20 誘拐①
時はエルドレンが到着する5時間前に遡る。
メアリーはお日様がとうに上るまで王宮にある天蓋付きの大きなベッドに横たわっていた。先日の大雪でぬかるんだ道を走ったせいか、晩御飯も食べられないほどへとへとになっていたのだ。
航路を使えばよかったのだが、鉄道事業の研究を依頼したジェフリーと一緒にシェレンディアへ向かうこともあり、ラウスト王国とシェレンディア帝国をつなぐ幹線道路を下見しつつ、馬車で移動しようと考えたのだ。
しかし、今になってはその判断は間違いだったと気づく。冬のシェレンディアの厳しさを、メアリーは初めて知ったのだった。
さすがにエルドレンに会う直前まで寝ている訳にもいかず、侍女のエイダに身ぎれいにしてもらい、簡単な軽食を取る。
ラウスト王国と違ってパンは中が黒っぽい。それを噛むと口の中に酸味が広がり、慣れないメアリーはポタージュに浸して、少し咀嚼して飲み込んだ。
メアリーが食べ終わるのを見計らったように、侍従のセドリックが顔を出した。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、皇后に招かれた商人が未来の皇太子妃にも自慢の商品をご覧に入れたいと申しております。」
淀みなく話すセドリックの口から聞こえた『未来の皇太子妃』という言葉にメアリーは悶絶しそうになる。単なる事実でも、他人からそう言われるとなかなか衝撃的だ。
セドリックはそんなメアリーを見ても、眉一つ動かさずに話を続ける。
「断っていただくことももちろん可能ですが、皇后様が商品を見るだけでもメアリー様の気晴らしになるのではと仰っておりまして。」
それなら、気遣う皇后様のお顔を潰す訳にはいかない。商人達にとっても、王族の婚姻はまたとない商機であり、婚約者の時点からご贔屓にしてもらえれば、婚礼の品を大口で買ってもらえる可能性がある。
そういうお付き合いも大切よねとメアリーはその提案を了承した。
◇ ◇ ◇
商人たちは細かな模様が描かれた厚手の絨毯、草花の見事な刺繍が施された布地を広げては仕舞いを繰り返している。彼らは南の出身なのか、その肌は冬にも関わらず日焼け跡が残っており、言葉にも訛りがある。
メアリーは彼らの強い押し売りにはほとほと疲れていた。あまりにも商人達の滞在が長く、外で控える騎士たちも顔を覗かせていたほどだ。
騎士たちは商人たちが皇后の招いた客人であり、メアリーが服の試着をすることもあるだろうからと外で控えてくれているのだ。
商人たちは必死な様子を見せるが、それに反比例するかのようにメアリーは言葉少なになる。
「これはどうです?とてもいい布、皇后様も興味を示した。着てみない…ですか?」
「じゃあそれを。」
メアリーが何度目かわからないやり取りに根負けして、布地を肌に合わせるために姿見の前に立つ。
「えっ。」
強い衝撃にメアリーは自分からよろめいたのかと思ったが、背中が強く痛む。
(襲われた?)
顔を上げる間もなく、頭上から大きな影がかり、メアリーは意識を失った。
◇ ◇ ◇
「なあ、もう一度覗いた方がいいんじゃないか。」
「商人たちがしつこいだけだったじゃないか。呼ばれてもないのに、部屋を覗くのは失礼だろ。」
「……さっきから物音って聞こえるか?」
部屋の外に控えていた騎士たちは声をひそめて騒ぎだす。
「とりあえずノックだけでもしてみよう。」
騎士の一人が意を決してドアを叩くが反応がない。3人は恐る恐る中を覗いたところ、商談中のまま人だけが忽然と姿を消したかのように、一巻の布地や装飾品がテーブルに並べられたまま残っている。
「失礼します!」
叫ぶ声に反応はない。
「それにしてもこの部屋寒くないか。」
「今はそれどころじゃないだろ!」
のんびり屋の男の言葉を2人が無視して奥へ進んでいく。すると衝立の奥、倒れたトルソーの横で床に倒れた侍女の姿があった。
「おい、どうした!」
彼女を揺さぶると、
「メアリー様、メアリー様!」
とその目を大きく開いて、叫びだした。気が引けるが、彼女の頬を叩く。
彼女はまだ焦点の定まらない様子で、うわ言をつぶやくように何かを繰り返している。強い衝撃を受けたのか、まだ体に力が入らないようだ。
「ああ、メアリー様が誘拐されたのです。エイダがお守りできなかったせいで……。」
彼女の小さなかすれ声に耳を傾けると、何とか状況が把握できた。おそらく先ほどの商人たちがメアリー王女を誘拐したのであろう。だが、ドアの前に控えていた俺たち騎士は商人を見逃すはずがない。
「こっちを見てくれ。」
のんびり屋の男は窓際に立っていた。室内にいるはずなのに吹き付ける風と寒さを感じて、窓が開いていることに気が付く。近づいてみると窓と窓の間の枠に結びつけられたロープがぶら下がっており、商人たちもとい誘拐犯はここから逃げ出したのだろう。
時すでに遅く、見渡したところで犯人たちの姿はなかった。




