38 星空の下で
「やあ、久しぶり。もうそろそろ来るんじゃないかって思ってたよ。」
煌めく星空の下、ハルラムは夜着の裾を草原に添わせながら、人影に近づいていく。薄雲に隠れたかすかな月の光がぼんやりと相手の顔を照らす。そこには、シェレンディア帝国第1皇子エルドレンが息の上がった馬を撫でながら、一人の従者を携えて立っていた。
「俺が会いたいのはメアリーなんだが。」
「自分から私を呼び出しておいて、そんなこと言うんだ。」
ハルラムは昔から変わらない彼の様子にふっと笑いがこぼれる。
「そういえば君の国は従者まで好戦的なんだね。君からの手紙なんて枕元に短剣とともに刺さっていて、暗殺の果たし状かと思ったよ。」
それを聞いたエルドレンは目を見開き、後ろに控える桃色髪のティーナの方を振り返る。照れくさそうに頭を掻く彼女の姿から、ハルラムの言葉が事実だと確信したようだ。
「俺の部下は女性がほとんどいないから、イシュタル、ああ、うちの弟なんだが、その従者を借りてきたんだ。教育がなっていなくて済まないな。」
「あの弟君か、でもあんまり彼らしくない部下だね。」
昔見たイシュタルは王子としてどこか腹に抱えているものは感じたが、根は素直な気質に見えた。彼女のどこか抜けていて、血なまぐささを纏った雰囲気とは似ても似つかない。ハルラムが思案しているところをぶった切って、エルドレンが口を開く。
「メアリーと結婚したという話は嘘で間違いないな。」
真っ先に聞きたかったと言わんばかりに、その美しい顔にも気迫迫るものがあった。
「まあね、ラウスト王国からの要請があって、メアリー王女を連邦に留め置いていただけだよ。」
ハルラムの言葉を耳にしたエルドレンは胸に手を当てている。
「別に結婚偽装してくれとまでは言われていないけどね。」
「は?」
ほっとしたかと思えば、眉根を寄せるエルドレンの表情は忙しい。
「まあまあ、そんな表情しないで。連邦との国境にある大山脈を無理やり馬で駆け抜けてきたんでしょ?君も1泊くらいしていきなよ、メアリー王女もあと3日はここにいるみたいだし。」
ハルラムは目の前の彼の靴から頭までを舐め回すように見た。小枝に引っかかったのか服の裾はずたぼろになっており、丹精込めて縫った針子が一目見れば泣いてしまうだろう。
「いいや、お前の口から確認できればそれでいい。もう帰るよ。」
後ろ手にある手綱を軽く引き、エルドレンは星の明かりを反射する銀糸を揺らす。
「本当は会えないんでしょ。」
ハルラムは確信したように、満点の星空を散りばめたようなその瞳は眩く光る。
「君たちは正式には婚約すらしてない。だから君は急いでここまで来た。」
彼は一歩一歩ゆっくりとエルドレンを追い詰めるかのように近づく。
「大方、メアリー王女が会いたい、来たいと言えば会えるけど、君からは勝手に会えない。ラウストの国王陛下かシリル殿下、どちらが出した条件かはわからないけど、それが王女と顔を合わせる条件だったのかな。」
図星を突かれたのかエルドレンは何も言葉を発することなく、地面を眺めている。
「ふふふ。王女連れ去り未遂の罪はなかなか消えないね。」
ハルラムは押し黙る彼を楽しそうに眺める。
「早く手は打った方がいいと思うな。色恋なのか血筋なのか、彼女を欲しがるものは多いからね。」
「……ずっと王国には婚約を打診し続けているんだ。出会ったあの日以降。」
エルドレンの長い睫毛に影が落ちる。
「顔合わせすら1年前にやっとさせてもらえたんだ。お前にはこの気持ちがわからないだろうが。」
俯いていた顔をすっと上げて、エルドレンの顔の半分が照らされる。口の端を歪ませて、演劇に出てくる悪役のようだ。
「そうかな。私もメアリー王女のことは好きだよ。」
「恋愛感情としてか?」
エルドレンは間髪入れずに言葉を挟んだ。
「うーん、どうだろうね。でも、彼女なら妃にしてもいいなとは思うんだよね。」
「お前のことだから、適切な振る舞いといい、賢さといい、利用価値があると判断しただけだろう?」
「手厳しいな。まあ、褒められたと思っておくよ。」
ハルラムははははと声を上げて笑い、話を続ける。
「人の想いは色々ある。愛しいと思えば拉致、監禁もいとわない君たちにはわからないだろうけど、自分の手元でなくとも愛しい相手が幸せになれるのならそれで構わない人もいるんだよ。私みたいにね。」
ハルラムはエルドレンの方に手を置く。
「メアリーを悲しませないでね。」
エルドレンはそれを聞いて、お前は俺の何なんだと言わんばかりの表情をしていたが、目の前にいるハルラムの顔を見て、真剣な表情に変わる。
「西の方に気を付けた方がいい。直に君の耳にも入るだろうけど。」
じゃあね、と一言言い残してハルラムは手を振りながら立ち去る。
そうして、残された2人は青臭い草原の風に包まれた。
「ティーナ、戻るぞ。」
既に騎馬の上にまたがったエルドレンは頭上から従者に声を掛ける。遠目に見える王宮の光は、そこにメアリーがいるからかいつまでも輝いて見えた。




