31 王子のお戯れ②
本日2話更新です。こちらは2話目になります。
メアリーはハルラムに握られた手にもう片方の手を添え、ゆっくりと滑らせて彼の手を突き放す。
「私シェレンディア帝国第一皇太子と婚約しています。それは、ハルラム王子もご存じですよね。」
メアリーは震える唇から、何とか言葉を紡ぎ出す。
「そうだね。」
敷き詰められた赤い重厚な絨毯にそのテノールボイスは吸収された後、控えていた従者の衣がかすかに擦れる音しか耳に入らない。
「何も本当に結婚しろという訳じゃない。」
「どういうことですか。」
メアリーは混乱する。突き放された彼は全く気にせずに、長椅子の肘掛けに半分もたれかかる様にして腰を下ろした。彼はこちらに振り返り、目の前に座るように促してくる。何も考えられない彼女はそれに素直に従うと、ソファに体を沈み込ませた。
「私が父上の代理で忙しくしていた関係でまだ婚約者がいないのは知っているだろう?」
「ええ。」
彼はここ数年の結婚適齢期の間は病気がちの父に代わり政務を行っていたのは周知の事実であり、婚約者を定めたと公表した知らせはまだ耳にしていない。
彼は困ったように眉尻を下げて、身を乗り出しながら、小声でささやく。
「王妃教育を進めている子も何人かいるんだけど、まだ表に出せるほどの状態じゃなくてね。」
ハルラムが小さく首を振る。その間に、従者は砕いた氷を入れたグラスを2人の前に置いて、紅茶を端から注ぎ込む。
「でも、さすがにそれは引き受けられませんわ。」
グラスを手に取り、舌から伝わる冷たさにより冷静になったメアリーは淡々と述べる。
「そうかな?たった1か月でいいんだ。引き受けてくれたら、サスティーナ地方への食糧援助をしてあげるよ。」
ハルラムの言葉に、グラスを持つ腕をピタリと止める。彼が合図をすると、従者が1枚の書類を机上に置く。ハルラムの目線に促されて、メアリーが書類を手に取ると、サスティーナ地方に隣接するモンテ州の備蓄倉庫から半年分の食料を分配すると書かれてあった。
署名欄は空白だったが、依頼を引き受ければここにサインをして、実行してくれるということか。事案の発生からここ数日で各方面に調整を行い、ここまでまとめ上げたのは、急遽国を担うことになった男の強さだろう。
だが、食料の分配が1か月分ならともかく、半年分とはこちらに利がありすぎるのではないか。
「……それは貴国にとって割が合わないのでは?」
メアリーは順当な疑問を口にする。
「いいや、来月には収穫祭の夜会に出席する必要があるんだけど、ペアがいなくてね。妹たちも嫁ぎ先が決まっているし。それに災害の影響を長引かせて無用な争いも生みたくないんだ。」
自国の短期的な利益だけでなく、大局を見て判断したということか。それにしては、少々結婚の話は強引に取り付けた話のようで奇妙にも思える。
「別に大々的に公表はしないよ、そもそも国境も閉じているし。」
ハルラムが何とかメアリーを説得しようと繰り返すうちに、空になった彼のグラスの中で氷がからりと音を立てる。
「わかりました。」
ここまで彼が必死になるのは、メアリーに何か伝えられない事情があるのかもしれない。メアリーはそれに気が付かないふりをしつつ、自分のいくばくかの尊厳と国民の命を天秤にかけて、しぶしぶ了承したのだった。




