3 推し活始めます
メアリーは覚悟を決めていた。これが今生の別れになるかもしれない。それなら、せめて推しの姿を残しておきたい。違う国に売り飛ばされたとしても、それを肌身離さず持っていこう。
今から絵師を呼んで描かせる時間はないが、何も迷う必要はない。前世の私は、有名漫画の出番が少ないサブキャラを何年も推し続け、その少ない登場回を掠りつづけ、グッズがでないなら作ってきたではないか。
「エル様の絵姿を描かせていただきますわ。」
メアリーは断られないように、高らかに宣言した。エルドレンは瞳を大きく見開いた後、思わず声を上げて笑いだした。
「いいよ。夕方にここを出るまでであれば。」
「ありがとうございます。エイダ、書くものを用意して頂戴。」
メアリーは暖炉横のソファにエルドレンを案内すると、自分はその対面に座り、いそいそと羽ペンを動かし始めた。宝石のようなその青い瞳は、こちらを眺めている。
「メアリーは絵を描くのが好きなの?」
「うーん、特には。」
集中したメアリーが返答をおろそかにしていると、エルドレンはあくびをする。手持無沙汰になった彼は、何かを思いついたようにすっと席を立ち、こちらにそっと近づいてくる。通り過ぎたかと思えば、後ろから急に頭を撫でられた。
前世でも、この皇太子は天才的な策略家でありながら、冷酷で理性的な人と紹介されていた。この世界でも見た目の美しさに惑わされてしまうが、その冷たさを感じる瞳通りの所業を成してきたと噂されている。メアリーはそんなギャップに、彼の意図が読めずに混乱してしまう。
突然のファンサに高鳴る心臓の音を抑えつつ、何も反応できずにいると、今度はキラキラした顔がの首の後ろから覗き込んでくる。
「ひゃっ!」
彼の鼻息がかかりそうなほどの距離に、メアリーは思わず身構えてしまう。
「ごめんね、怖かったかな。」
「いえ、そんなことありませんわ。びっくりしただけです。」
メアリーは染めた頬を隠すように、よりうつむいて絵の続きを描き始めた。これは何か思惑のある婚約で、きっとエイダが言うように、私に逃げられないようにその笑顔を向けているのだろうとどこかでは理解していても、推しにここまでされては照れずにはいられない。
満足したのかエルドレンはゆっくりと暖炉の前を通り、ソファに座りなおした。同い年であろう兄上ですら何とか足をつけて座るほどの高さがあるのに、彼は足を組み、余裕の表情で紅茶を嗜んでいる。
その姿も様になるわ。メアリーがエルドレンに見とれて線が歪み、何度か書き直したのは内緒だ。それでも、エイダが薪の追加を使用人に依頼した頃、やっと彼の特徴が抑えられた絵姿が出来上がった。
「できたわ。」
ほっと一息ついて、ペンの汚れを拭う。
エルドレンはその長い腕を伸ばし、ひょいとその紙をつかんで、まじまじと眺めた。
「メアリーは絵が上手いね。」
「やめてください、恥ずかしいわ。」
「一方的に描かれるほうが恥ずかしいだろう?」
エルドレンがいたずらっぽく笑う。
「代わりにメアリーの絵姿を絵師に書かせて、送ってよ。」
◇ ◇ ◇
そのあと、エルドレンは菓子にも手を付けず、すぐに発ってしまった。彼が言うには、このまま東部へ向かうところを、だいぶ遠回りしてラウスト王国の王宮までやってきてくれたらしい。
メアリーは小さくなっていく馬車を、エイダが新しく入れてくれた紅茶が冷めてしまうまで、ずっと見つめていた。
その馬車内では、エルドレンは珍しく心の底から楽しそうにニコニコとしていた。
「彼女はとても素直でかわいいな。ふふ、まるで小動物みたい。6年前と変わらないなぁ。」
彼の目はどこか遠くを見ているようでいた。
「俺を怖がる様子もなかったけど、うちの国の噂を知っているのかな。」
「すでに12歳と聞いていますから、いくら王女でもその噂は知っているかと。」
同席していた従者のユーリは、いつもと違う主人の姿に、手に持っていた書類を落としそうになる。
「ふうん、珍しいね。彼女が色んなことを知る前に、このまま連れ帰ってしまって、東部の屋敷にでも閉じ込めておけたらよかったのだけど。」
「やめてください。これ以上、あなたたちの尻拭いをするのはごめんです。」
ユーリは眉頭を押さえながら、エルドレンに書類を差し出す。
「さっさと仕事でも片付けてください。」
夕暮れの光に照らされた小麦畑はさざめきながら、その横を駆ける馬車は東部までの長い道のりをカラコロと進んでいった。




