19 シェレンディアの冬
エルドレンは馬車の窓から街並みを見ていた。ここ数日は雪景色ばかりしか見ていなかったため、長年見慣れた景色ですら新鮮さを感じる。
冬の東部は厳寒期であり、大雪に慣れない遊牧民はシェレンディア東部イヴァナまで遠征などできない。こちらから遊牧民の残党狩りに向かう案もあったが、兵の疲弊も激しくなるため、真冬は実質的に一時停戦状態になる。
それでも、エルドレンは軍団の将として常駐する必要があったのだが、弟であるイシュタルが少しの間だけでも首都から逃げ出したいということで、自分の代わりに滞在を申し出てくれたのだ。
そのため、エルドレンはありがたくシェレンディア首都モレスティワに滞在することとしていた。1年弱ぶりの休暇である。
「もうすぐメアリー様に会えるからご機嫌ですね。」
従者のユーリが揶揄する。どうやら、エルドレンが窓を眺めて、書類を処理する手が止めていることが気に入らないようだ。
「『会いたいわ』という熱烈なラブコールではなかったが。」
エルドレンは書類を繰る手を進める。
「そうですか。まあ、今回もメアリー様がいらしたら、書類仕事を全部私に押し付けるつもりなのでしょう。せめてこの重要書類だけは処理していただきますからね。」
相対するユーリは、夏にメアリーが遊びに来てくれた時に、エルドレンが事務処理を放って無理やり時間を作っていたことをまだ根を持っているらしい。
3か月前ほど、メアリーからエルドレン宛に初めて手紙が届いた。
内容は『王国に優秀な留学生がいるので科学技術の進んだシェレンディアの学院に是非受け入れてほしい』、『シェレンディア帝国大学シモノフ教授と共同研究をさせてほしい』という婚約者から届く手紙にしては味気ないものだった。
留学の受け入れは王族からの推薦で受け入れ可能であるし、実績を見たところ申し分なさそうだ。3年という留学期間は長いが、共同研究をすることも考えれば妥当なところだろう。
ただ、その共同研究先のシモノフ教授は帝都でも気難しく変人であると知られており、彼の説得は難航することが予想された。
どうやって彼を納得させようか、それも一介の留学生との共同研究など、愛するメアリーからの依頼であっても叶えてやることができないかもしれない。最悪、教授の弱みを探らせてどうにかしようかとしていた折、なんと教授の方から一通の手紙が届いた。
『ジェフリー君はとても優秀な子だから、絶対に留学させろ。共同研究もさせろ。断ったらシェレンディア帝国の損失だ。』
まるでジェフリーへの愛を説くかのように、長々と彼の優秀さをしたためる手紙を要約すればこう書いてあった。正直、その厚さの手紙はメアリーからしか受け取りたくない。
そんなメアリーは、エルドレンが依頼の承諾と冬の間の首都の滞在を知らせても、その返事は留学生を紹介したいから、そちらに訪問させてくださいと言う簡素なものだった。
婚約の顔合わせやイヴァナでの様子を見るに、彼女もこちらを意識してくれているのかと思っていたが、それは勘違いだったのだろうか。
メアリーにとってはただの政略結婚であり、あの愛らしいふるまいも演技なのかもしれない。体が震えたのは、この寒さのせいだと思いたい。
厳冬期の移動は雪のせいで、馬車の進みは遅くなる。それにイヴァナの港は不凍港になり、夏とは違って航路は使えない。何日もの時間をかけて、やっとのことで馬車は首都モレスティアに到着した。
「やっと着いたか。」
開けられた馬車のドアからエルドレンが降りると、懐かしき王宮が見える。メアリーは1日早くついて滞在する予定だと聞いていたが、迎えがない。
メアリーがイヴァナに着いた時、自分も出迎えられなかったので、人のことは言えないなとエルドレンはふっと笑った。
ユーリはその様子にぎょっとしたのか、目だけを見開いてちらりとこちらを見た。兵士たちの手前その表情は崩さない。
そんな兵士たちは何かに気を取られているのか、軍部の長であるエルドレンに気づいていないようだ。
「俺がいない間にたるんだか、滞在中は躾しなおさないとな。」
エルドレンの一言で自分に気づいた兵士たちは一層慌て始めた。何やら様子がおかしい。
「何があった。」
エルドレンを見て、そこにいる兵士たちは皆、青ざめている。胸の勲章をひらひらとさせた男が血の気のない顔をしながら、こちらに一歩前に近づいてくる。
顔を伏せ、小刻みに震える体からは何も聞こえない。
「何だ。」
エルドレンの威圧するような大声に、やっと男は面を上げた。その顔はさしずめ、ギロチンにかけられる前の囚人と変わらない。
「恐れながら申し上げます。メアリー王女様が行方不明なのです!」
男の言葉が言い終わらないうちに、エルドレンが長い脚を振り上げたかと思うと、瞬きをする暇もなく、兵士は床に顔を埋めていた。




