43 プロポーズ②
メアリーの首元のマフラーがたなびく。エルドレンからこの街の景色を一望できるところを見てみたいとの要望で、2人は街の城壁までやって来ていた。ここには視界を遮るものはなく、遠くまで見渡せる。
北方に目をやれば少し寂しくなった木々と、どこまでも続く街道があり、南方には王宮とその城下街がある。今は夕飯前の時間とあってか、いくつも伸びる煙突から白い煙が漂う。
隣に並ぶエルドレンは静かに息を吐く。街を静かに眺めるさまも美しく、その銀髪は夕焼けに照らされて、まるで小麦畑のように金色に輝いていた。宮廷絵師がこの光景を知れば、喜んで馳せ参じるだろう。
「メアリー。」
並んで夕陽を眺めていたメアリーは彼をチラリと見る。
「ねえ、手を出して。」
囁くような声につられてメアリーはエルドレンに手を差し出した。少し赤くなった指先は彼の体温に触れ、じんわりと温かさを感じる。そのうち、何か固く、冷たいものが指を通る。
「これは……指輪?」
夕日を透かすかのようにメアリーが空へ手を掲げると、エルドレンの瞳のような、澄んだ青色のタンザナイトが光を反射する。
彼はそんなメアリーの手を取り、恭しくかしずいてこちらを真っすぐに見つめる。
「私と結婚してくれますか。」
何故か緊張した面持ちの彼は、珍しく耳を染めている。
「ええ、もちろん。」
メアリーは少し不思議に思うも、笑顔で答える。すると、エルドレンはなぜかほっとしたような表情をした。
「メアリーと一緒に行った宝石店で作ってもらったんだ。ティアラの宝石と同じ山で採れた石でね。」
昨年の冬、シェレンディアを訪れたあの時のことを覚えていてくれていたのか。指輪を贈ってもらえないことを残念に思っていたメアリーの心情は見透かされていたらしい。
「残念ながらシェレンディアの冬には寒くてつけていられないけど、その時はネックレスにでも通して持っておいてくれると嬉しいよ。」
メアリーはこくこくと頷く。
「はぁ、よかった。受け取ってくれないかと思ったよ。」
「婚約者からいただいた品を無下にする令嬢はいませんわ。」
エル様からいただいたものなら、手を拭ったハンカチですら大事にしますけどね。使ったカトラリーでさえ保存したいくらいよ。……冗談です、流石にしない。たぶん。
メアリーが心の内で騒いでいると、その様子をみてエルドレンは声を上げて笑ったあと、ふっと睫毛を伏せる。
「実はずっと申し込んではいるんだが、まだそちらの国からは了承をいただけていなくて。もしかしたら、メアリーが断っているのかななんて。」
「そんな、そんな。断じてありえませんわ!」
婚約を申し込んだ当時は婚姻まで3年という、常識外れの長さであり、ラウスト国王である父上からすれば問題だったのかもしれない。今、婚約したならば婚姻までは1年、何の問題もないだろう。
「そういえば、ハルラム王子にも婚約は嘘だと指摘されましたわ。私も心配していたけど、嘘ではなくて本当によかったです。」
「あいつ、いらないことを。」
眉根を寄せるエルドレンとは対照的に、メアリーはあの時不安になっていた気持ちが、目の前の空のように晴れやかになる。
「この後のディナーで、私から父上にお話ししましょうか。」
「いや、そのあたりは私から説明するよ。」
メアリーはルンルン気分で馬車に乗り込む。一方の、エルドレンは何か覚悟を決めた様子で、帰りの車内は彼女の楽し気な声だけしか響かなかった。
◇ ◇ ◇
「あら、お兄様お1人ですか。」
王宮に帰ってきたメアリーたちが食堂に入ると、広いテーブルの前には兄上であるシリル第1王子の姿しかなかった。
「ああ、父上と母上は遅れていてな。トーアは乳母と一緒にいるよ。」
「そうなのですね。」
末の幼い弟は、本日は客人がいることもあって別室にいるのだろう。
シリルが座るように2人促すので、いつものように彼の対面に座り、メアリーは乾いた喉を潤そうとグラスに手を付けようとした。
「メアリー、それは。」
「え?」
シリルはぎょっとした表情をする。その目線は、メアリーの薬指に釘付けになっている。
「エルドレン、指輪を贈るとは約束が違うぞ。」
シリルは首が痛くなりそうなほどの勢いで、メアリーの隣に座る彼に顔を向ける。エルドレンはいたって落ち着いた様子で、手に持っていたグラスをゆっくりと置く。
「兄上、これはメアリーが喜んで受け取り、自ら身に着けてくれているだけです。問題ないでしょう?」
「詭弁だな。それに、まだお前に兄上と呼ばれる筋合いはないぞ。」
「『まだ』ですか、とうとう観念しましたか。それはよかったです。」
魔王のように口の端を上げて笑うエルドレンに、顔をしかめたままシリルは口を開く。
「お前な……メアリーから囲い込むのは卑怯だぞ。」
2人の間に飛び散る火花に、メアリーはどぎまぎしてしまう。
「そもそもエルドレン様との婚約はお兄様が取り付けてきたのですよ。そのような言い方は失礼ではありませんか。」
諫めようとするメアリーに、シリルが口を挟む。
「違う、メアリーはこいつにずっと騙されているんだ。」
シリルが差す指の先にいるエルドレンは、飄々とした表情を崩さない。
「懲りずに何年も婚約の申し込みを送ってきたから、一度会わせてたらメアリーが嫌がるかと思っていたのに。妹がこいつを気に入るなんて誤算だよ。」
「母譲りの美貌だとよく褒められます。」
「うるさいぞ。」
シリルとエルドレンの口喧嘩は、後者に軍配が上がったかに思えた。
その時、開いた扉から国王が国妃を連れ立って入ってくる。くすんだ金髪に太陽のような瞳をもつ彼はまるで獅子のようだ。急に静まり返る食堂内で、国王の乾いた笑い声が響く。
「その話は明日ゆっくりとしようじゃないか、なあエルドレン君。」
薄氷が割れるような緊張感につつまれる中、ディナーが始まる。誰も口を開かず、給仕たちがテーブルにサーブする小さな物音がよく聞こえる。
メアリーは異様な空気の中、初めてテーブルマナーを習ったときのように黙々と手を動かすしかなく、料理の味は何一つ感じられなかった。




