと思うのも親心よ。」
「では、承諾していただけるので?」
「……婚約までは受けてやろう。」
国王は溜息とともに吐き出す。
「父上、本当によろしいのですか?こいつは魔王みたいなものですよ。連邦に嫁がせた方が安心でしょうに。」
シリルはエルドレンの方を見て悪態をつく。
「その場合は8年前の小競り合いを理由に連邦に侵攻するが?」
「お前は馬鹿なのか。」
「さすがにそれは冗談だ。勝算はあるし、温暖な土地を手に入れられて悪くはないが、大陸で一強となる立ち位置になるのは軍事バランス的に不味い。」
エルドレンは手をひらひらとさせながら語る。
「きっと第1王子が行方不明になるくらいだろうな。」
「父上、悪いご冗談はよしてください。」
3つ目の球を外した国王がシリルとエルドレンの2人を視界に入れる。エルドレンの青い瞳に光が差し込む。もの言いたげな彼を無視して、国王は続ける。
「心を読んだのではない。君の祖父母の話だ。」
「えっ?」
シリルが横にいるエルドレンを見ると、彼の目の動きがそれは真実だと物語っていた。




